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ガラス細工とファーストキス

 私は子どもの頃からオセロが苦手だった。

 黒という色がなんだか怖くていつも白を選んでいたが、ゲーム終盤には盤面は真っ黒で。

 悔しくて両親に何度も挑んだのだが毎回結果は同じだった。

 今更ながらに、どうしてあそこまで弱かったのかを分析すると、きっと目先の枚数に飛び付いて角を取ることを軽視していたからだという結果に落ち着く。

 角を取れば良いんだよ。

 こんな風に何回もアドバイスされたが、オセロでの角の重要性は周知の事実なので簡単には取らせてくれない。

 細かいことでリードしていても、最終的に1手で返されることが何度も続いた。

 そして、それは有栖とのデートでも同じであるのだ。





 昼食を食べ終わった私たちは駅前を少し離れたところにある商店街に足を伸ばしていた。

 ここには服屋だけでなくちょっとした雑貨屋や喫茶店もある。

 午前中と同じように服屋や雑貨屋を回り、少し疲れたら喫茶店に入って紅茶とお菓子を楽しむ。

 デートとしては中々に退屈しない場所だ。


「わー、見て見てー。この小物入れかわいいー!」


 喫茶店から出て再び買い物を楽しんでいると、小さな雑貨屋のウィンドーに飾られている取っ手が犬の小物入れに目が行った。

 ガラスで出来た入れ物に、ガラス製の犬が付いている一品だ。

 お座りした犬が賢そうで、それでいてとても可愛らしく見える。


「ちょっと入ってみようか」


 それは有栖の琴線にも触れたのか、私たちは雑貨屋に入ることにした。


「いらっしゃい」


 中にいたのはレジのところに座ったお婆さんだけだった。

 私の祖母と同い年に見える彼女は膝掛けをして、横に置かれているラジオの声に耳を傾けている。

 ラジオから流れている曲を私は知らなかった。

 店内はガラス細工や人形などの壊れやすい物がたくさん並べられていて、気を付けて歩かないと服の裾に引っ掛けて落としてしまいそうである。


「うわー、すごいね。こんなにたくさん……」

「何回かこの商店街に来たことがあるけれど、初めて来たよー」


 外からの光がガラス細工に反射してキラキラと光っていた。

 素人目からはどうやって作るのか想像もつかない動物の置物を中心として、スノードームやどこかの民芸品のような物まで多彩である。


「お嬢ちゃんたち。何かお探しかね?」


 あの犬の小物入れはどこにあるのかキョロキョロと見渡していると、レジに座っているお婆さんに声をかけられた。


「あの、店の外から見える場所に置いてある、取っ手が犬の小物入れってどこにありますか?」

「あー、あれねぇ。えーと、どこだったかねぇ」


 お婆さんは、よっこいしょと声を出しながらふらふらした足取りで店内を歩き始めた。

 その足元のおぼつかなさに机や棚にぶつかって商品を落としてしまいそうでハラハラしながら見ていたが、流石に店の人だけあって全てを避けていく。

 てっきり、店の奥から小物入れを取り出してくるのかと思ったが、お婆さんは飾られている小物入れをそのまま持って来た。


「これで大丈夫かい?」

「はい、ありがとうございますー!」

「あの、すみません。これと同じ物ってありますか?」


 彼女もこの小物入れが気に入ったのだろうか、有栖が問い掛ける。

 しかし、お婆さんは申し訳無さそうな顔をして、こう返した。


「あぁ、悪いねぇ。うちは同じ商品は2つ以上置いていないんだよ」


 その言葉にふと店の中を見渡してみると、確かにたくさんの種類がある商品のなかでも同じものは2つと無いことに気が付く。

 それは大量生産品ではなく、1つ1つが手作りであることを意味しているのかもしれない。


「この店の商品ってお婆さんが作っているんですかー?」


 お婆さんは、まさかと首を横に振った。


「私が作っているのもあるけどねぇ、大半は知り合いが作った物なんだよぉ。ちょっと待ってね」


 お婆さんはレジに戻ると、引き出しをごそごそと探って、1枚の写真を取り出した。

 2人の女性が写っている写真はかなり古くて、少しよれていた。

 私たちがまだ生まれていない日付が写真の右下に記載されている。


「左が私で、右が私の友人でねぇ。友人はガラス細工がとても上手くて」


 写真の中の2人は寄り添っていて、本当に仲が良いんだなと思わせた。


「ここにあるガラス細工は全てその友人が作った物でねぇ、その小物入れも取っての部分は友人作なんだよぉ」

「凄いですね。とても綺麗で、繊細でー」


 1つ1つの輝きに私は思わずうっとりとしてしまう。

美しいものはこうも人の心を惹き付けるのか。


「でも、少し頑固なところがあってねぇ。同じ商品は作らなかったんだよ」

「どうしてですか?」


 お婆さんは少し懐かしそうに続けた。


「確か、儚くて壊れやすいガラス細工が世界に1つしかない物だったら、より大切にするし、愛着も湧くからって言ってたかねぇ。売る側からすれば、売れるものはたくさん作って欲しかったけれども」


 冗談っぽく言うお婆さんだったが、私はその言葉に心を揺らされた。

 ガラス細工の作り手の愛情を感じたからだ。


「さてさて、昔話もこれくらいにして、この小物入れはどうするのかえ?」

「楓花、買いなよ」


 私の肩を軽く押す有栖に、少し遠慮してしまう。


「でも、有栖だって欲しいんじゃないの? さっき同じ物をって」

「あれは気にしないで、本当に欲しい楓花が買えばその小物入れも喜ぶと思うから」


 その言葉と裏腹に、ジロジロと小物入れを凝視する有栖。

 どうしたものか困っていると、急に店のドアが開いた。


「こんにちはー」


 緑のつなぎと帽子のお兄さんが入ってくる。

 宅急便のお兄さんはレジまでゆっくりとダンボールを運び、慎重に置いた。

 段ボールの箱には“割れ物注意”というシールが貼られている。


「サインお願いしまーす」

「はいはい」


 お婆さんは万年筆を取り出すと、サラサラとサインをする。

書面は見えないけれど、きっと達筆なのだろうなとイメージした。

 お兄さんは、腰に着けた機械で受取証を発行するとお婆さんに渡して颯爽と出て行く。

きっと、次の配達先が待っているのだろう。

 

「あら、噂をすればだね」


お婆さんに手招きされた私たちがダンボールを覗き込むと、緩衝材がぎっしりと詰められていた。

 一見しただけでは、中身が何かまで分からない。


「えと、これは何ですか?」

「壊れ物……って書いてますけどー」

「あぁ、確かにこれじゃあ分からないねぇ」


 そう言いながら、ポイポイと緩衝材を取り除くと、中からはガラスで作られた工芸品が沢山出てきた。


「さっき話していた友人からさ。こうやって不定期だけど、自分の作品を送ってくれるんだよ」


店に並んでいるような動物の置物から、普通の皿や器が沢山ある。

工芸品を見る目に長けている訳ではないが、どれもが輝いて見えた。


「相変わらず、動物が好きだねぇ。売る物が似たり寄ったりになるじゃないか」


その言葉は、売る側の文句が込められているニュアンスが含まれていたが、不定期に届けられる友人からの贈り物にお婆さんは目を細めていた。

その裏腹さに私たちは気が付いて、こちらまで微笑んでしまう。

お婆さんとその友人がどれだけの時間を共にしたかは分からないが、私と有栖もこんな風につながりを持ち続けられたらなと思う。


「おや、これは……ちょっとお嬢ちゃん。あ、短い髪の方ね。ちょっといらっしゃい」


短い髪、ということは有栖が呼ばれているのだろう。

私たちは一瞬だけ顔を見合わせ、有栖はお婆さんの方へ寄って行く。

すると、私には聞こえないほどの声で密談を交わし始めた。


「え、そ、そんなこと、私言ってないです……」

「確かに─────顔は──────してたよぉ」


有栖は何故か焦っていた。

離れた場所から見ても、耳が赤らんでいることが分かるし、密談から一転してよく聞き取れる声になっている。


「ほら、どうするんだい」

「あ、えーと…………」


2人は私の顔をチラチラと見ながら、話し合いを続けている。

どんな会話をしているのか皆目見当もつかない。

しばらく2人を観察していたが、とうとう有栖が諦めたような顔をして、何かを購入した。

ここからだと何を購入したのか分からなかったが、新しく届いた箱から出した商品ということは分かった。


「楓花も買いなよ」

「え、でも、有栖は……」


 結局その問題がまだ解決していないのだが、有栖は真っ赤な顔で先ほど購入した物が入っている袋を持ち上げながら、


「私はもう……買ったから」


と小さく呟いた。

 あまり納得がいかなかったが有栖が良いと言ったので私も小物入れを包んでもらった。

 丁寧に包まれた小物入れを入れた袋は確かな重みがあったが、それは単なる重みではなく幸せの重みだった。


「ふ、楓花、早くいこ……」

「はいはい、またおいでね」


 お婆さんに見送られながら、急に手を引かれて外に連れて行かれる私。

 その手がしっかり恋人つなぎだったのが嬉しかった。





「有栖、どこへ行くの?」


 店を出てからしばらく早歩き状態の私は、有栖の手の感触を楽しみながら彼女に問い掛けた。

 空は既にオレンジ色に染まっていて、時計を見なくても夕方なのかなと感じさせる。

 秋の夕暮れは既に肌寒いと思わせるほど冷えている。

 1人暮らしの私はあまり関係ないが、いつも千幸ちゃんたちの夕食を作っている有栖にとってはそろそろ帰らなければならない時間だろう。

 

「ちょっとね。楓花に見せたいものがあって」


 そう言って連れて行かれる方向は商店街を、街から離れていくものだった。

 “見せたいもの”と聞くと、ドキドキする。

 それはやはり相手が大好きな有栖であるからだろう。

 私たちはずっと手を繋いでいた。

 そのことを有栖に指摘したら顔を真っ赤にする彼女を見ることができるだろうけれど、手を離したくないからそんなことは言わない。

 商店街を離れ、途中でバスに乗って、本来降りるバス停のかなり手前で降車した。

 有栖は時々会話をするけれど、多くの時間を外の風景を眺めることに費やして、バスに乗っている途中も行先について何も教えてくれなかった。

 そのバス停は、今まで降りたことのない場所で、周りにどんな店があるのかも知らない。

 どこか行きたい店でもあるのかと思っていたが、賑わっている場所とは反対の場所を私たちは歩いて行く。

 会話も無く、ただ土の道を靴が擦る音だけが既に暗くなりつつある辺りに響いた。

 2人の足音が混ざり合って、まるで会話しているようで少し楽しい。

 10分ほどそんな時間が続いて、辿り着いたのは小高い丘の上だった。

 公園というほど立派でもないその場所は、ただ木製のベンチが置かれているだけで他には何もない。

 それでも柵から身を乗り出してみると、街が一望できるだけの見通しの良さがあった。

 多くの家や店が点けている照明と夕暮れのオレンジが見事に調和している。


「きれいだねー。こんな場所があるなんて知らなかったなー」

「楓花」


 私が風景を楽しんでいると、有栖が少し真剣味を帯びた声で私を呼んだ。


「なに?」

「あのね、これ見て」


 手渡されたのは有栖が雑貨屋で買った袋だった。

 ベンチに座り、袋から中身を取り出してみると緩衝材にくるまれていたのは小物入れで、一瞬、私が購入した物と同じものと思ったが、犬ではなく背を伸ばしたガラス製の猫が蓋に付いていた。

 

「どうしても、楓花と同じ物が欲しかったんだけどね。あの店には同じ物は売ってないって聞いたから」

「じゃあ、あの時お婆さんと話していたのはこれを買うためだったんだねー」

「うん。届いた荷物の中にたまたま同じような小物入れがあったんだって。だから売ってもらったんだ」

「そうなんだ……ん? じゃあ何であんなに顔を赤くしていたのー?」

「そ、それは……」


 有栖は急に立ち上がり、あの時と同じように顔を赤らめて視線を外した。

 それを許さないように、私も立ち上がり回り込んで彼女の顔を覗き込むとまた目を逸らす。

 このやり取りが面白くて何回か続けていると、観念したように有栖は私の両肩を掴んだ。


「どうしても、楓花と、楓花と同じ物が欲しかったんだ。初デートだから……初めてのデートだったから2人の記念になるような物が」

「有栖……んっ」


 私の唇が塞がれる。

 夕日を背に気持ちがどこかへ飛んで行ってしまいそうなキスだった。

 両肩を掴んでいた手は、私の背中へと回り唇だけでなく身体と身体が触れ合うと、つい全身の力が抜けそうになる。

 有栖に支えられているから大丈夫だが、手を離されるとその場に座り込んでしまいそうだ。

 ああ、やっぱり有栖とのデートはオセロと同じ。

 細かいことでリードをしても、たった1手で逆転される。

 あれだけ、彼女を赤面させて照れさせたところで、こんな風にたった1度キスされてしまうと自分の足で立っていられないほど心をとろけさせてしまう。

 唇同士が離れると、名残惜しい気持ちが広がった。


「あの日の言葉、覚えてるかな? ファーストキスはロマンチックにやりたいって。ファーストキスじゃないけど、恋人になってからの初めてのデートでのキスは夕日を背にしてロマンチックにやりたいなって思ったんだ」

「うん、覚えてるよ。そして、とってもロマンチックなキスだった……」


 泣いてしまいそうなくらい気持ち良く、深く脳裏に刻み込まれる。

 そんなキスだったことに間違いはない。


「私は、雑貨屋さんのお婆さんとその友だちみたいに、楓花と一生の仲でいたい。楓花はずっと一緒にいてくれるかな?」

「もちろんだよー! またこうやってデートに行って一緒にご飯を食べてお揃いの物を買って……そして、今日みたいにロマンチックにキスしよう。ん……」


 今度は私から有栖にキスをする、有栖の身体を抱きしめる。

 空はそろそろオレンジから黒へと変わりつつあった。

 私は今日という日を一生忘れないだろう。

 有栖にとっても、一生忘れられないような日になれば良いなと強く願った。

たくさんの閲覧をありがとうございました。

次回投稿から別のお話を投稿していきます。

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