第1話 恋愛台帳、バグってます
春、出会いの季節。
なんて言葉は、どうやら恒一には関係ないらしい。
「ごめん。いい人だとは思うんだけど……」
満開の桜が咲く校舎裏。
朝比奈恒一は、今週三度目の失恋を迎えていた。
ちなみに今日は月曜日である。
「そっか。うん、大丈夫。ありがとう」
慣れた手つきで会釈する。
慣れたくなかった。本当に、慣れたくなかった。
相手の女子が小さく頭を下げて去っていく。その背中を見送りながら、恒一は思った。
(いや、さすがにペースおかしくないか?)
本日、月曜日の時点で三敗。
まだ一週間は始まったばかりなのに、恒一の恋愛成績だけが先に終わっている。
「お疲れ、恒一」
聞き慣れた声に振り向くと、三浦基樹が立っていた。恒一の親友であり、なぜか失恋現場に高確率で現れる男である。
「今日も見事に散ったな」
「見事とか言うな」
「いや、この月曜で三回目だぞ。普通に記録狙えるだろ」
「狙ってない」
基樹は軽く笑った。
悪いやつではない。ただ、人の傷口を見つけるのが少し早い。
「でもさ、お前いいやつだし、そのうち彼女できるって」
「そのうちっていつだよ」
「知らん」
「軽いな」
「重く言ったら彼女できるのか?」
「……できないな」
「だろ」
否定できなかった。
恒一はため息をつく。桜の花びらが、ゆっくり落ちていく。
きれいだ。
きれいだけど、今は少し腹が立つ。
「俺、何がダメなんだろうな」
「んー……勢い?」
「勢い?」
「あと、たぶんタイミング」
「タイミングか」
「それと相手選び」
「全部じゃないか」
「まあな」
さらっと言うな。
恒一は、もう一度ため息をついた。
◇ ◇ ◇
その日の帰り道。
恒一は一人で歩きながら、今日の結果を考えていた。
月曜日に三連敗。
普通に考えて、おかしい。
もちろん自分にも悪いところはあるのだろう。それにしても、おかしい。
(これ、もう人の力じゃ無理なんじゃないか……?)
そこまで考えたところで、足が止まった。
視線の先には、町外れへ続く道。その先には、蒼ヶ崎市でもそこそこ知られている縁結びの神社がある。
「……神頼みしかないか」
自分で言って、少し情けなくなった。
だが、背に腹は代えられない。
恒一は、そのまま神社へ向かった。
夕方の境内は静かだった。
石段を上り、拝殿の前で財布を開く。
中には千円札が一枚。
今日の全財産だった。
「……ここは、奮発するべきだよな」
恒一は千円札を取り出した。
「頼むぞ、マジで」
そう言って賽銭箱へ入れようとした瞬間。
足元が、つるっと滑った。
「えっ」
体が前のめりになり、手から財布が飛ぶ。
そして。
ぽとん。
財布ごと、賽銭箱へ吸い込まれていった。
「……」
静寂。
春の風だけが、やけに優しかった。
「……は?」
恒一の声だけが、境内に落ちた。
◇ ◇ ◇
その夜、恒一は夢を見た。
床も壁も空も分からない、どこまでも白い空間――縁の間。
その真ん中に、白髪に白ひげの老人が立っていた。妙に偉そうな顔をしている。
「うむ。よく来たのう」
「誰!?」
「わしは恋愛の神じゃ」
「急すぎる」
老人――恋愛の神様らしい存在は、満足げにひげを撫でた。
「お前さん、財布ごと差し出すとは、なかなか見上げた心がけじゃ」
「事故ですけど!?」
「よろしい。その誠意、気に入った」
「聞いてます?」
「願いを一つ叶えてやろう」
恒一は止まった。
願い。
恋愛の神様。
財布ごと賽銭。
かなり理不尽だが、流れとしては悪くない。
「マジですか?」
「うむ」
「じゃあ聞きたいんですけど」
「なんじゃ」
「なんで俺、彼女できないんですか?」
切実だった。
本当に必死の話だった。
神様は顎を撫でながら、少し考える。
「人にはな、生まれた時から、つがいになりやすい相手が何人か登録されておる」
「登録?」
「恋愛台帳じゃ」
「何そのシステム」
「相性の良い相手、縁の強い相手、結ばれやすい相手。そういうものが記されておる」
「へえ……」
思ったより制度っぽい。
恋愛というより、行政処理に近い。
「ただ、お前さんはまだ、その相手に出会っておらんだけじゃ」
「マジですか?」
希望があった。
恒一の人生にも、まだ希望があった。
「特別に、その候補を教えてやろう。賽銭の礼じゃ」
「ありがとうございます!」
さっき財布を失ったことなど、もうどうでもよかった。
「少し待っておれ。台帳を確認してくる」
神様は、すっと消えた。
そして待った。
かなり待った。
夢の中なのに、体感で一時間くらい待った。
「……神様?」
返事はない。
「神様ぁぁぁぁ!?」
ようやく戻ってきた神様の顔は、明らかにおかしかった。
「……おかしい!?」
「え、何がですか?」
「台帳にのう、お前さんの恋人候補が、やたら多く記載されておる」
「え、モテ期到来?」
「違う」
即答だった。
「名前よし。年齢よし。生年月日も問題なし。恋が成就する時期は――養和元年から」
「ちょっと待ってください」
「なんじゃ」
「養和って何ですか」
「今の年号じゃろ」
「令和です」
長い沈黙。
神様の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「すまん!!!!」
神様が頭を下げた。
神様が。
恒一に。
「多分、登録ミスじゃ!!」
「登録ミス!?」
「完全に!!」
「完全にとか言わないでくださいよ!」
「お前さんの恋愛台帳、時代がずれておる!」
「最悪のバグじゃないですか!」
神様は額を押さえた。
「本来なら、養和の時代に縁を結ぶはずだった相手が、今のお前さんの台帳に残っておる」
「つまり?」
「お前さんが縁を結ぶはずだった相手は、皆すでに安らかに眠っておる」
「……」
「このままだと、お前さんは今の時代では誰とも結ばれにくい」
恒一は嫌な予感を覚えた。
「……もしかして、俺が今まで振られ続けてたのも、そのせいですか?」
神様は少し目を丸くし、それから笑い始めた。
「お前さん、そんなに振られとったのか」
「そこ笑うところじゃないです」
「いや、笑ってはおらん」
「今ちょっと笑いましたよね」
「気のせいじゃ」
「絶対笑った」
神様はわざとらしく咳払いした。
「まあ……たぶんそうじゃろうな」
「たぶん!?」
「この時代の人間とお前を結ぶ縁が、ほとんどない」
「ほとんど」
「いや、ほぼない」
「言い直して悪化させないでください」
恒一は、ゆっくり神様を見た。
「つまり、振られ続けてたのは、お前のせいか!」
「言い方!」
「お前のせいか!!」
「神に向かってお前と言うでない!」
「もっと簡単に言えば」
「言わなくていいです」
「お前さんは生涯独身じゃ」
「ふざけんなぁぁぁ!!」
縁の間に絶叫が響いた。
「まだ高校生ですよ俺!?」
「本当にすまん!」
「謝って済む問題ですか!?」
「済まん!」
「じゃあなんとかしてくださいよ!」
神様は、今度こそ真剣に考え込んだ。
しばらくして、はっと顔を上げる。
「……そうじゃ。養和の時代に縁のあった魂が、今世に転生しておる可能性がある」
「それだ!」
「同じ時代にはおらんが、魂は巡る」
「急に神様っぽい!」
「少し待っておれ」
神様が再び消え、今度はすぐに戻ってきた。
「やはり、おった」
「えっ」
「一人だけじゃが、お前さんと同じ街に住んでおる。しかも同い年じゃ」
「神様!」
「なんじゃ」
「ありがとうございます!」
さっきまでの怒りが少し薄れた。
神様は、その見事な手のひら返しを面白がるように笑った。
「名前を教えてください!」
「よかろう。名前だけは教えてやる」
神様は、確かにその名前を口にした。
同じ街に住んでいる。
同い年。
そして。
「その娘の魂は――巴御前じゃ」
空気が変わった。
「……誰ですか、その人?」
「武勇に優れた女武者じゃ」
「女武者」
「並の男では、まず惹かれん」
「……」
嫌な予感しかしない。
「強い男が好きじゃろうな」
「終わった」
「早いのう」
「俺、月曜で三敗する男ですよ」
「うむ」
「女武者に勝てる要素あります?」
「努力じゃな」
「軽い」
「恋は努力じゃ」
「神様が言うと信用できない」
「まあ、頑張れ」
「やっぱり軽い!」
神様は、ふぉっふぉっと笑った。
「ではの」
「ちょっと待ってください! もう少し説明を――」
「応援しておるぞ」
「してるなら、もう少し親切に!」
神様は笑ったまま消えた。
◇ ◇ ◇
朝。
恒一は自室のベッドで目を覚ました。
夢にしては、妙にリアルすぎた。
同じ街。
同い年。
名前は分かっている。
そして、その魂は巴御前。
「……巴御前」
恒一はスマートフォンを手に取った。
まず検索したのは、教えられた名前ではなく巴御前だった。
出てきた画像と説明を見て、固まる。
「いや、強すぎだろこの人……」
馬に乗っている。
戦っている。
完全に別世界の住人だった。
それでも、その魂を持つ相手は同じ街にいる。
同い年で、名前も分かっている。
「……探すか」
こうして、恋愛台帳がバグっていた恒一の、無謀すぎる恋が始まった。




