表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/11

ネイルしようぜ

「あー……いや」


 男が立ち止まって、頭をななめに傾け、首のあたりの皮をつまんで揉んだ。


「まあそのなんていうか最近さ親が死んで、それは別にどうでもいいんだけど、気の毒がられたいわけじゃなくて」


 ほとんど独り言みたいに、ぼそぼそと、しゃべった。


「まいっちゃったよ。もう風俗行けないしタバコも買えないじゃん。遺族年金? っていうのも、俺ずっと一緒に暮らしてやってたのに、なんか俺さあ貰えないみたいで」


 感情がきれいさっぱり消え去った声だった。


「んで俺はるちゃんにチェキもドリンクもすっげえ入れたじゃん? それさー、返してくれないかと思って。だから別に付き合いたいとかじゃないんだよな。純粋に金の問題で」


 言っていることが何一つ理解できなかった。私は更なる罵倒の弾を腹の底に装填して、解き放とうとして、すぐさま息をのんだ。

 くしゃくしゃの紙袋の中から、男が包丁を取り出したからだ。


 急速に現実感が薄れていった。夢の中とか物語の中に移動したみたいな地に足着かない感覚だった。

 え、うそだろ?

 なに? 殺されんの? ここで? ストーカー殺人事件一覧で検索したら私の名前とこの辺の地名がサジェストされるようになんの?


 刃物を手にした男がふらふら近寄ってくる。逃げることもダフネを守ることもできずに私は石みたいにじっとしている。


 五歩まで詰められて、不意に男が走り出す、ダフネが私を突き飛ばす、私はしりもちをつく、ダフネの腹に包丁が突き刺さってずぶずぶ沈んでいくのを私は見る、ダフネが男に寄り掛かるように上半身を倒す。


「あっああああ」


 男は口から、風船が萎むような音を漏らして包丁を引き抜こうとして、その腕をダフネが掴む。


「れっ、いっ、じょう、たるものっ」


 ダフネは男の腕を両手でがっちり握ったまま、腰を落として両脚を広げた。


「わたくしにっ! 叛意を抱くガラクタは! ジャンクヤード送りにしませんとねえ!」


 吠えながら、男をぶん投げた。男は頭を下にすっ飛んでフェンスをぶち破り、なんか機械みたいなものに激突して地面に落ちた。

 それっきり動かなかった。


「……くたばりあそばせ」


 呟くと、ダフネは膝から崩れて仰向けに倒れた。


 それらすべては客観的には数秒のうちに、主観的にはほとんど永遠の時間をかけて発生し、私はその永遠から数秒あと、ようやく我に返ってダフネのところまでいざっていった。


「ばか」


 私はダフネにすがりついた。


「ばか! なにやってんだ、ばか!」


 おでこにおでこをくっつけて、涙がぱたぱたダフネの顔に落ちた。


「怖かったくせに! 本当は弱いくせに! 私のくせに! なにやってんだよお……」

「まーじでくっそびびりましたわ」


 ダフネがぱちっと目を開けてなっがいなっがいまつ毛が私のほほをふぁーってなでた。


「ワーーーーー!!!!???!!!!!!!」


 私は絶叫して飛びのいた。ダフネはむくりと身を起こし、包丁を引っこ抜いてそのへんに投げ捨てると、傷のあたりをさすった。


「ごめんなさい。驚かせてしまいましたわね」

「おっえいやっ、なに、驚くもなにも……え? 生きて?」

「たしかにぶすっと刺されましたけれども、まあわたくし、人間ではありませんから。なんなのかは分かっていませんけど」


 え、そうなの? それはまあ、超自然的に発生した謎の存在ではあるけど、そんななんか、刺突無効みたいな特性が……?

 あまりにもあらゆることが受け入れがたく、呆然とする私に向かって、ダフネは困ったように笑った。


「本当は津田さまのときも怖かったんですのよ。洵子のおっしゃるとおりですわ。でも――」


 ダフネは立ち上がってドレスの汚れを払い、私に手を差し伸べた。引っ張られて立ち上がった私の胸に、ダフネは顔をうずめた。


「でも、わたくしならそうするって、思いましたの」


 震えるダフネを、私は抱きしめた。声を殺して泣くダフネの背中を私はなでた。私だったらそうされたいだろうなってやりかたで。


「ほら、心音ASMRだぞ」


 私がふざけて言うと、ダフネは泣きながら笑った。


「EDMですわ」

「そりゃね、殺されかけたしね今しがた。心臓もぶち上がってるわ」

「う……」


 男のうめき声がして、私たちは二人の世界から脱した。

 気づけば周囲には人だかり……というほどではないけれど、心配そうな表情の人たちが五人ぐらいいた。


「あの、大丈夫ですか? 警察呼びましょうか?」


 女の子と男の子の二人組が、おずおず近寄ってきて、声をかけてくれた。


「お願いいたします! 悪質なストーカーですわ! わたくしがやっつけましたけれども!」

「はい? え、そうなんですね? 警察は、じゃあ、ええと」


 男の子が面食らった。


「お呼びになって、ご親切な方!」

「祥子、俺警察呼ぶから、この子らになんか飲み物買ってきてあげて」


 男の子が女の子に声をかけた。


「分かった! あの……うちの祐介、格闘技やっててめっちゃ強いからね。なんかRIZINとか出てる」

「出てないなあRIZINは」

「だから、ね! 安心してねお姉さん。もう大丈夫だから!」


 女の子は私とダフネの手をぎゅっと握り、ふんす! みたいな顔をすると、自販機までものすごい勢いでダッシュしていった。

 なんだか突然ものすごい善意に触れて、私はうっかり泣いてしまった。


「――あ! バイトの時間ですわ!」


 ダフネがいきなり叫んで、付けてもない腕時計を見るふりしてから、一目散にダッシュしていった。


「……バイト?」


 男の子がなおいっそう唖然とした。


 まあ、ダフネがいたらこの面倒な状況がより意味不明になるよな。いい判断力してるわ、わたくし。




 んで、それから。

 ストーカーは逮捕された。警察の聴取があったけどダフネはばっくれた。幸い、今回は誰も動画化しなかったみたいでバズらなかった。地方都市の衰退ぶりに感謝だ。


 とにかくいろいろあって、そのうちいくつかは今なお進行中なんだけど、私は今日もどうにか日常をやっている。




【おてもと】おネモですわ!【月桂樹が丘ダフネ/ぶいばーす】




「領民のみなさまごきげんよう! ぶいばーす所属の悪役令嬢、月桂樹が丘ダフネでございますわー!」



 ごきげんよう!

 うるせえ!

 ごきげんよう!

 なんだこの手袋w

 ゴム手袋草

 ハイターでも使うのか?w

 ごぼう洗うやつでしょこれ



「あらためまして、まずは登録者数十万人! ありがとうございますわ! ひとえに領民のみなさまのご献身あってこそ! ありがとうございますわ! ぱちぱちぱちぱち!」



 ぺちぺちぺちぺち(ゴム)

 アシカの拍手

 だから手袋w

 猫のブラッシング用じゃん

 絶対パーツ無くす



「さっきからなんですの!? 人の感謝を遮って……ええ? 手袋? 他に手袋なんて静電気防止のしかございませんわ! パソコン組み立てるときの!」



 それにしろ

 それでいいよw

 今すぐ変えてこい

 厚手すぎる

 ダフネ自作PC令嬢だったんか



「まったくもう……令嬢たるもの、愚民の陳情に耳を傾けてこそですわね! お待ちあれ!」



 愚民呼ばわりで草

 賢臣なんだよなあ

 思い出したような悪役令嬢要素

 椅子君迫真の軋み音

 蓋絵まちがってますよ

 ごめんあそばせ!

 ごめんあそばせ!

 おハーブ

 ダフ姉さま今日の配信も最高でしたわ!

 ごめんあそばせー



「ああー間違えた! いっつも全てがぐっちゃぐちゃ! 領民のみなさま、どうかいなくならないでくださいませ!」



 配信部屋を飛び出すと、リビングにダフネがいた。スウェットワンピでソファに横たわり、麦チョコをほおばりながら安いスマホの画面を見ている。


「ゴム手袋だめだってさ」

「最高ですわ! 掴みから持っていきますわねえまったく!」


 ダフネは今日もめちゃくちゃ褒めてくれる。私は苦笑して自室に戻り、棚から手袋を取り出した。



「お待たせいたしましたわ! 本日はこちら! おネモを組み立てていきますわ! 無事にできあがるのか、今からもう不安で不安で仕方ありませんわ!」



 やってみせろよ、ダフネ!

 見せてもらおうか

 ガンプラ知りませんけれどダフ姉さまがんばってくださいませ!

 なんでネモw



「――無事に完成いたしましたところで、本日は終わりにしたいと思いますわ。領民のガンプラおじさま、ど平日のど昼間から本当にありがとうございました! それでは、ごめんあそばせ!」



 ごめんあそばせー

 ごめんあそばせ!

 次はジュアッグだな

 おてもと配信楽しかったですわーごめんあそばせ


 



 できあがったネモをその辺に置いて、片付けして掃除して撤収。

 リビングは無人だった。お父さんは寝てるし、ダフネは部屋に引っ込んだみたいだ。


 配信が終わって、むずむずするような高揚感がまだ残っていて、なにかやりたい気分だった。私はダフネの部屋の扉をノックした。


「ダフネ、いる? 入るよ」

「はいー」


 扉を開けると、ダフネは布団に寝っ転がって麦チョコを吸っていた。スウェットワンピがめくれてだっせえ綿のパンツが見えてる。


「布団で麦チョコ食うなよ」

「あらあら。んむっふっふ」


 ダフネは麦チョコを食べきって袋をそこらへんにぽいした。笑ってごまかすことあるのか、ダフネ。


 私はすこしだけちゃんとするようになって、ダフネはすこしだけだらしなくなった。お互いにちょうどいい距離を、たぶん、私たちは見つけ出しつつある。


「どうしたんですの?」

「ネイルしようぜ。お揃いで」

「んまあ!」


 ダフネは飛び上がった。


「しましょうしましょう! 今! すぐにでも!」


 爪まわりにぼさぼさ茂る甘皮を処理したり、がったがたの爪表面を手入れしたりなんだりしたあと、私たちは私の部屋に移動した。


 明日も早朝の納品があるし、下地ははがせるやつ。

 キャップを外すと、マニキュアともまた違う独特の臭い。ちっちゃいはけで、爪にすっと乗せる。爪と皮膚の境目にはけの先がちょっと触れたときの、ひんやりしてちくちくした感じ。はけが爪を撫でていくときの、遠くでくすぐったい感じ。


「まあお上手! さてはやってましたわね!」

「やってたんだよ。これまじで固まんの?」


 机の上には、プリキュアのおもちゃみたいなちゃちなプラスチックの機械がある。ダフネが買ってきてくれた硬化ライトだ。セリアで売ってたらしい。


「分かりませんわ!」


 ダフネは元気よく返事した。


「まあそうだろうね」


 指を突っ込んでスイッチオン。LED点灯。数十秒。


「うお」


 下地はばきっと固まっていた。知らん内に進むな、技術革新。


「おめでとうございますわ! すごい! えらい!」


 ダフネが拍手してくれた。なんなら褒めないんだよ。


「やらんの?」

「わたくしは、その……見てますわ!」

「やり方わかんないのね。手出して」

「へ、へへ……」


 ダフネは気まずそうな薄笑いを浮かべ、手を差し出した。この世のものとは思えん透明感だなダフネの爪。ネイル要らんだろこんなん。


 下地を塗って、ばきっと固めたら、なんかふつうにピンクのを二度塗りして、ラメざっくざくでうっすらベージュのトップコートをやって完成。


「ほおおおお……」


 ダフネは手をグッドボタンみたいにして、仕上がった親指を眺めた。


「手」

「はいですわ!」


 計二十本か。めちゃくちゃ時間はかかるけど、自分の爪も人の爪も、触ってるのは楽しい。


「小学生のころさ。二年か三年か忘れたけど」


 自然と、私はどうでもいい話をしはじめている。


「おばあちゃんとどっか行って、どこだったかな。とにかくマニキュアのガチャガチャがあって、お願いして回してもらった」


 スイッチぽん。数十秒。


「家帰ったらおばあちゃんがマニキュア塗ってくれたんだよね。こういう、ラメざっくざくの安いやつ」


 できた爪を、指の腹でなぞってみる。つやつやでぷりぷりの触感。


「そうでしたの。素敵なおばあさまですのね」

「たしかエステティシャンかなんかだったと思う。んでもう、ちびっ子大はしゃぎよきらきらの爪に。ラリってた可能性あるなトルエンで。テンション上がりすぎて走り回ってたら、なぜかおばあちゃんがめっちゃ嬉しそうにしてて、なんで? って聞いたんだよね」

「なんてお答えでしたの?」

「自分のやったことで人が喜ぶと、すごくうれしいんだって。はぁあーって思った。なるほどそういうもんなのかって。まあその……そういう道徳の授業みたいな話」


 照れ隠しに一言付け加えると、ダフネは、うんうんわかってるわかってる。の顔でにやにやした。腹立つな。


「はい終わり。お疲れ」

「ありがとうございましたわ! ねえねえ洵子、いかがですか?」


 ダフネは顎ピースしてネイルと顔面を余すところなく見せつけてきた。


「ガチ恋確定演出やめろ」

「んむっふっふ。ほら、洵子も」

「はいはい」


 私たちは顎ピースしたまま向かい合い、それがなんだか滑稽なありさまで、ふたり同時に笑ってしまった。


「どれ、見てみるか」


 私は机に手を伸ばす。ずっと壁を映していたスタンドミラーをくるんと反転させる。

 鏡には、あまりにも美しすぎる顔面と、あまりにもガラクタすぎる顔面が並んでいた。

 それから、ぴかぴかの爪。


 まあ、なんか、そんなに悪くはないんじゃないかな。



 そのうちちゃんとした筆を買って、ネイルチップ作って、磨いたアゲートみたいな爪にしよう。

 ダフネにもやってやらなきゃな。きっと喜んでくれるはずだ。


 リアル受肉した悪役令嬢Vチューバーを、たまには私があほほど甘やかしてもいい。


リアル受肉した悪役令嬢Vチューバーにあほほど甘やかされる私 おしまい!

お付き合いありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] おなかを攻撃されてもぜんぜんだいじょうぶ! いや茶化してすいません。かわいいお話でした、完結お見事さまです!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ