9.読めない令嬢
ルイーズは亡き父に憤慨しつつも、涙を呑んで王子と踊ることを諦めざるをえなかった。
自分はともかく、王子であるアルエに恥をかかせるわけにはいかないからだ。そして、驚いているアルエに気づき、恥じ入った。
「申し訳ありません。そもそも、私のような男みたいな女はお嫌ですね」
「貴女を見て男なんて言う口の悪い人はいないと思うよ」
これにはリュンクスが噴き出した。ルイーズが弟を軽く睨んだので、アルエは目を見張る。
「えぇと、いたみたいだね。誰? そんな失礼な人」
「……レオンハルト王太子殿下ですよ」
少し慎重に、リュンクスはその名を告げた。その瞬間、気軽に――というよりも、ルイーズの勢いにいささか押されていたアルエの顔が固くなったのを見てとる。
警戒されただろうか。
心配になったリュンクスであったが、王宮におけるアルエの立場を知らない彼の姉は、その微妙な空気を蹴散らした。
「先ほど王太子殿下からも同様に『踊らないのか』と聞かれたのです。私は背丈だけは王太子殿下と遜色ありませんから、殿下ならば踊れると思うと申し上げました。そうしましたら、殿下は男と踊る趣味はないというお返事です」
「あー……うん。そうなんだ?」
笑っていいやら悪いやら困るアルエだが、ルイーズは顔をしかめつつ答える。
「王太子殿下は、別に私は男だろうが女だろうがかまわないでしょうし、とても可愛いご令嬢が沢山いらっしゃるのですから、彼女たちと踊られればよいのです!」
「…………。そう言いながら、羨ましそうだね」
アルエはルイーズを見つめ、口元にどこか冷めた笑みを浮かべた。これにはルイーズもどきりとする。
可愛らしい外見に加えて、なかなか鋭い。
――天は二物を与えたのね!
「はい……少しだけ」
ルイーズは頬を染めた。
本音を言えば、少しではなく、かなり羨ましい。
可愛い女の子に囲まれた、王太子が。
「ふふ、正直だと思うけど……何か違う気もするね」
「殿下は鋭くていらっしゃいますね。実を申しますと……とても羨ましいです……」
「だったら、僕なんかと話していないで、兄上のところにもう一度行ったらどう?」
「もう挨拶は済ませましたし……私が醜く嫉妬してしまったのを王太子殿下も気づかれたのか、遠ざけられてしまいました」
「そう。よくあることだから、落ち込まなくていいと思うんだけど……何だろう。ズレてる」
少し悩まし気な顔をしたアルエに、ルイーズは目を瞬いた。
「よく弟にもそう嘆かれます」
「……読めない。ね?」
同意を求めるようにリュンクスを見返したアルエは薄っすらと冷たい笑みを浮かべたが、彼が怯むことはなかった。リュンクスは姉の性格と嗜好を、王国の誰よりも理解しているという自負があるからだ。
「殿下。姉は素直ですよ」
「…………。君は僕のことをどこまで知っているのかな」
「田舎から出てきたばかりの私に、何が分かるとおっしゃいますか」
リュンクスはにこりと笑って、不思議そうな顔をしているルイーズを見返した。
「我々は殿下とこうしてお話しできて良かったです。そうですよね、姉上」
「えぇ! 来たかいがありました!」
満面の笑みを零したルイーズを、アルエはまじまじと見つめ、薄っすらとどこか気恥ずかしそうに頬を染めた。
「……本当に、変わってる」
「やはり、次はドレスを着てまいりましょうか?」
「そういうことじゃなくて……僕が怖くないの?」
ルイーズは目を瞬いた。意味が分からない。
「えぇと……失礼ながら、こんなに可愛らしくて、愛くるしい御方の、一体どこが恐ろしいのでしょう。言葉遣いもとても丁寧ですし、嫌味もありませんし、面倒くさくもありませんし……」
あの王太子とは大違いだと内心続けたルイーズに、アルエは目を見張った。
「あれ、やっぱりおかしいな。兄上は言葉づかいの悪い、嫌味ったらしい、面倒くさい男なの?」
「殿下は本当に鋭い御方ですね! 可愛らしい上に、賢くていらっしゃる! 素晴らしいです!」
感激するルイーズに、リュンクスが口を挟んだ。
「姉上、不敬罪で捕まるから、認めないように」
軽く弟に睨まれて、ルイーズはうっと言葉に詰まり、
「……殿下、今のは戯言ですので……」
と慌てて訂正したが、アルエは気に障った様子はなく、むしろおかしげに笑った。
「分かっているよ。貴女は面白い人だね」
「ありがとうございます!」
ルイーズは満面の笑みを浮かべたが、同時に急に背筋が寒くなった。
眼前の愛くるしい少年であるはずがないからと、周囲を見回して、合点がいった。
あの面倒くさい――もとい、レオンハルト王太子と目が合ったからだ。自分を見返す目は、それはもう冷ややかなものだった。
遠目でも、若干怒っているのが分かる。
何だ。何が気に入らないのだ。自分は今も大勢の令嬢たちに囲まれているではないか。
とても羨ましい。
だが、彼女たち以上に、彼の弟が愛くるしいのも事実だ。だとしたら、可愛い弟を独り占めしている自分に嫉妬しているに違いない。
やはり心が狭い。
ルイーズは態度には出すまいと思ったが、さすがに軽く睨み返してしまった。
すると、レオンハルトは眉をひそめ、ふいと視線を外してしまう。
――勝ったわ!
ルイーズは、にんまりと満足げな笑みを浮かべた。