ホットワインに誓いを sideメアリー
使い慣れたキッチンに入ったメアリーが見たのは、岩のような筋肉質な背中であった。
「……モモ・エンデ様」
「あら、メアリーじゃない! こんな夜中にどうしたのよ?」
時間は既に深夜の十二時。
日付も変わり、草木も眠るこの時間に、自分以外にまだ起きているものが居ることにメアリーは片目を細めた。
「どうしたもこうしたも有りませんよ、先程仕事を終えて休もうかと思った所です」
「あらまー、こんな時間まで大変ねえ」
このブロッサム別邸の使用人の数は少ない。
元々建物自体もこぢんまりとしたものだが、女主人であるローラが人見知りをするため住み込みで働いている者はメアリーを含めて信頼のおけるもの数人だけだ。
ゆえに、メイド長であるメアリーは朝早くから晩遅くまで働いているのである。
「ローラは?」
「先程様子を見に行った時には、ぐっすり眠っていらっしゃいましたよ」
「んま、アタシのラァブが効いたかしらね?」
「滅多なことを言うんじゃありませんよ」
眉間に皺を寄せ、小言を並べるメアリーに、モモはテヘッと舌を出しておどけている、可愛くも何ともない。
しかし、ここ連日不眠が続き憔悴した顔で庭に水をやっているローラを見ていた身からすれば、この変化は有り難かった。
「ま、香袋が効いてくれて良かったわ。 健康な精神は健康な肉体に宿るって言うもの、睡眠はしっかり摂らないと」
「ここ最近はぼんやりされて、更に人形のような顔をなさっていたから少しは疲れが取れるといいのだけれど」
「そう、人って余裕が無いと他人に優しく出来ないものね」
そう言いながらモモが足元の棚から取り出したのは、小さなミルクパンだ。
「寝る前のホットミルクですか」
「やーねぇ、子供じゃないんだから。 多分メアリーと目当てはおんなじよ」
水を張ったミルクパンを火に掛けながら、モモが振り返る。
ぴく、とメアリーの下まぶたが軽く痙攣する。
「アナタ割とイケるクチじゃない?」
「……よく分かりましたね」
別の棚から、封の空いたワインを取り出してウィンクするモモにメアリーは溜息をついた。
モモの言う通り、そのワインはメアリーの私物である。
ローラを含めこの邸には酒を飲まないものか下戸しかいない。
そのため、メアリーは一人キッチンで寝る前のワインを楽しむのが寝る前のルーティンとなっていた。
「お酒に強そうな顔してるもの」
「どういう理屈ですか、それは」
「昨日このお酒をちょっと拝借したんだけど、朝見たら減ってたのよね。 こりゃアタシ以外にも飲んでるのがいるなと思ったワケ☆」
ワインの瓶を傍らに置くと、ちゃぷ水音が響く。
使用人用の紅茶葉の缶から適当な量の茶葉を放り込むモモの後ろ姿を見ながらメアリーは一歩そちらへと近付く。
ワインの瓶に映る自分を見つめながら、そっと唇を開いた。
「歳も歳ですからね、寝酒に一杯飲んでから寝るのが習慣になっているのです」
「歳ってアンタ、まだ五十歳なんでしょう?
まだまだ若いわよ」
「この国では充分引退も考える年齢ですよ」
濃いめに抽出した紅茶に、メアリーがワインを注ぐ。
日中は暑くとも夜はまだ肌寒い。
温かなホットワインは、夜のお供に丁度よいのだ。
「お嬢様が立派な淑女になられるまでは、辞めるつもりはありませんがね」
砕いたシナモンを少し入れ、沸騰する前に火を止める。
アールグレイの芳醇な香りに、シナモンのスパイシーな香りが合わさり心を温めるようだ。
「ローラは既に立派な淑女よ。 ちょっと言葉選びが下手で勘違いされがちだけれど、立派に王太子妃候補やってると思うわ」
「……」
茶漉しでカップにホットワインを注ぎながら、モモが茶目っ気のある目を細める。
「アタシは、お人形みたいに俯いてるあの子よりも笑顔のあの子を見てみたいわね、そう思わない?」
思い返すのは幼い頃の女主人の姿だ。
控えめに、けれど無邪気に笑っていたあの姿は、遠い日の記憶にはしたくなかった。
「……貴方のような方がいた方が、この家も風通しは良くなるかもしれないですね」
「んふ、ちょっとはローラの教育係として認めてくれるかしら?」
「まずは一年勤め上げたら認めても良いでしょう」
「あんっ、厳しいわァ」
差し出されたカップを受け取る。
こうやって、誰かとワインを楽しむのも悪くはない。
「我々の可憐な女主人の未来を願って」
カップを軽く合わせ、一先ずの同志となった彼らは微笑みあったのであった。




