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花の影を慕いて  作者: 深森
第四章 レディ・アメジスト
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クロフォード伯爵邸…レディ・アメジスト(後)

夕陽がいっそう傾き、風は強く吹き荒れ始めた。


マティは子犬のパピィを背負い、いつもの大樹をスルスルと登って行った。枝に巻き付けたロープ細工に取り付くと、パピィがシッカリと背中にしがみついている事を確認し、ルシールの部屋のバルコニーに向かってロープを伝い始める。


「風が強いぜ! パピィ、静かにしてるんだぞ」


パピィは驚く程に賢い子犬で、ハラハラ&ドキドキの状況ながらも、指示通り大人しくしていた。


マティはバルコニーに無事に到着した。パピィをそっと降ろすと、いつものように毛布で寝床を作ってやる。次いでマティは、部屋の中の気配に気付いた。窓には予想通り、鍵が掛かっていない。


マティは手早く作業を済ませると、窓を開けてルシールの部屋に入った。


――ルシールはグッタリとした様子で、ベッドに倒れ伏している。


「寝てる? ルシール」


起きているのは確かなのに、返事が来ない。マティは首を傾げながらも、ルシールを観察し始めた。


風邪でもひいて熱が出たのか、ルシールの耳は不自然に赤い。それに、物凄い勢いでそこら中を駆け回っていたのか、きちんと結ってある筈の髪は、ほつれてしまっている。低い位置の枝葉にも引っ掛かっていたらしく、髪の毛の間に小さな葉っぱやその欠片が少し張り付いていた。


マティは暫し戸惑った後、ベッドに近付くと、改めて声を掛けた。


「何か顔色悪いけど、大丈夫?」


「うーん……頭痛が……」


ルシールは顔を伏せたまま、モゴモゴと頭痛を訴えている。


「風邪? ドクター・ワイルドを呼んだ方が良いよね?」


「大丈夫よ、風邪じゃ無いし……えーと、……低気圧が余計、響いてて……」


弁解しているかのような、しどろもどろとしたハッキリしない口調だ。マティは、頭の上に幾つもの疑問符を浮かべ始めた。


「低気圧?」


マティは窓の方を振り向き――そして、雨が急に降り出した事に気付いた。


夕陽の赤らみは既に消えており、時たま不吉な光を閃かせている黒雲が、空全体を覆っていた。墨を流したような黒さの中を、銀の矢のような雨が走っている。雨脚は、みるみるうちに強くなっていった。


まさしく間一髪で、パピィをバルコニーに連れ込めたのだ。マティは嵐に備えて、窓にシッカリと鍵を掛けて固定すると、改めて具合の悪そうなルシールを観察した。


「今夜のディナーは欠席って言っとくよ……これから寝るの?」


「多分……」


直前に何があったのか全く知らなかったマティは、暫く釈然としない顔をしていたが、ひとまずは物わかり良く納得して見せたのだった。


「分かったよ、お休み……また明日ね」


マティは、部屋のドアをそっと開いて、人目が無い事を確認すると、素早く部屋を出て行った。


*****


いつも通りの時間に、ディナーが始まった。


館の外では、雷雨を伴う春の嵐が始まっていた。時折、ビックリするような大きな雷が閃く。


「ライト嬢はどうしたんだ?」


「ライト嬢は欠席だそうです」


「さっきまで元気そうに見えたが……?」


給仕を続ける執事から、ルシールの欠席を知らされたプライス判事は、怪訝そうに首を傾げた。


「低気圧だとか」


「ああ、何か聞いた事あるような。嵐が接近すると、急に調子が悪くなるとか……」


プライス判事は納得したような表情になった。


そこへ、激怒の収まらぬアラシアが、キンキン声を上げて割り込んだ。


「あの女の正体は、吸血鬼なのよ!」


ライナスは勿論、隣の席に座っていた父親レオポルドでさえも、一瞬ビクッとして顔をしかめる程の、キンキン声である。アラシアは更に声を張り上げ、ルシールへの更なる侮辱を続けようとした。


次の瞬間、ギョッとするような凄まじい轟音と共に、雷が館の近くに落ちる。


食堂全体が震動し、アラシアのキンキン声がかき消えた。ライナスやレオポルドがホッとしたのかどうかは、此処では触れないでおく。


「おおッ! 凄い雷だな、マティよ!」


プライス判事は、隣に座るマティにウインクして見せた。


「こりゃ、結構ヤバイかも」


マティは、明るい茶色の目をいっそう見開いていた。余りにも凄まじい嵐であり、内心、ルシールの部屋のバルコニーに連れ込んだパピィは大丈夫なのかと、不安になっていたのだった。



ディナーも中盤に差し掛かった頃、館に来客があった。弁護士カーター氏だ。


急な仕事が入った事もあって夕食を取り損ねていたカーター氏は、執事の案内で、そのまま食堂に向かった。プライス判事が早速、カーター氏の出現に気付いて、驚きの声を上げる。


「おや……? カーター氏!?」


「ディナーの時分に、大変申し訳ございません」


カーター氏はディナー席の面々に、丁重に詫びた。


キアランはホストとして立ち上がり、カーター氏に空いている席を示した。プライス判事、マティと並び、ルシールが座る事になっていた席である。


「一席空いておりますから、お構い無く。ライト嬢が欠席ですので、ちょうど良いです」


「ライト嬢が? 私は彼女に、急用があったのですが……」


カーター氏は執事の手引きで所定の席に向かいながらも、驚きの声を上げた。


「内密の案件で?」


キアランの問いに、カーター氏は困ったような笑みを浮かべる。


「いえ。先日、舞踏会でナイジェル氏が骨折した件で。タイター氏が甥に代わって、ライト嬢を訴えているんです」


プライス判事は驚いたまま、ポカンとしていた。マティが早くも気を取り直し、素晴らしく要点を整理した。


「またギャング=タイターなの!?」


「さようで。直談判の上、示談にする必要があり……取り急ぎ、明日の約束を取り付けたところで……」


内心ホトホト苦り切っていたのであろうが、ベテラン弁護士カーター氏は、いつもの穏やかなポーカーフェイスに苦笑を浮かべただけである。


「ほほう! では、ライト嬢は再び町に直談判に出る必要があると……」


「しかも、明日……!」


マティのタイミングの良い補足もあって、ようやく事情を呑み込んだプライス判事は、改めて顔を引き締めた。


タイター氏は札付きの要注意人物であり、変な事をやらかさないように、前回のように前もって包囲しておく必要がある。


カーター氏は、プライス判事の無言の了解に、うなづいて見せた。


「さようでございます、プライス様。この前と同様に、こちらの馬車をお願い致したく……」



アラシアは奇妙に沈黙したまま、カーター氏の説明の内容を窺っていた。


*****


ディナーが終わった頃を見計らって、執事がキアランを呼びにやって来た。


「リドゲート卿……閣下がお呼びでございますが」


「父が?」


キアランは一瞬、呆気に取られたが、すぐに気を取り直して了解し、クロフォード伯爵の部屋に向かった。


廊下の途中でキアランは、ベル夫人と行き逢った。ベル夫人は、いつものように滑らかに道を開けて一礼して来る。


キアランは、不意にアントン氏の私信の事を思い出し、懐から取り出した。落とし物をルシールに渡すよう依頼すると、ベル夫人は、いつものように丁重な態度で、指示を受けたのであった。


キアランはクロフォード伯爵の私室に入った。ソファに座っている伯爵の前には、既にキアランのための席が出来ている。


「父上。私をお呼びだとか」


「ああ、まあ……ハッキリさせておきたくてな」


伯爵は曖昧な顔をしながらも、キアランにソファに座るよう促した。


「単刀直入に聞くが、キアランは、あの子をどう思ってるんだ?」


「どういう事です?」


前置き無しの急な質問だ。キアランは訳が分からず、ソファの背に手を掛けたまま、立ち尽くした。


伯爵は、南側の窓を指差した。その一瞬、黒雲の各所で遠雷が弾け、鋭い光が閃く。


「そこの窓から見えたんでな……あの子とは、一体どういう話をしたんだ?」


気を取り直してソファに腰を下ろしたキアランは、窓の方を見やり――その窓からは、まさしく南側の庭園のあずまやが丸見えであった事に気付き――珍しくも、言葉に詰まってしまったのだった。


暫し戸惑って顔を赤らめながらも、キアランは口を開く。


「ルシール・ライト嬢に求婚しました」


伯爵も何故か、キアラン以上に戸惑っている様子だ。途方に暮れたような溜息をつきながら、頭に手をやっている。


「……まあ、そりゃそうだろうな。こんな事を確認するのは馬鹿げてるし、信じられんが……どのように求婚したと?」


キアランは、あずまやで行なったルシールへの求婚の経緯について、いつものように、『クソ真面目に』説明したのだった。


「彼女のローズ・パーク相続案件が長引いているのは、父親不明という要素が大きいためです。裁判で有利を取れる条件となると限られていて、既に相応の紳士と結婚しており男子の子孫を持つ事が確実な状態である事が必須になります。それで、私が申し出ました。……ローズ・パーク相続における利点は、案外素直に理解していたようですが、ダレット家との関係を誤解した節があるので、その辺りは改めて説明する予定です」


伯爵は顔を伏せて、沈黙したままである。そこに更に手をやっているため、表情は全く分からない。


「私としては、彼女の気持ちが定まらない限り、諦めるつもりはございません。彼女がレオポルド殿の私生児だったとしても、一向に構わないのです。むしろ、それならそれで……一部の親族たちを、納得させる事も可能でしょう」


そこで一旦、キアランの言葉が途切れた。


――ルシールの実の父親がレオポルドである可能性は、ほぼ90%以上の確率で確かなのだ。


私生児ではあるが、ルシールは、元の血筋から言えば次代クロフォード伯爵夫人の候補たるアラシアと同じ立ち位置になる。偶然とはいえ、嗣子相続に関する難しい法的基準を、キッチリと満たしているのだ。血縁関係の公認には手こずるだろうが、ルシールを伯爵夫人に迎えるという未来が、もしも、可能ならば――


……クロフォード伯爵は、奇妙な程に無言であった。


キアランは自分の行動の意味を悟り、歯を食いしばって、うつむくしか無かった。よりにもよって、伯爵の正式な客人に求婚した。本当に手は出さなかったにしても、それに近い行動ではある。伯爵が怒り狂ったとしても当然なのだ。


「客人に対して、一線を踏み越えている事実は承知しております」


キアランが硬い声で呟いた後、気詰まりな程に長い沈黙が、更に続き――そして、伯爵がようやく口を開いた。


「――実に、私が思ってる以上にバカなヤツだな」


糾弾を思わせる内容とは裏腹に、伯爵の口調は、意外な程に穏やかな物だった。


驚いて顔を上げるキアラン。


頭を抱え込みながらも、伯爵は心底、呆れたと言ったような様子で言葉を続けた。


「そこまで徹底して堅物だったとは……お前は、女の子を分かっとらん!」


キアランは暫し、伯爵の言葉の意味を考え……目をパチクリさせた。


「反対では無いと言う事ですか?」


「お前の事務的な求婚のやり方に、呆れただけだ!」


「承諾、有難うございます……父上」


伯爵が全く怒っていない――と言う事実にキアランは戸惑いながらも、堅苦しく一礼したのだった。



ほぼ同時に、執事が伯爵の部屋の前にやって来て、「失礼いたします!」と部屋の扉をノックし始めた。


「カーター氏が別件で来られているのですが……お会いになられますか?」


ディナーが始まる前のタイミングで、伯爵はカーター氏を急用で呼び付けていたのであったが、弁護士呼び出しの連絡を担当していた執事は、今頃になって、その事を思い出したと言う訳なのだった。


「即刻、連れて来たまえ! クレイグ殿も一緒にだ!」


伯爵は即座に答えた。


既に控えの間で弁護士カーター氏とクレイグ牧師が待機しており、執事の呼び出しに応えて、二人はすぐに扉の前に姿を現した。扉の前で彼らと入れ替わりながらも、キアランは怪訝な思いで、二人を眺めるばかりだ。


クレイグ牧師は一体何があったのか、夕方以降、奇妙な表情をしたままだ。


しかし、伯爵の部屋に入ったカーター氏は、いつものように丁重に一礼している。


「夜分、失礼致します……閣下、緊急の件だそうで」



執事がおもむろに部屋の扉を閉じている間、伯爵とカーター氏の会話が、キアランの方へも洩れ出していた。


「カーター氏の報告書には、重大な抜けがあるようだ」


「……はい?」


「ルシール・ライトの出生データに関わる、四ヶ月のズレだ!」


「あ、あの件ですね。修正報告書が到着してから報告する予定だったのです。ローズ・パーク相続に関する限り、その要素は、さして重要では無く」


「これ以上、重要な件があるか!」


館の外では、更なる激しい雷雨が始まっていたが、クロフォード伯爵は、雷鳴をしのぐ程の大声で遮ったのであった。

第四章「レディ・アメジスト」終了


お読み頂きまして有難うございます。第五章「仮面舞踏会」に続きます。

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