後編
イグニスがニーナと別れてから早くも一か月の月日が流れた。
イグニスは診断してもらった病院に行くと怪我は完治していることがわかり、無事に胸部の固定器具を取り外してもらえた。
そして今日は怪我が完治したことをカイルに伝えようと決めた日だ。骨にひびが入った状態で任務に参加できるはずもなく、できるだけ早く治すため家に引きこもっていた。そのため、カイルたちに会うのも一か月ぶりである。
久しぶりの再会ということもあり多少わくわくしながら出発の準備をしていると、不意に扉を叩く音が聞こえた。
誰だ、と疑問に思いつつもはーいと返事をし、扉に駆け寄る。ドアノブをひねり、扉を開けると二人の少年が目に映った。
トラウムとベルドだ。彼らは週一回の頻度でイグニスの家に来、筋力が衰えないように胸囲を動かさずに行うトレーニングを手伝ってもらったり、治療中不便なことの手助けをしてもらったりと何から何まで手伝いをしてくれていたのだ。
「よう、イグニス。予定通りに治療は終わったか?」
「ああ、おかげさまでな。ほら」
シャツを捲り、固定器具がないことを見せつける。
よかったなとトラウムが、よかったねとベルドが祝辞の言葉を送ってくれた。
腕を下ろし露わにしてた胸部を隠し、ふと疑問に感じたことを口にした。
「どうしてオレの家に来たんだ? 今日は来ない予定だった気がするんだが」
「そろそろお前の治療が終わると思ってな。祝いついでにこいつでもやりたくなってな」
少年は微笑むと同時に腰に差した木刀を握った。つまり、木刀のぶつけ合いがしたいのだろう。
カイルに完治したことを報告する用事もあるが、別に急ぐ必要はない。午後から行っても今日中に伝えることはできるだろう。
それに、治療中に手伝ってくれた恩を返さずにいられなかった。だから、
「いいぜ。今回こそ負かせてやる」
部屋の隅に立てかけてある木刀を手にし、トラウムと共に近くの公園へ向かった。
イグニスたちが向かった広場は、石のタイルが何枚も敷き詰められ四方五十メートル近くの広さを持ち、青々とした林に囲まれている。風が吹く度に草木は傾き擦れ、落ち着く音を奏でることで周辺の住民には有名な場所である。そのため、辺りには数名の人がいた。
しかしその内の若干名がしていることは心を休ませることなどではなく、武器を用いた練習だった。この広場は他の広場と比べて管理がしっかりされており、石のタイルのおかげで足元が安定し、訓練所みたいにお金を払わずに武器の扱いを練習するのに適しているからだ。
なので、休んでる人や訓練をしている人がいない場所を選び、トラウムに聞く。
「ここらへんなら大丈夫だよな?」
「ああ、大丈夫だろ」
トラウムは腰に差してあった木刀を抜くと、首をベルドに向けた。
「ベルド、すまんが危ない位置に人が入ってこないように注意するのと、俺たちが熱くなって危なくならないよう頼む。最悪の場合は割って入ってきてくれ」
「りょーかい」
向かい合うイグニスとトラウムに対してベルドは垂直、かつ近くて安全な位置に移動する。
細かい配慮に、薄い笑みを浮かべて木刀を抜き取る。
「……何笑ってんだよ、気持ち悪い」
「今までこんなに辺りに気遣いしたことなかったのに、って思ったらなんか笑えてきたんだよ。どうしてここまでするんだ?」
問いに、トラウムは木刀を両手で握って構え、冗談が一切見えない表情で答えた。
「一か月前の事件で俺でもわかるぐらい成長している。だから辺りに被害が出ないよう、注意しないといけないだろ」
つまりトラウムは、オレの実力を認めたということだろう。真面目な台詞に、驚きつつも喜ぶ。そのため口の端を吊り上げ、木刀を握る。
「そいつはどーも」
トラウムはおう、とだけ返事をし、構えを崩さずに視線だけをこちらに向け口を開く。
「今回の戦いのルールは移動ありの一本勝負。相手の急所を突いた方の勝ちだ。もちろんだが、怪我をしないためにも寸止めを常に心がけてくれ」
「了解」
「じゃあベルド、開始の合図を頼む」
出された指示にベルドは頷き、右手を掲げ、
「それじゃあいくよ。……始め!」
振り下ろされ直後、目前にいたトラウムの姿が消えた。が、背後から聞こえた足音と感じた気配に、前に進みつつ振り返る。
先程までいた場所に木刀が走り、風が身体を突きぬける。
追撃してくるか、と思ったがトラウムは深追いせず、オレを中心に円を描くように駆ける。それを見逃さないよう、自身も合わせて回る。
そして脚を止めたかと思うと、こっちに向かって突進。
くっと声を漏らすも、身体を移動しながら縦にし紙一重で避ける。
通り過ぎたトラウムは、一定の距離まで駆けると再び周りを駆けはじめた。
すぐにトラウムを視界に入れ、注視する。今度は返り討ちにしてやる。そう思っていると、再び突進してきた。
先程より余裕をもって突進を回避し、木刀で攻撃しようとした時。前に突き出されていたトラウムの木刀が、横に振るわれ襲い掛かる。
想定外の展開に、しかし木刀を向けて防御する。交差の音がするとトラウムは通り抜け、また駆けはじめる。
突撃しては駆け、また突撃しては駆ける。それを幾度も繰り返され、ほぼ立っているだけだが疲労が出てきた。少々息があがり、汗が滲む。
しかし疲労はトラウムと比べれば微小なものでしかないはずだ。それなのに、トラウムの表情には一切の疲労や汗が見えない。そんな事実に思わず口元が引きつる。
なら、早く決着しないとオレの方がやばいなと思い、反撃を意図する。
と思っているとトラウムが攻めてきた。突き出された木刀を、右脇腹までつけた己の木刀で力いっぱい打ち付ける。
対してトラウムは予想外だったのか目を見開き、それでも衝撃に沿って跳躍し距離をとる。そしてまた周りを駆ける。
今度は木刀を吹き飛ばすくらいの力で振ろうと意図すると、トラウムは速度を落とし、消えた。
だが行先はわかっている。ならば避けるのは難しいことではない。
背後から足音が聞こえた直後、前方へ大きく跳躍。着地と同時に振り向くと、木刀を振り下ろした姿のトラウムが悔し顔をしていた。隙を見せたなら、攻めないわけにはいかない。だから走る。
しかし木刀が届く位置に着く前に、トラウムが退きその場を逃れるように周りを駆ける。
見ればトラウムの顔は汗で塗れ、焦りが滲み出ていた。ならあと少しで決着するだろう。
オレは息は上がり、汗が噴き出ているもののまだまだ動ける。木刀を強く握り、追撃に備える。
準備が終えた瞬間、トラウムが木刀を前に突き出して飛び込んできた。
今度は木刀を飛ばしてやる。そんなことを思い、右腰まで引いた木刀を力いっぱい振るう。
そしてトラウムの木刀が手から離れ、遠くまで飛ぶ、はずだった。
「――!」
力いっぱいに振るわれた木刀は、誰もいない空間を切り裂くだけで終わった。
木刀が通り過ぎた直後に現れた光景は、トラウムが木刀の先端をこちらに向けて接近してくるものだった。多分、攻撃が当たる寸前で急停止し攻め終わった隙を狙っていたのだろう。
攻撃が外れた体勢であるため上手く移動はできない。その場で避けようと考えるが、相手はトラウムだ。そんなことで避けれるほど甘いことはしてこないだろう。
移動ができず、回避もできない。ならば残された手段は一つだけ。地面に倒れる覚悟さえ決め、体を僅かに沈ませ両足に力を込め、距離をとるべく強引に後方へ跳躍ぶ。
あまり遠くまで移動できなかったものの、バランスが崩れることなく危険な場所から脱することができた。寸止めを意識していたのかトラウムはオレの身体があった場所の手前で止まり、捕らえられなかったことに気付き唇を強く結い、即座に追いかけてきた。
驚いたがすぐに木刀を近くの左腰につける。
着地と同時に左足だけを下げ、木刀を左肩に担いで迫るトラウムに、腰を回し全身を使って木刀を振るう。対してトラウムは、オレに合わせるように木刀に全体重を乗せて振り下ろしてきた。
二つの木刀が重なり周辺に衝撃が突っ走り、そして。バギッと大きなヒビが生まれた音が聞こえた刹那、トラウムの木刀が二つに分裂した。
「…………、は?」
遠くで見守っていたベルドでさえ想定などしてなかった事態に、目を大きく開き呆然としていた。
当の本人、トラウムは目を丸くして木刀の先が木片を散らしながら落ちていく様をただ流れている。
偶然起きたことであっても好機であることに変わりはない。下げていた左足を前に出し、右上方に振り切られた木刀の刃側を柄を手の内で回すことで反転させ、トラウムの首元目がけて斜めに振り下ろす。
トラウムは、木刀から左手を離し刀身が半分以下になっているのにかかわらず、それをこちらの軌道を見て首の右側に移し防御してきた。
振り下ろされた木刀はトラウムの木刀と衝突し、甲高い音が響いた。
衝撃は受け止められ、しかし押し勝つことはできず徐々に木刀は首元に近づく。
とそこへ、
「はい、試合終了!」
オレとトラウムの間にベルドが割って入り、強引に引き剥がしてきた。
ベルドは真剣な表情でありながら軽い口調で言った。
「トラウム君の木刀も折れちゃったし、でもイグニス君が大きく空振りした後はトラウム君が寸止めをしてなければ勝っていたと思うし、引き分けってことでいい?」
ベルドが下した判断に、オレは賛同の言葉を告げた。
しかしそれがトラウムは気に入らなかったらしく、肩で呼吸して全身から汗を拭き出しながら、
「いや、あの時は決めれなかった俺が悪い。だから今回は俺の負けだ」
「じゃあオレの勝ちってことになるけどいいのか?」
「へっ、今回は最初から全力を出しちまったからな。今度は絶対に負けねえ」
敵意だけを露わにし笑うトラウムに、視線を鋭くし応える。
「おう、いつでもやろうぜ。今度は付け込む隙も見せないで勝ってやるよ」
木刀を腰に差すと、ベルドがその場から引き、トラウムが二つになった木刀を両腰に一本ずつ差した。
そして。
トラウムとオレは右手で握り拳を作り、互いの拳で強くぶつけ合った。
トラウムとベルドと別れ、無事復帰できたことをカイルに伝えようとカイルの家に向かって足を進めていた途中。
石畳が敷き詰められた地面に、中央に石で建てられた円形の噴水がある広場で、三人と一匹と遭遇した。
その内の一人、銀髪に銀毛の小型犬ウルドを乗せたカイルはポケットに両手を入れ、オレを見た瞬間足を止め、目を見開いた。
「おっ、もう治療は終わったのか?」
「ああ。今日終わったから報告しに行こうとしていたんだ」
「そうか。じゃあ明日から仕事に参加してもらうから、それなりの準備をして明日の早朝に俺の家に来てくれ」
「了解」
首を動かし、向かってカイルの左側にいる二人を見る。二人の右側、メイスを背負ったショートヘアの少女メアリと目が合う。
「あんた、骨が折れてた割に治るの早かったわね」
「それは固定器具つけてほとんど安静にしていたからだろ。あと、折れたんじゃなくてヒビが入っただけだ」
「……そういえばそうだったわね。まあ、完治おめでとう」
「どーも。……で」
首を回し、メアリの左側で平然と立っている身長一メートルくらいのロングヘアの少女に、オレは疑問を抱かずにはいられなかった。
「どうしてニーナがここにいるんだよ」
問いに、ニーナは目の端に涙を浮かべる。
「私ってリベルタにいちゃいけなかったの?」
「え、てかニーナってリベルタに入ったのか?」
「おいおいイグニス。お前いくら馬鹿だからってそういう酷いこと言うなよ。てか、数日前にメアリにニーナが入団したことを伝えに行かせたんだが」
カイルは横目でメアリを見ると、少女は後頭部に手を当てて空笑いしはじめた。
「すみません。面倒だったので行かないでいたら、忘れていました」
おい。そんな重大なことを面倒って理由で放置すんなよ。
しかしカイルは怒った様子もなく、
「そうか。じゃあ今後から気を付けてくれ」
「了解」
ただそれだけで済まされてしまった。
ここまで来ると怒る気さえも出てこない。そのため、呆れた表情でカイルに聞く。
「てか、一か月前にニーナと別れるとか話してた気がするんだが、あれって嘘だったのか?」
「別れる? んなこと誰も言った覚えはねえぞ。入団の手続きで少しの間会えなくなる、ぐらいだと思うが」
「入団の、と少しの間を抜かしてただろ。そのせいでニーナがどっかに行っちまうって勘違いしたじゃねえか」
声を震わせて言ったものの、カイルは軽く流すようにああ、すまなかったなと返された。そのため、あまり攻めることができず会話が途切れてしまった。
とそこへ。メアリがニーナの背中を押し、
「ということでニーナちゃんも入ったことだし、改めて自己紹介して」
う、うんとニーナは応え、視線を合わせ口を開く。
「……ニーナ・ドゥルールです。サポートを主に行動します。……他の人たちよりも弱いですが、頑張っていきます」
「おう。よろしくな、ニーナ」
「はい!」
かくしてニーナはリベルタに入団し、様々な仕事を全員でこなしていく。
各々が自由に、そして守るべきものを守りながら。
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