王妃様の薔薇
「ローラ、ちょっと良いかしら?」
王妃が、穏やかな声でローラを呼ぶ。
「……如何なさいましたか?」
ドレスの裾をさばき、音を立てずにしずしずと王妃の所へ向かえば、彼女は女官に目配せをする。
女官が持ってきたのは、鉢に植えられた背の低い薔薇だ。
蕾は硬く閉じられている。
「隣国の商人から珍しい品種の薔薇だと、私の姉であるオスマンサス侯爵夫人からいただいたものなの」
王妃は無類の薔薇好きだ。
そのため時折、異国からやってくる商人が取り寄せた珍しい品種の薔薇の種や苗を取り寄せる事がある。
「出来れば今日、皆様にお披露目したくて……ねえローラ、お願い出来るかしら?」
オレンジの鮮やかな瞳が、無邪気に細められる。
この国で一番高貴な婦人の『お願い』を断れるなんて、それこそ彼女の隣で微笑んでいる、オスマンサス侯爵夫人くらいしか居ないのではないだろうか。
(まあ、これくらいなら……)
薔薇の苗に片手を添える。
体内を巡る魔力を葉を通して流し込むようにイメージしながら細く長く息を吐けば、蕾がみるみるうちに膨らみ色付いていく。
「――まあっ……」
感嘆の声を、誰かが上げた。
花開いた薔薇は、珍しい色をしていたのだ。
「オレンジのような黄色のような……まるで夕日のような美しさね」
「綺麗なグラデーション、王妃様のコレクションに相応しいわね」
確かにそれは、王妃の庭にはない不思議な色味をしていた。
王妃もまた、花弁に指先をそっと触れてその存在を確かめていた。
「なんて美しいの……まるであの子の瞳のようだわ」
王妃の言うその瞳の持ち主を、ローラは知っている。
しかしその事には触れず、ただ軽く一礼するに留めた。
「お気に召して頂き、幸いです」
「ありがとうローラ、それにしても随分と魔法の腕が上がったわね」
人間の持つ魔力と言うものは、成長と鍛錬によりその量を増やし、質を高める。
ローラもまた、幼い頃は小さな蕾一つを綻ばせる程度であったが、今では植物を活性化させたり成長させたりと出来ることが増えてきていた。
「さすがは花の精霊との婚姻譚があるブロッサム家の娘だわ、いずれは国始まっての植物魔法の使い手になるのではないかしら?」
「未熟な身ですが、これからも精進致します」
取り敢えずは王妃の機嫌は損ねていないようだ。
ほっと内心息を吐くローラに、甘やかな声が語りかける。
「まあダメよローラ嬢ったら、折角王妃様がお褒め下さってるのに謙遜なんてしちゃ」
「……オスマンサス侯爵夫人」
「それとも……未熟な魔法を恥ずかしげもなく、王妃様に見せていたのかしらぁ?」
「……っ」
にっこりと、王妃とよく似たオレンジの瞳が三日月のように細められる。
ローラはオスマンサス侯爵夫人が苦手だ。
見た目な物腰柔らかくにこやかだが、言葉の端々に棘があり裏があるのだ。
平たく言うとと意地が悪いのである。
言い淀むローラに、オスマンサス侯爵夫人が扇子を広げながら愉快そうに笑い声をあげる。
「やぁね、冗談よ冗談……♡
それはさておき、私からもお願いがあるのよ」
「……何でしょうか」
オスマンサス侯爵夫人が扇子をパチリと音を立てて閉じると、傍に控えていた夫人付きの女官がよく磨かれた銀のワゴンを引いてくる。
「この薔薇の苗は一つしか手に入らなくて……種なら手に入ったの」
ワゴンいっぱいに、小さな鉢が並べられてある。
その数は、三十は超えるだろう。
「可愛い妹の庭をもっと美しくしてさしあげたいし、皆様にお土産として一鉢ずつ差し上げたいの。
……だから、頼めるかしら?」
「……!」
種からの発芽は、蕾を開かせるよりも魔力の消耗が激しいのだ。
魔力には限りが有るというのに、この数を全て花咲かすのは無茶な要望であった。
「オスマンサス侯爵夫人、それはさすがに……」
「あら、未熟だと謙遜されるローラ嬢に研鑽の場を与えただけでしょう?
……ねえ、貴女。 貴女も珍しい薔薇をお土産に欲しいわよね?」
妹である王妃がやんわりの止めに入るも、オスマンサス侯爵夫人は止まらない。
同意を求められた夫人は逆らうことも出来ず愛想笑いと共に頷く。
「そ、そうですわね……話題にもなりますでしょうし」
「わ……私も欲しいです」
「私も……」
ちらほらとオスマンサス侯爵夫人への同調者が増えていく。
夫人はオスマンサス侯爵夫人を……ひいては王妃を敵に回したくないため。
ゲルダと親しい令嬢も何人か声を上げている、こちらは純粋に嫌がらせのつもりなのだろう。
(断りたい……)
でも、断れない。
どうしようかと考えあぐねるローラの横を、大柄な影がすり抜ける。
「お茶会の思い出に、王妃様のお好きな薔薇をお土産にされるだなんて……姉妹で粋なサプライズをされてましたのね」
ワゴンの上の鉢を一つ取り、掌に乗せて眺めながらモモが口端を吊り上げる。
「ええ! ですからローラ嬢には類稀なる魔法を存分に使って頂こうと思って……」
「ええ、気持ちは分かりますわオスマンサス侯爵夫人。
でも、それでは我が主が倒れてしまいます」
柔らかく、しかしはっきりとしたモモの物言いに周囲がざわつく。
それにものともせず、モモはオスマンサス侯爵夫人に向き直り、あくまでも淑女らしく優雅に切り返してみせた。
「お嬢様は午前中も騎士団で魔法を使われてます、国始まっての植物魔法の使い手になれると思ってくださるのならどうか、慈しみをお持ち下さいな」
オレンジと黒の瞳が見つめ合う。
暫しの沈黙を破ったのは王妃であった。
「それでは、私の分は明日お願い出来るかしら。
今日のお茶会に参加してくださった方には、是非お渡しがしたいわ」
モモと、ローラの体調を配慮しているのであろう。
これ以上は断れない、そう判断したローラは静かに頭を下げる。
「かしこまりました、王妃様」
そうして、モモへと視線を向ければぱっちりと上手なウィンクを飛ばしてくる。
助かったのは事実だ。ローラは小さく唇の動きだけで、礼を述べたのである。




