憂鬱な朝
王太子妃候補というものは、本当に忙しい存在だと思う。
早朝目を覚まし、日課である土いじりを終えたローラは欠伸を噛み殺しながら朝食のスープを啜っていた。
「あらあら、酷い隈ね。
夜遅くまで起きていたの?」
「……夜更かしはしておりません」
向かいの席では大柄な花柄のドレスに身を包んだモモが、パンを千切りながら心配そうに片眉を上げる。
よく見ると、瞼の色や唇を染めるルージュは、昨日とは違った色をしている。
「あまり眠れていなさそうね」
「……そうですね」
ブロッサム別邸には、そもそも人間は少ない。
食堂を利用するのはローラとその教育係であるモモくらいだ。
良く焼けたパンの香ばしい香りが漂う。
けれど、今のローラの胃には負担が掛かりそうだ。
「メアリー……悪いけれどもう、下げてちょうだい」
パンを一つとスープを口にし、ナプキンで口元を押さえながらローラはメアリーを呼び寄せる。
メアリーは何かを言おうとするが、黙してウインナーやサラダの乗った皿を静かに下げた。
「朝食が食べられないなんてよっぽどじゃない、休んだほうがいいわよ」
「……結構です」
魔法は精神力と生命力と直結すると言われている。
ローラの『花を咲かせる魔法』は消耗が大きく、連日何度も使うと身体が疲れすぎて眠れなくなってしまうのだ。
昨日、王宮の庭園で魔法を連発したためか、明け方くらいまでまんじりとせず天井を眺めていたのである。
――このくらい、よくあることだわ。
心配はありがたいが、ローラには今日もやるべきことが多いのだ。
スープの名残をナプキンで拭き、ローラはモモの底が知れない黒い瞳を見据える。
「これくらいで休むようならば、王太子妃は務まらないです」
「ローラ……」
ローラの意志を汲んだのであろう、軽く頷いたモモは「その代わり!」と愛嬌よく人差し指を立てる。
「今日の予定はアタシも一緒に行ってあげるから、せめて馬車の中だけでも休みなさい!」
「結構です」
「即答!?」
ぱちりと長い睫毛を瞬かせた後、そっとローラは両手を胸の前に掲げてはっきりと首を振る。
こんな二メートル弱の屈強な『自称』貴婦人を連れ歩いたら、ただでさえ評判が良くないのに面白可笑しく吹聴されること間違いなしだ。
「必要有りません、邸で大人しくしていてください」
「んもォ、強がりちゃんねェこの娘は!
そんな青い顔して、フラフラになったらどうするのよ」
「このくらい、良くある事なのでご心配なく」
「すーるーわーよォ!
それに、アタシはアナタの護衛も兼ねるんだから傍にいないでどうするの」
そういえば、祖父の手紙にそのような事が書いてあったような気がする。
教育係兼護衛の貴婦人なんて、聞いたこともない。
「貴方は、一体何者なのですか」
「そうねえ、元居た世界では教鞭を取ってたわ。
アナタみたいな思春期真っ只中のお嬢様ばっかりの学校だったから全くの素人ではないと思うわよ」
意外な回答である。
元の世界でも教師として生活していたのならば、祖父が採用するのもまあ分からなくもないが。
それにしても、モモの居た世界はとても柔軟な考えが定着しているようだ。
『伯爵令嬢』や『王太子妃候補』の型にガチガチに固められて、何者にもなれていない自分からすると、それは羨ましくも思えた。
「……そちらの世界は常識に囚われていないのですね、羨ましいです」
「ん〜……、まあ褒め言葉として受け取っておきましょうか」
ほんの少しだけ笑顔を引き攣らせたモモが、傍らに置いてあるハンドバッグから見慣れない形の鏡を取り出す。
長方形のそれは、開くと少しやつれた顔のローラを容赦なく映した。
「こんな顔をしている主人を置いて、邸でのんびりなんて出来ないわ。
出かける前にお化粧してあげるから一緒に来なさい」
そう告げたモモは少し冷めたスクランブルエッグを口に運ぶ。
訝しげに目を細め、ローラはメアリーが持ってきてくれたティーカップを持ち上げる。
「……貴方、お化粧出来るの?」
「この超絶ビューティーなお顔が答えで良いかしら?」
自信に満ち溢れた、しかしこれ以上にない信憑性の有る答えにローラはメアリーと顔を見合わせたのであった。




