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『風花令嬢』ローラ

  噴水の周りに植えた紫陽花(ハイドランジア)の花々が、見事に咲いていた。

 丸みを帯びた華やかなフォルムはまるで流行りのドレスの裾のようだ。

 木々は緑の色を深くし、木漏れ日が美しい。

 赤や紫、白の色とりどりの紫陽花に、屋敷の主であるフローラ=ローラ・ブロッサムは黙々と水をやる。

 邪魔にならないように美しい光沢の白銀の髪を二本のお下げに結い、シンプルなシャツに膝下のスカートという動きやすくも華美さの無い格好であるが、それが凛とした彼女の美貌を引き立てている。

 土が乾燥しないよう、これから訪れる夏の暑さに負けぬよう、古くも手入れの行き届いた鉄の如雨露(じょうろ)でたっぷりと水を注ぎ込んでいく。

 引き結ばれた唇と一点を見つめる青い瞳は、幼子を育てる母の如く、真剣そのものだ。

 鮮やかな色をした額花についた、まあるい水滴が朝の日差しを受けてキラキラと輝く。


 「……今日も綺麗ね」


 ぽつりと呟かれた鈴を転がすような声に、返事を返す者は居ない。

 如雨露(じょうろ)を片手に、ローラはそっと後ろを振り返る。

 けして広大ではないが美しく調和の取れた、ローラの作り上げた楽園が広がっていた。

 ――此処に、ずっと居ることが出来たらいいのに。

 初夏の涼やかな風が、ローラのプラチナシルバーの髪を揺らし、こめかみに咲く春咲花(さくら)の花の花弁を一枚散らす。


 「今日は、忙しくなるわね」


 早く日課である朝の水撒きを終えなければ、メイド長にまた小言を言われてしまう。

 ただでさえ庭弄りに良い顔をされていないのだ、唯一の楽しみまで取り上げられたらたまったものではない。

 遠い晴天を見上げた後、ローラは空になった如雨露を片手に、石畳を静かに歩きだしたのであった。

 

 ◆◆◆


 フローラ=ローラ・ブロッサムは、シーズニア王国の南方にある領地を治めるブロッサム伯爵家の、今年十六歳になる一人娘だ。

 『珍しい能力』を持つ事からこの国の王太子妃候補に選ばれ、十歳の頃から故郷を離れて王都で暮らしている。


 「連日申し訳ございませんブロッサム伯爵令嬢、さあこちらへ」


 王城の前面を押し出すように作られた、巨大な庭園は初夏の花々が咲き乱れ、王家の威信を感じられる荘厳な造りだ。

 女官に案内されて庭園のとある一角を訪れたローラは、シルクの手袋を嵌めた手で葉の一枚に触れる。


 (元気がない……)


 木立性の桃色の薔薇の花弁は、くすんだ色をしている。

 花も少なく、本来ならこの場が華やぐであろうそこは、今はどこか寂しそうな印象だ。


 「明日は王妃様主催のお茶会なのに、王妃様お気に入りの桃色の薔薇が萎れそうで……」


 薔薇の茎が伸びる土は乾ききっており、水が足りなかったのかもしれない。

 でも、それだけでここまで元気を無くすものだろうか。


 (まるで何かに元気を吸われたような、そんな感じがする)


 薔薇からは生命力が極端に減っている気がする、このままでは翌日には枯れてしまうだろう。

 不吉な予感が胸を去来するが、すぐに払拭した。

 考えすぎだ、今年は雨が少ないから水が足りないのだろう。

 ローラは薔薇の花の一つを、そっと包み込む。

 白銀の繊細に縁取られた青い瞳を閉じ、深く細く息を吸って吐いた。

 手袋に包まれた指先から、薄桃色の光が淡く溢れ出す。

 自分の肉体を巡る力を、薔薇に分け与える……そんなイメージを描きながらローラはただ、この薔薇のかつての美しい姿を思い浮かべていた。


 「……まあっ」


 女官の感嘆じみた声が後ろから聞こえてきた。

 意に介さず、薔薇に活力の祈りを捧げたローラはそっと瞳を開けた。


 「さすがブロッサム伯爵令嬢、お見事です」


 桃薔薇は色艶を取り戻し、幾つもの蕾を開花させて咲き誇っていた。

 それだけではなく、周りの薔薇の花たちも桃薔薇に呼応するように、その色を鮮やかにさせていた。

 この国では、貴族達だけが魔法が使えた。

 魔法が使えることが貴族のステータスであり、ごくまれに平民で魔法が使えるものが家族の中に現れれば、即座に爵位が与えられる程だ。

 そしてローラは、この国でも珍しい『花を咲かせる魔法』を唯一使える令嬢だ。

 そのため貴族達からこのように招待を受けては、庭園などの花々に魔法を掛け、長い間美しく咲き誇れるようにしているのである。


 「お妃様もお喜びになられます、枯れたらどうしようかと女官(わたし)達も不安だったのですよ」

 「……そう」

 「本当にありがとうございます、ブロッサム伯爵令嬢」


 にこやかな女官の柔らかい笑顔とは対照的に、ローラは表情を変えることはない。

 無表情ではない、ほんの少し口角を持ち上げただけのアルカイックスマイルを浮かべたまま軽く辺りを見渡す。

 少し、気になることがある。

 どこかの子爵や男爵の出であろう、年若い女官にローラはこう告げた。


 「少し歩くわ、下がって下さる?」

 「でもブロッサム伯爵令嬢、お疲れでしょうし少しお休みになられては……」

 「結構よ、一人にして頂戴」

 「……はい」


 困ったような顔をした女官が、一礼して去ってゆく。

 小さな後ろ姿に声を掛けようとして、ローラは少しだけ居心地が悪そうに口を噤む。


 (ちょっと、言い方が強かったかしら)


 王宮の庭園は広大だ、常に四季折々の花が咲き乱れ、特に四季咲きの薔薇は王都一美しいと噂される程である。

 あの薔薇以外にも他にも元気が無い子が居ないか、どうせなら見ておきたいと思ったのだ。

 これは自分(ローラ)の都合だ、他に仕事も有るであろう彼女を巻き込むのは忍びないと思ったのだが……。

 美しく整えられた石畳を、音も無く歩んでゆく。

 すれ違う女官達はローラを見ると優雅に挨拶を交わし、すれ違ってゆく。

 新緑の瑞々しい香りを乗せた風が、背後から吹き抜ける。

 乱れる白銀の髪を押さえたローラの足が、ふと止まった。


 「……ブロッサム伯爵令嬢よ」

 「付き添いだったあの子は何を言われたのかしら、泣きそうな顔をしてたわよ」

 「王太子妃候補様には心が無いのかしらね」


 その風は、小声で交わされる背後の女官達の陰口をも乗せてローラの耳を撫でていく。


 「さすが、『風花令嬢』ね」


 くすくす、と嘲るような笑い声も足音と共に遠ざかっていく。

 ローラはちらりと横目で後方を見る。


 (……好きに言わせるしかないわ)


 相手にする必要も無い、貴族は喧嘩せず……とは言ったものだ。

 再び目の前の美しい夏の花々に視線を戻し、淡い色のドレスの裾を優美に翻す。

 噂話が行き交う貴族の社交界では、良くある事だ。

 春の妖精のような見目と、珍しく強力な魔法を使える才覚が有りながら、ローラの評判は頗る良くない。

 自分の悪評を気にはしつつも、ローラはそれを表に出すこと無く涼しげな顔で庭園を見て回る。

 桃色の薔薇の花々が、ローラを案ずるように風に揺れた。


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