恋愛台帳、バグってます
春、出会いの季節。
なんて言葉は、どうやら俺には関係ないらしい。
「ごめん。いい人だとは思うんだけど……」
校舎裏。
満開の桜の下。
俺――朝比奈恒一は、今週三度目の失恋を迎えていた。
ちなみに今日は月曜日である。
「そっか。うん、大丈夫。ありがとう」
慣れた手つきで会釈する。
慣れたくなかった。
本当に、慣れたくなかった。
相手の女子が小さく頭を下げて去っていく。
その背中を見送りながら、俺は思った。
(いや、さすがにペースおかしくないか?)
月曜の時点で三敗。
まだ一週間は始まったばかりなのに、俺の恋愛成績だけが先に終わっている。
「お疲れ、恒一」
聞き慣れた声。
振り向くと、三浦基樹が立っていた。
俺の親友であり、なぜか俺の失恋現場に高確率で現れる男である。
「今日も見事に散ったな」
「見事とか言うな」
「いや、だって月曜で三回目だぞ。普通に記録狙えるだろ」
「狙ってない」
基樹は軽く笑う。
こいつは悪いやつではない。
ただ、人の傷口を見つけるのが少し早い。
「でもさ、お前いいやつだし、そのうち彼女できるって」
「そのうちっていつだよ」
「知らん」
「軽いな」
「重く言ったら彼女できるのか?」
「……できないな」
「だろ」
否定できなかった。
俺はため息をつく。
桜の花びらが、ゆっくり落ちていく。
きれいだ。
きれいだけど、今は少し腹が立つ。
「俺、何がダメなんだろうな」
「んー」
基樹は少し考える。
「勢い?」
「勢い?」
「あと、たぶんタイミング」
「タイミングか」
「それと相手選び」
「全部じゃないか」
「まあな」
さらっと言うな。
俺はもう一度ため息をついた。
その日の帰り道。
俺は一人で歩いていた。
月曜に三敗。
普通に考えて、おかしい。
いや、俺にも悪いところはあるのだろう。
でも、それにしてもおかしい。
(これ、もう人の力じゃ無理なんじゃないか……?)
そこまで考えて、足が止まる。
視線の先に、町外れへ続く道があった。
その先には、縁結びで有名な神社がある。
蒼ヶ崎市でも、そこそこ知られている場所だ。
「……神頼みしかないか」
自分で言って、少し情けなくなる。
でも、背に腹は代えられない。
俺は神社へ向かった。
石段を上る。
夕方の境内は静かだった。
拝殿の前に立ち、財布を取り出す。
中を見る。
千円札が一枚。
今日の全財産だった。
「……ここは、奮発するべきだよな」
俺は千円札を取り出した。
「頼むぞ、マジで」
そう言って、賽銭箱に入れようとした瞬間。
足元が、つるっと滑った。
「えっ」
体が前のめりになる。
手から財布が飛ぶ。
そして。
ぽとん。
財布ごと、賽銭箱に吸い込まれていった。
「……」
静寂。
春の風が、やけに優しかった。
「……は?」
俺の声だけが、境内に落ちた。
その夜。
夢を見た。
白い空間。
床も壁も空も分からない。
どこまでも白くて、音がない。
その真ん中に、一人の老人が立っていた。
白髪。
白ひげ。
妙に偉そうな顔。
「うむ。よく来たのう」
「誰!?」
「わしは恋愛の神じゃ」
「急すぎるだろ」
老人――恋愛の神様らしい存在は、満足げにひげを撫でた。
「お前さん、財布ごと差し出すとは、なかなか見上げた心がけじゃ」
「事故ですけど!?」
「よろしい。その誠意、気に入った」
「聞いてます?」
「願いを一つ叶えてやろう」
俺は止まった。
願い。
恋愛の神様。
財布ごと賽銭。
かなり理不尽だが、流れとしては悪くない。
「マジですか?」
「うむ」
「じゃあ聞きたいんですけど」
「なんじゃ」
「なんで俺、彼女できないんですか?」
切実だった。
本当に切実だった。
神様は顎を撫でながら、少し考える。
「人にはな」
「はい」
「生まれた時から、つがいになりやすい相手が何人か登録されておる」
「登録?」
「恋愛台帳じゃ」
「何そのシステム」
「相性の良い相手、縁の強い相手、結ばれやすい相手。そういうものが記されておる」
「へえ……」
思ったより制度っぽい。
恋愛というより行政処理に近い。
「ただ、お前さんはまだ、その相手に出会っておらんだけじゃ」
「マジですか」
俺は少しだけ泣きそうになった。
希望があった。
俺の人生にも、まだ希望があった。
「特別に、その候補を教えてやろう。賽銭の礼じゃ」
「ありがとうございます!」
さっき財布を失ったことなど、もうどうでもよかった。
神様は満足げにうなずく。
「少し待っておれ。台帳を確認してくる」
そう言って、神様はすっと消えた。
そして待った。
かなり待った。
夢の中なのに、体感で一時間くらい待った。
「……神様?」
返事はない。
「神様ぁぁぁぁ!?」
ようやく、白い空間に気配が戻る。
神様が現れた。
だが、その顔は明らかにおかしかった。
「……おかしい」
「え、何がですか」
「台帳にのう」
神様は冷や汗をかいていた。
「お前さんの恋人候補が、やたら多く記載されておる」
「え、モテ期?」
「違う」
即答だった。
「名前よし。年齢よし。生年月日も問題なし」
「はい」
「恋が成就する時期は――養和元年から」
「ちょっと待ってください」
「なんじゃ」
「養和って何ですか」
「今の年号じゃろ」
「令和です」
長い沈黙。
白い空間が、さらに白くなった気がした。
「……」
「……」
神様の顔から血の気が引いていく。
「すまん!!!!」
神様が頭を下げた。
神様が。
俺に。
「登録ミスじゃ!!」
「登録ミス!?」
「完全に!!」
「完全にとか言わないでくださいよ!」
「お前さんの恋愛台帳、時代がずれておる!」
「最悪のバグじゃないですか!」
神様は額を押さえる。
「本来なら、養和の時代に縁を結ぶはずだった相手が、今のお前さんの台帳に残っておる」
「つまり?」
「このままだと、お前さんは今の時代で誰とも結ばれにくい」
「……」
「もっと簡単に言えば」
「言わなくていいです」
「生涯独身じゃ」
「ふざけんなぁぁぁ!!」
夢の中で絶叫した。
「まだ高校生ですよ俺!?」
「本当にすまん!」
「謝って済む問題ですか!?」
「済まん!」
「じゃあなんとかしてくださいよ!」
神様はしばらく考えた。
かなり真剣に考えていた。
ようやく、はっと顔を上げる。
「……そうじゃ」
「何かあるんですか」
「養和の時代に縁のあった魂が、今世に転生しておる可能性がある」
「それだ!」
「同じ時代にはおらんが、魂は巡る」
「急に神様っぽい!」
「少し待っておれ」
神様が再び消える。
今度はすぐ戻ってきた。
「おった」
「えっ」
「一人だけじゃが、お前さんと同じ街に住んでおる」
「マジですか」
「しかも同い年じゃ」
「神様!」
さっきまでの怒りが少し薄れた。
いや、かなり薄れた。
「名前を教えてください!」
「名前は教えてやる。ただし詳細は駄目じゃ」
「十分です!」
神様は少しだけ困った顔をする。
「ただのう」
「はい」
「恋人になれる可能性はあるが、かなり難しい」
「なんでですか」
「その娘の魂は――巴御前じゃ」
空気が変わった。
「……誰ですか?」
「武勇に優れた女武者じゃ」
「女武者」
「並の男では、まず惹かれん」
「……」
嫌な予感しかしなかった。
「強い男が好きじゃろうな」
「終わった」
「早いのう」
「俺、月曜で三敗する男ですよ」
「うむ」
「女武者に勝てる要素あります?」
「努力じゃな」
「軽い」
「恋は努力じゃ」
「神様が言うと信用できない」
「まあ、頑張れ」
「やっぱり軽い!」
神様はふぉっふぉっと笑う。
「名は、真田巴」
「真田、巴」
「同い年。蒼ヶ崎市内におる」
「……」
名前だけは、胸に残った。
真田巴。
俺の、たぶん唯一の可能性。
「ではの」
「ちょっと待ってください!もう少し説明を――」
「応援しておるぞ」
「してるならもう少し親切に!」
神様は笑ったまま消えた。
目が覚める。
朝だった。
夢にしては、妙にリアルすぎた。
「……真田巴」
俺はスマホを手に取る。
まず検索したのは、巴御前だった。
出てきた画像と説明を見て、俺は固まる。
「いや、強すぎだろこの人……」
馬に乗っている。
戦っている。
完全に別世界の住人だった。
でも、同じ街にいる。
同い年で、高校生。
名前も分かっている。
「……探すか」
こうして、恋愛台帳がバグっていた俺の、無謀すぎる恋が始まった。




