第十七話 「妖精女王」
エルフの森には視界歪曲魔法が幾重にもかかっている。常人であれば、森の中心部には百年かけてもたどり着けない。
ミゲルは空間軸の力で森の隅々まで把握した。木に茂る木の葉の枚数まで分かる。関所がいくつもあり、エルフの警察もパトロールしている。森の中を抜けていくのは面倒だったので、瞬間移動で一気に飛ぶことにした。
キンリエと同じくエドナにも空間軸のことは話していない。
「エドナ。俺は名探偵だ。瞬間移動の一つや二つできてもおかしくないよな?」
「むしろそれぐらいできないと、探偵じゃない」
アホなエドナはキンリエより容易く騙せた。
森の深奥、女王の聖域に飛ぶ。二人の足が地に着いた瞬間、草が針のように尖り、足に向かって伸びた。攻撃が当たる前に、ミゲルはあたりの草を別空間に飛ばす。
息苦しさが胸を襲った。空気がないのだ。ミゲルは空気を他の空間から持ってくる。
やっと辺りを見回す余裕ができた。水のドームの中だった。木は生えていないが、草花が一面に生えている。エルフの女王は寝転んで本を読んでいた。
「あれが?」
「エドナ。指をさすな。殺されるぞ」
虹色の髪が本を持つ細い腕に巻きついている。目は切れ長で大きな黒目の中に、光の粒が散っていた。耳は長く尖っている。人魚の鱗の耳飾りが揺れていた。純白の薄絹の上から体のラインが見て取れた。体は細いが、胸とお尻は盛り上がっている。
「人間がここに来るのは久しいな」
女王のソプラノは頭に響いた。
「で、何用か?」
女王は一瞬たりともミゲルとエドナの方を見なかった。本のページをめくっている。
エドナが一歩前に出た。
「なぜワルンさんを殺したんですか?」
「エルフの姫に手を出した人間は死ぬことになっておる。なぜか? 人間は汚物意外の何物でもないからじゃ」
「汚物と話してくれるなんて女王様は優しいぜ」
ミゲルが皮肉を言う。
「そう。我は優しい。だから、精一杯譲歩した。王族以外のエルフには異種族との自由恋愛を認めておる。無論、エルフ同士の恋愛も自由だ。王族と貧しい家の者が結婚したこともある」
「でも」
エドナが口を挟んだが、言葉が続かないようだった。女王は続けた。
「貴様ら人間より進んでおる。人間社会では、未だに身分違いの結婚を認めていない国もあろう。エルフは同族を差別しない。人間は人間同士でランク分けし、あらゆる差別を産みだす。これを汚物と言わず何と言う?」
「でも」
エドナは肩を震わせていた。やはり言葉が出てこなかった。
「人間の娘よ。そなたも身に覚えがあるのだろう。我はそなた達に同情する。そなたたちは人間でありながら、人間らしくない。そなた達は純粋過ぎる。エルフの森なら純粋は凡庸の証であるが、人間社会においては罪でしかない」
「私は」
「私は何だ? 娘よ。どうせその先は続かぬのだろう。それはお前が純粋だからだ。言葉に頼れば頼るほど、お前は汚れていくぞ」
エドナは膝から崩れ落ちた。胸を激しく動かし、苦しそうに息をしている。ミゲルはすぐに抱え起こし、具合を尋ねた。エドナは首を振りながら、泣いていた。
「私は」
「もういい。分かってる」
ミゲルは瞬間移動で事務所に戻り、エドナを寝椅子に寝かせた。
「すまないな。今はお前を見守ってやれない」
再びエルフの女王のもとへ飛ぶ。
「悪いな。ガキに説教してもらって」
「かまわぬ。あの娘は美しい。全てのエルフの次に」
「言い過ぎだろ」
「ルシー・フェルナンデスの方が美しいか? ミカエル・スパティウムよ」
エルフの女王は全てを見透かしていた。エルフの頂点に立つ女王はありとあらゆる魔法を使えると聞く。過去を探るぐらいわけないのだろう。
「空間軸の使い手が何用か? まさか、さっき墓前で言っておったことを実行する気か? やめておくがいい」
「無理だ。昔から、ムカつく奴は一発殴らないと気が済まないものでね」
ミゲルは女王の上空に飛び、足を蹴り落とした。手ごたえがなかった。視界が真っ黒に染まる。
「人間ごときが我に触れれるはずがなかろう。視界も奪った。おとなしく去ね」
「悪いな。視界なんて関係ない」
ミカエルは空間を把握する。背後に女王が立っている。キンリエの見様見真似の回し蹴りを繰り出す。が、足は女王をすり抜けた。
「我もうっかりしておった。空間軸は便利よのう」
ミゲルは拳をふるう。空間軸は絶対だ。女王はそこにいるはずだ。
「無駄である。我の存在魔法は軸すらも騙せる」
頭では理解していても、体が止まらなかった。寝ているエドナのことを思う。諦めていいわけがなかった。
「そなたは我より傲慢である。空間軸を得て、世界の半分を得て、調子にのっているのか? そなたの力が及ばない存在など五万とおる」
「うるさい。俺は生まれたときから傲慢なんだ」
「傲慢を正してくれる者ももういないか。一つ問おう。暴力で解決したことがあったか?」
バストロに挑んでもルシーを救えなかった。ルシー自身が選択したから。ルシーの死が楔となって胸に食い込んでいる。エドナはどうだろうか。もし今回の件で、エドナの胸に楔が刺さったなら、ミゲルの責任だ。
今、自分は女王に八つ当たりしているだけかもしれないとミゲルは思った。だから、自分はどこまでいっても汚物なのだ。
疲れ果てて、その場に倒れる。視界に光が戻った。女王がミゲルを見下ろしていた。
「せいぜい生きるがいい。我は億年生きておる。それに比べたら、九つで死のうと、七十で死のうとたいした違いはない。そなた達はその程度の存在である。忠告するが、自分を特別だと思うでないぞ。帰れ」
ミゲルはワルンの墓の前にいた。女王が空間魔法で飛ばしたのだろう。
もう日は沈んでいた。墓地一帯を森の濃い影が覆っている。ミゲルは自分の影と木々の影が区別できなかった。




