首都…花の影を慕いて
誰も居なくなった植え込みの背後。
ずっと茂みの中に身を潜めていた一同は、やっと緊張から解放され、息を付いたのだった。
「盗聴して正解だったな。不穏な密談を聞かされたよ……」
さすがに半ば呆れた様子のエドワードである。
カーティス夫妻の自慢の姪御・シャイナの、『思いがけぬ正体』を目撃する形になったマティも、言い知れぬ恐怖のような物を感じたのか、顔を引きつらせるばかりだ。
「シッカリし過ぎてて、こえーよ」
「確かに百戦錬磨だな」
キアランが、ボソッと呟く。
ルシールは戸惑いながらも、アンジェラを振り返った。
「……そう言えば、誰だったかしら。レナード様にピッタリとか言っていた令嬢……」
「実は、シャイナ嬢だったんだけどね。根性叩き直し、再教育も上等……ランドール氏と秘密結婚してるのも驚きだけど、物凄い才能だわね。三角関係どころか、恐怖の多角関係もさばけるなんて」
アンジェラも首を振り振り、天をも仰ぐ格好だ。
*****
ヒューゴは、茂みを出た後も、聞き知った内容をあれこれと整理していたが、やがて困惑の表情になった。
シャイナの秘密の夫・ランドール氏は、レオポルドの私生児。マダム・リリスの愛人たる伊達男ランスロットも、レオポルドの私生児。
どうやらシャイナは、レオポルドの私生児たちを、一気に振り回す予定のようだ。そのシャイナは、これまた、レオポルドの私生児かも知れない――シャイナには、これまたレオポルドの私生児と思しき姉が居たらしいが、話を聞くと、それも定かでは無い様子。
なおかつランドール氏、伊達男ランスロット、レナード、シャイナ、いずれも同じ父・レオポルドから生まれた兄弟姉妹ならば、この関係は、間違いなく近親相姦だ。恐るべきスキャンダラスな事態だ。
――しかし、カーティス夫妻の姪御たる良家の令嬢・シャイナが、それ程に凄まじい不道徳をやらかすという事など、有り得るのだろうか?
――それとも、レオポルドの私生児という因縁が本当にあるのか。ダレット家の後継者問題を混沌の渦に叩き落とし、レナードをも破滅させ、全財産を分捕る事で――おそらくは愛人の立場に落とされたに違いない、実の母親の復讐を遂げようとしているのだろうか?
シャイナは外国から来た令嬢という事もあり、カーティス夫妻との縁戚関係にしても、真剣に疑ってみると、相応に曖昧なのだ。シャイナが言及した通り、テンプルトン抗争の影響で当時の記録は混乱しており、得られる確証にも限りがある。
謎の絶世の美女、シャイナ。
まさしく、この世の者ならぬ女、ファム・ファタル――
*****
ヒューゴは、忌まわしき可能性に打ち震えながらも、救いを求めるかのように虚しく呟いた。
「誰が真実を言ってるのか混乱して来た……二重、三重の近親相姦……じゃ無くて、彼ら全員が、血縁詐欺師って事……?」
「ヒューゴがそう言う位なんだから、ダレット家の将来の混乱が、今から明確に想像つくよ」
エドワードは苦笑しつつ、無難な感想で応じるのみだ。
「ウカウカしていると、レナード自身の血統上の正統性にすら、疑惑が生じる羽目になるだろうな」
黒ネコ・クレイが面白そうな笑い顔をして、タイミング良く合いの手を入れるかのように、「ニャー」と鳴いた。この黒ネコ、人間の幽霊に憑依されたという『世にも奇妙な経緯』のせいで、何らかの知恵が付いているらしい。
*****
シャイナの陰謀により――今夜のうちにも、ダレット家にまつわる過去の因縁の数々が、凄まじいスキャンダルとして炎上する筈だ。
都のあちこちの社交場で、どのような黒いゴシップが飛び交うのか、想像するのも恐ろしい程だ。
貴族社会においては、曖昧な血縁関係は、それだけで致命的な隙となる。
ダレット夫妻が、ダレット家の財産を自由にできる嗣子の座を狙う、隠し子、私生児、血縁詐欺師たちに取り巻かれる事になるのは明らかだ。その更に後ろには、追い払っていた筈の借金取りやギャングたちの大群が、しつこく控えているに違いない。
若い頃のレオポルドは、地位と権力と財産に恵まれた絶世の美青年で、浮名が絶える事は無かった。不倫を伴うハーレムをたしなんでいたと言う華々しい過去さえある。レオポルドの私生児の数は、確実に10人以上は居るのだ。
レナードは、早々に『ダレット準男爵家の嗣子』の座から引きずり降ろされ、血縁詐欺師たちの群れに混ざる羽目になるだろう。
近い将来、アラシアが先頭となって、レナードやダレット夫妻をゴシップ攻撃するであろう事も、容易に予想できた。アラシアは、ナイジェルと結婚した事で金欠状態になっているのだ。
アラシアにも、ダレット家の社会的地位や全財産を分捕るに相応しい、正当な権利とチャンスがあるのだ――という事を、あの欲深な、かつ機を見るに敏なギャング=タイターが、アラシアに吹き込まない筈が無い。
*****
キアランが、いつものようなムッツリ顔で、シルクハットを直した。
「結局、彼らの真実は、迷宮入り……それもまた、結果の一つではあるだろうな」
エドワードが意外そうな表情を浮かべて、キアランを振り返る。
「冷静だな、キアラン」
「私の関与する問題じゃ無い」
「……あまり驚いていないように見えるぞ」
「一生分の驚きは、既に使い果たした」
キアランは、実にあっさりとした態度だ。
実際、キアランは、今さらダレット家にどんなスキャンダルが積み重なろうと、さほど驚きはしないという状況なのだ。
……やがて、エドワードは納得の顔を見せたのだった。
*****
夕陽の光が差すメインストリートをそぞろ歩いている内に、大きな広場に出る。
人通りの多い広場の真ん中に、首都が誇る大聖堂が、そびえ立っていた。
中世の面影が窺える、ゴシック風の大建築だ。数多の細い尖塔の群れに取り巻かれた本堂の上階層には、見事なバラ窓が見える。
マティが早速、新発明のカメラを構え、はしゃいでいた。マティの足元で、黒ネコ・クレイもニャアニャアと鳴いている。
ヒューゴがガイドをし、アンジェラとルシールは感心しつつ、歴史建築物を眺め始めた。
「本で知ってたけど、実際に見ると、また違うわね」
「そう言えば、アンジェラもルシールも、首都に来るのは初めてだよね」
「生きてる内に、実際に見られる日が来るとは思わなかったわ」
「バラ窓のステンドグラスは一見の価値ありなんだ。夕方の今のタイミングがベストかな。申し込めば見られるから、また時間が出来た時にでも」
「ええ、是非」
キアランは、ごく自然に、その方向を眺めた。
その黒く静かな眼差しの先には……バラ窓に見入るルシールが居る。
やがて、キアランは感慨深げに呟いた。
「……カーター氏が言っていた。『真実は時の娘』……と」
エドワードは暫し沈黙していたが、やがて親友ならではの、理解のある真摯な表情を浮かべた。
「時の娘、花の影……か」
エドワードは、深い奥底に閃いたものを、何とか言語化しようとして――目の前の大聖堂を見上げる。
バラ窓の周りを、定番の聖句が巡っていた。
――劫初 終極 界を湛えて立つものよ――
「……《迷宮》も、《花の影》も、世界が見せる『真実』の二つの相だな。生と死のように、二つの相は、一つの世界を構成する……」
――世界とは、《有限》の器だ。だからこそ、劫初なる物と終極なる物が――例えば、生の相と死の相が――あるのだ。愛と憎しみ。善と悪。成功と破滅。器と螺旋なす迷妄……色即是空・空即是色。
――煩悩即菩提。妄執と成仏が入れ替わる可能性を秘めている、この《有限》の器となす現実よ。宿業という名の、重い光明と暗黒の軌道よ。劫初と終極、界を湛えて立つものよ。
真実の愛とは言い知れぬもの。生と死の《迷宮》を超越して、成仏と救済への開花を促す……えもいわれぬ謎。
――世界とは、まさしく、《無限》から贈与された、「二つにして一つのモノ」であるのだろう。
エドワードはキアランを振り返ると、イタズラっぽい笑みを浮かべた。
「……多分、我々は幸運だったんだ――我が友よ」
キアランは無言で、ゆっくりとバラ窓を見上げる。
壮麗なバラ窓は夕陽に染まり、金色に輝いていた……
*****
一同は各々解散し、次第に夕宵の色合いに染まってゆく帰路に、歩みを向けた。
キアランがおもむろにルシールに腕を差し出すと、ルシールはやはり、いつかのように物慣れぬ様子で戸惑った後、キアランの腕を取った。
キアランはルシールをエスコートして街角を歩きつつ、ふと思い出したと言った様子で語り始めた。
「ギネス氏から、あのブローチの修理が済んだ……と連絡がありました」
「……?」
ルシールはキアランを見上げ、首を傾げた。
「品も到着したので、タウンハウスの方に転送してあります。別の言葉が、上書きで刻印されています……形見のブローチに相応しい言葉だと思いました」
「別の言葉?」
*****
クロフォード伯爵家が所有するタウンハウスにて。
都の土地は限られているため、各所にある大きなタウンハウスを、幾つかの貴族たちが分割所有している形だ。それでも、上流貴族の持ち物と言うべきか、地元の館に次ぐレベルの豪華さである。
喫茶室となっている小間に無事に落ち着いたルシールは、やがて、宮廷の業務から戻って来たクロフォード伯爵のお見舞いを頂いた。
ルシールの無事を確認しながらも、伯爵は、驚愕と安堵の入り交ざった溜息をついている。
「キアランは、事件の報告に行ってるんだ。今日は大変だったな……無事で良かった」
「お蔭様で……ご心配お掛け致しました……」
ルシールは困惑顔で、手に持っていた小包を、そわそわと撫で回した。
椅子に落ち着いた伯爵は、ルシールが持っている小包を不思議そうに眺め始める。
こうして、クロフォード伯爵は、ギネスから送られて来た、修理済みのアメジスト細工のバラのブローチを手に取り、少し変化した部分を目にする事になったのだった。
キアランが言及した通り、バラの形をしたブローチの金属部分には、新しい言葉が刻印されている。
「……『花の影を慕いて』……か」
クロフォード伯爵は感慨深げに呟き、ルシールに微笑んで見せた。
「ギネス氏も、粋な事をやるな」
夕陽は更に傾き、数奇な運命に翻弄された親子に、柔らかな光を投げ続けていた。
第七章「時の娘」終了
お読み頂きまして有難うございます。終章「夕映のエピローグ」に続きます。




