新体制、初日から不安な話
放課後、グラウンド。
陸上部の部員たちが集まっていた。
三年生は、もういない。
今日から。
前に立つのは、二年生だった。
「……」
朝比奈恒一は、部員たちの前に立っていた。
横には、佐藤忠一。
もう片方には、真田巴。
「……」
部員たちが、少しざわついている。
無理もない。
部長、朝比奈恒一。
副部長、佐藤忠一。
副部長、真田巴。
そう発表されたばかりなのだから。
「今日から部長になった朝比奈だ」
恒一が言う。
声は普通だった。
大きすぎず。
小さすぎず。
いつも通り。
「分からないことが多いので、分からないことは聞く」
「……」
佐藤が横で小さく顔をしかめた。
「朝比奈」
「なんだ」
「そこはもう少し頼れる感じで言ってくれ」
「頼れる感じ」
恒一は少し考える。
「分からないことは多いが、ちゃんとやる」
「……少しマシになった」
佐藤がため息をつく。
巴は真顔でうなずいた。
「正直でいいと思う」
「真田さんは味方してください」
佐藤が即座に言った。
「味方している」
「今のはしてないです」
部員たちの間に、小さな笑いが起きた。
少しだけ、空気が緩む。
「じゃあ、今日のメニュー」
佐藤が手元の紙を見る。
「三年生が抜けたので、まずは基礎メニューを確認して――」
「足りない」
巴が言った。
「早いですね」
佐藤が顔を上げる。
「まだ一行目です」
「基礎は大事だ。でも、足りない」
「真田基準で話さないでください」
「普通だ」
「普通じゃないです」
佐藤が即答する。
恒一は部員たちを見る。
一年生。
二年生。
緊張している者。
やる気だけが前に出ている者。
三年生が抜けたことで、不安そうな者。
そして。
巴を見て、すでに少し背筋が伸びている女子部員たち。
「……」
恒一は少し考えた。
「一年は本数を減らして、フォーム確認」
「え?」
佐藤が振り向く。
「本数、減らすのか?」
「ああ」
恒一はうなずく。
「今増やすと、崩れる」
「……」
佐藤は少し黙る。
それから、紙に書き込んだ。
「二年は?」
「スタートを増やす」
「理由は」
「三年が抜けると、練習の空気が少し遅くなる」
「……」
「最初だけでも、出だしを作った方がいい」
佐藤が、少しだけ目を細める。
「なるほど」
巴も静かに聞いていた。
「私は?」
巴が聞く。
恒一は、巴を見る。
「真田は別メニュー」
「私だけ?」
「ああ」
「なぜ」
「真田基準だと、部が壊れる」
「……」
巴が少し黙った。
佐藤が横でうなずく。
「そこは正しいです」
「佐藤まで」
「真田さんが普通にやると、一年が練習前に折れます」
「折れる?」
「心が」
巴は少しだけ困った顔をした。
「そんなつもりはない」
「それは分かってます」
佐藤がため息をつく。
「でも、圧があります」
「圧」
巴は恒一を見る。
「私、圧があるのか」
「ある」
恒一が即答した。
「……」
巴が少しだけ目を細める。
「即答か」
「嘘はよくない」
「そうか」
納得したような。
納得していないような顔だった。
部員たちが少し笑う。
けれど、その空気は、悪くなかった。
「真田」
恒一が言う。
「女子側のフォーム確認を頼む」
「私が?」
「ああ」
「本数を増やすより、見てもらった方がいい」
「……分かった」
巴は短くうなずいた。
その様子を見て、女子部員たちが小さくざわつく。
「真田先輩が普通に従ってる……」
「朝比奈部長、すごくない?」
「いや、真田先輩が柔らかいだけでは……?」
声は小さい。
でも、聞こえていた。
佐藤は額を押さえる。
「……初日から情報量が多い」
「そうか?」
「そうです」
佐藤は即答した。
「部長」
「なんだ」
「とりあえず、メニューはこれでいきます」
「ああ」
「ただし、真田さんの別メニューは俺が確認します」
「なぜ」
巴が聞く。
「部が壊れないようにです」
「……分かった」
巴は少し不満そうだったが、うなずいた。
恒一はグラウンドを見る。
三年生がいない。
それだけで、少し景色が違う。
でも、走る場所は同じだった。
「始めるか」
恒一が言う。
佐藤が紙を持ち直す。
巴が女子部員たちの方へ向かう。
それぞれが動き出す。
まだ、ぎこちない。
まだ、慣れない。
けれど、新しい陸上部は、確かに始まっていた。
「真田さん! それは一年には早いです!」
「そうか?」
「そうです!」
「朝比奈、どう思う」
「早いな」
「朝比奈まで……」
佐藤の声が、グラウンドに響いた。
新体制初日。
不安は、かなりあった。
ただ、思ったより、悪くはなさそうだった。




