第9話
それは一つの『爆発』から始まった。
まるで水面の波紋同士が連鎖し合い、また新たな波紋が生まれるように。一つの爆発音から連鎖的に、『それ』は連なり、連鎖し合った。
クルエルのアジトはその建物の性質上、外的要因に対しては物理、魔術双方に対してさながら軍事的防衛拠点のような防御力を有している。外的な攻撃に一番弱い筈の窓などの換気口でさえ、魔術的な保護により、破壊するには軍の正魔術師が数百人単位での攻撃を必要とする。
だからなのか、突如破壊された扉にシンシア・クロロメルは一時、茫然とした。
連続的な爆発音が突如として鳴り響いてすぐの出来事だった。
「(火系の魔術なのかしら……? いや、結界魔術かしら。爆発物か火の魔術を結界で圧縮した……?)」
一つ一つが小さい魔術でも、それを圧縮し、まるでパズルのように組み合わせることで結界魔術師は攻撃魔術を展開する。
しかし、そんな結界魔術師にも欠点は存在する。
「(そう何度も今の魔術が出来るとは思えない。結界魔術は絶対に起点となる魔石が必要になる。あれ程の結界魔術となれば相当な魔石を消費した筈よね。それに、もう一発同じ魔術が打てるようなら、もう打ち込んでいるでしょうし。それをしてこないってことは……)」
いつもはのほほんとした雰囲気を放つシンシアの頭が高速で思考を開始していく。
個人という枠を逸脱した魔術の威力。
それは軍で表すなら戦略級魔術に匹敵する。そんなものがもう一発でも放たれれば、シンシアとてひとたまりもない。
たらりとシンシアの額から汗が流れ落ちる。
「(二発目を放つ魔石が足りないのかしら。それとも、一定時間の空きが必要?)」
魔術師の一人であるシンシアであるが、彼女の専門は最も一般的な魔術の一つである火だ。
爆発から自身の魔術との違いはわかるし、推測は立てられるが、はっきりいってしまえばそれだけだ。
シンシアは物陰に身を隠し、周囲を観察した。
「(アジトに今いるのは私だけ。サムエル様やアカシア、幹部の方々も今はこの街にいない。レイスも買い物にいってしまったわ。……もしかして、絶対絶命ってヤツなのかしら)」
シンシアが今いるこのアジトは、数か所存在するクルエル所有のアジトでも正真正銘クルエルの本拠地。
基本的に幹部しか出入りすることが許されない。
例外的にアイシャがレイスの寝込みを襲うために侵入することはあるが、それはシンシア自身が彼女に来客用の鍵を渡してあるからだ。
「(早急に応援を呼ぶこともできないわよね。どうしましょうか……)」
シンシアから玄関までの距離は直線距離にして約二十メートル。
二階と一階とを螺旋階段で繋ぐ、一際大きい広間。少し入り組んだ構造になっているため、死角はいっぱいあるそこにシンシアはいた。
「(まだ姿が見えないってことは地下の方に行ったのかしら、それとも中には入ってきてない……?)」
その時、ミシミシと床を踏む音が響いた。
「誰かいないのー? いないー? うん、いないってさ。シズカ、ここには誰もいないよ!」
場違いに甲高い声はまだ第一次性徴期途中のようだ。
そして、それより幾分が大人びていて、けれどもまだ大人と言うには早い声音で、シズカは返す。
「まだ確かめてない。シルバ早過ぎ」
「えー、いないよ。だってさ、返事ないもんね! それにさ、すぐ来る必要あったのかな? 明日で良いんじゃないの! 一日に二回はハードすぎるよ! ジョージだって止めてたのにさ。サルーニャは熱くなっちゃうしさー」
「それでも最後に決めるのはジョージ、私には関係ない」
「えー! あると思うんだけどなー」
それ以上、興味はないようでスタスタとシルバを置き去りにし、廊下を進む。
歩きながら服の袖口を捲り上げた。そこにはまるで数珠のように魔石を繋いだ魔術具が腕全体に繋がれている、その内の一つ、漆黒の数珠を手に取った。
「あれ、シズカなにするの?」
シズカに対して、歩幅の少なさを補うための早歩きでシルバは問うた。
そんなシルバに対しシズカは一言、
「探索」
シズカから勢いよく、あるものが噴出された。
魔力漏れだ。
霧のような魔力は余波だけだというのに、まるで業火が放つ煙のように勢いよく廊下を覆っていった。
次いで手にとった魔石の数珠から手を離した。
コツンと床に落ちるはずだった数珠は、海面に吸い込まれるように床の中へと消えていった。
床に波紋が広がる。
まるで建物全体が液体になってしまったかのように波紋は全てを覆う。
結界魔術は決して閉じ込めるだけの魔術ではない。
結果として結界を構築するまでの過程を変化させることで結界魔術は無限の広がりを見せる。結界を張る過程で広がる結界の枠はまるでコウモリの超音波センサのように空間情報を知ることもできるし、結界と同調して多角視点から相手の情報を探ることもできる。
シズカがしたのはその前者だ。
「わわ! すごい! すごい! どうやったの? ねえねぇ、今のどうやったの!」
シズカは横ではしゃぎ回るシルバを無視し、その足を進めた。
扉が開いたままの広場に入り、一直線にある場所を見やる。
隠れたシンシアがいる場所を。
最初に動いたのは、隠れていたシンシアだった。
体を丸め、回転しながら開けた場所に跳び出したシンシアは戦闘の口火を切った。
「行って、炎たち!」
すでに隠れ場所を見抜かれたと判断したシンシアは、後手に回ることを恐れたのだ。
高速で展開した火の魔術、そこから生み出された炎弾の数、実に二十発。
その全てに必殺の意が込められた炎弾は一発でも当たれば人間の体など軽く貫通し、掠りでもすれば千度を超えた炎は皮膚どころか内蔵すら焼き、その機能を停止させる。
「無駄」
それに対したのはシズカだ。
腕から濃紺の数珠を取り出し、投げる。
パキ、パキパキと珠が割れ、中から現れた水弾はまるで意思あるように二十発の炎弾に向かっていき、一つ一つを相殺した。
シュン! と風切り音を発するほどの高速でシズカの背後から一人の少年が跳び出した。
それはシルバだ。
「本当にいたあ! でも、ごめんねー。ジョージが殺せって言ってたから、さあ!」
シルバは獣のようなしなやかで直線的にシンシアへ向かう。
「ッ! 護って!」
炎がシンシアの周りを円柱状に燃え上る。
炎の壁が出現した。
一拍の間を置いた後、ジュッ! と物が焼ける音と共に鉄が焼ける臭いが辺りに舞う。
「あー! 僕の暗器があ! お気に入りだったんだよ!」
「炎たち、舞って!」
天上に向かい燃えていた炎が火の粉となり降り注ぐ。
「わ! わ! 綺麗だね。ねぇシズカ!」
幻想的な光景にシルバが背後のシズカを振り返りながら、言う。
攻撃を忘れる程に、その火の粉には害意が感じ取れなかったのだろう。
「粉……? 火の……? シルバ! 息を止めて! 速く!」
普段感情を表に出さないシズカが感情を露わにさせ、叫ぶ。
火の粉は宙に舞い、吸い込んだ瞬間に肺を焼く――だけではない。
魔術の炎と普通の炎は根本的な部分で違いがある。
そもそも火など熾る筈がない場所で火を熾すことが火の魔術なのである。酸素を燃焼させる必要すらない。水の中でさえその火は燃え続ける。
そう、肺の中に入ったとしても、その火は消えずに燃え続けるのだ。
「吹き飛ばす」
深緑の数珠を取り出したシズカはその数珠はその場で千切り、珠を火の粉に投げつけた。
ピタ、と空中で一時停止した珠は、空間自体が歪むようにゆっくりと渦を巻いた後、暴風に変わる。
それは火の粉を吹き飛ばし、その後ろにいたシンシアをも巻き込みながら壁に激突した。
轟音が響く。
「ガハッ! う……」
魔術的な防御を施された壁は、今の攻撃を受けてさえ、ビクともしていない。しかし、その分衝撃を吸収することもなく、シンシアに跳ね返した。
「チャーンス! だよね。だよね」
シルバは腕を振った。
袖口から指の間に一本ずつのナイフ、それが両の手に現れる。
「ほ、炎……た、ッ!」
「させないって!」
ナイフがシンシアの右肩に突き刺さった。
灼熱に焼かれるような痛みがシンシアを襲う。しかし、シンシアも『クルメル』の一員だ。元々魔術に詠唱など必要ない。痛みに負けぬ精神力さえあればいいのだ。
痛みに耐えたシンシアはなんとか魔術を発動させた。
紅蓮の炎が辺りを焼く――筈だった。
「な……なんで……!」
紅蓮の炎どこから火など何処にもなかった。
血に濡れた自分の周りが散らかっている程度で、平時の広間そのままの姿がそこにはある。
「またまたチャーンス!」
「ッ――!」
ズブリと今度はシンシアの左肩にナイフが刺さる。
「炎!」
混乱、恐怖、苦痛、そして忍び寄る絶望感。
万感の思いを込め、再度シンシアは魔術を放つ。それは初歩の初歩、シンシアが何千回、何万回と練習し、実践した。集中など必要ない、息をするように行える魔術。
最初に覚えた魔術だった。
だが、発動しない。
「なぜなの……」
次は一際大きいナイフがシンシアの腹を切り裂いた。
赤い血にまざり、腹部から臓器が見え隠れする。
「ッ――! 」
痛みに喘ぎながらもシンシアは思考する。
「(ナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ! ありえないわ。魔術が一切発動しないなんて。誰かに私の魔術が邪魔されている……? ッ――!)」
キッとその視線を広間の扉に向けた。
開け放たれた扉はそのまま廊下を移さず、なにか膜のようなもので塞がれていた。
「結、ゴホッ! ゴホッ、界……? こんなに、速く……! い、いつの間に」
結界魔術師は本来戦闘に向いていない。
それは封印した魔術のスットクが無ければ戦えないという理由があるからだ。結界魔術は行使に時間がかかる。空間全体を操るのだから当然だ。
戦闘中に易々と行えるものではない。
「当たり」
パチパチと正解を褒める様や自分の優秀性を誇る様など一切見せず、無感情にシズカは拍手をした。
「あ、気付いちゃったの? そう、僕たちがチェックメイトなんだよー! 二人掛かりなんて卑怯だとは思うけど、しょうがないよね。ジョージが言ったんだもんね。失敗できなかったんだよお」
「…………ふぅ」
シンシアは息をついた。
完全なる窮地。
何の力もない素人女性が本職の軍人に殺し合いを挑むようなものだ。
「ハハ……、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
箍が外れたようにシンシアは笑いだした。
「え? え? どうしたの? ねえシズカどうしたの!」
「私じゃないし、わからない」
事ここに至って、シンシアは生きるのを諦めた。
シンシアは両手を上に上げ、叫ぶ。
「炎よ!」
発動する筈がない――そのシズカの僅かな油断が、決定的な隙を生んだ。
魔力が辺りを包む。
魔力漏れの霧とは決定的に違う。余波というにはあまりに強過ぎる魔力の本流はまるで生き物のようにシンシアの周りを昇り、部屋を包む。
「シルバ、アレを止めて! やばい!」
「え? え? う、うん」
魔術師ではないシルバは訳も解らず、しかしシズカの指示通りにシンシアを止めるべくナイフを放った。
ガキン! 実態のない筈の魔力がまるで壁に当たったかのようにナイフを弾き飛ばす。
「え、ええ!」
結界魔術とはいえ、全てを操れるわけではない。
そもそも全てを操れるなら結界を敷いた瞬間にシンシアを殺せた筈であるし、結界は外的内的を問わず魔術を防ぐことは出来るが、生命や魔力を止めることはできない。
そう、魔術を発生させるプロセスは行えるのだ。
水の塊を結界、火を魔術と考えれば理解しやすいだろう。直に火で炙ろうとすればすぐさま水で消火され、そもそも中は火を熾すこともできない。しかし、厳密にいえば火花くらいは発生していて、すぐに大量の水に消されているのだ。
ならば、火花ではなく太陽を出現させればいい。
水を蒸発させるほどの火であれば、結界を壊すことも可能だ。
至極、簡単なことだ。
しかし、それは誰も行わない。
シンシアがこれまで放った魔法は炎弾と炎陣という防御魔術のみだ。
それは何故か。
火魔術とは行使すれば勝手に相手が傷ついてくれるような簡単なものではない。魔術とは大きければ大きいほど、扱う場所や時間を考慮しなければならない。
相手は燃えるが、自分は燃えないなどという矛盾に満ちた火など存在しないのだ。
「ッ――! 自爆する気!」
シルバが新しい数珠に手を伸ばす。
だが、間に合わない。
「炎よ! 全てを滅ばして!」
シンシアを中心に疑似的太陽が出現する。
圧倒的熱量は辺りを灰燼と化すべく、その本性を露わすかのように辺りを焼きつくした。
伝説の殺し屋集団『クルエル』が持つアジトの一つが、この日、消滅した。




