02、日常(セシリア)
朝の光が、大聖堂の白い床を照らしていた。
鏡の前に立ち、私は襟元を整える。
銀色の髪を撫で、頬にかかった一房を耳へかけた。
白い軍服風の衣装。
腰には聖剣。
どちらも、まだ私の身体には馴染んでいない。
「セシリア様。間もなく出撃の儀が始まります」
扉の向こうから騎士の声がする。
「……はい。今、行きます」
鏡の中の自分を見る。
口角を上げる。
もう一度。
今度は少しだけ自然になった。
大聖堂の扉が開く。
「セシリア様ー!」
「聖勇者様!」
「魔王を討ち払ってください!」
歓声が押し寄せてきた。
私は一歩、前へ出る。
笑顔。
右手を振る。
「皆さん、ありがとうございます」
子供が掲げている小さな御守りに気づき、手を止めた。
「それ、あなたが作ったの?」
「は、はい!」
「綺麗ですね。大切にします」
「えっ……!」
子供の顔がぱっと明るくなる。
私はもう一度、手を振った。
歓声が大きくなる。
聖剣の柄を握る。
冷たい。
何度握っても、何も起こらない。
私はそっと手を離した。
そして、何事もなかったように笑った。
儀式が終わる。
大聖堂を出たところで、私は一度だけ足を止めた。
「……ふぅ」
小さく息を吐く。
そして、そのまま学園へ向かった。
学園の教室。
扉を開ける。
「……あ」
夕暮れの教室に、シトがいた。
窓際の席で本を読んでいる。
私に気づくと、本を閉じた。
「おかえり、セシリア」
「ただいま……って、ここ私の家じゃないよ?」
「じゃあ、お疲れ様」
「うん」
鞄を机に置く。
椅子を引こうとして――止まった。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「なんでもない」
私は椅子に座った。
シトがこちらを見る。
「顔、疲れてるよ」
「そう?」
「うん」
「勇者だから、これくらい平気」
笑ってみせる。
シトは何も言わなかった。
ただ、席を立つ。
「ちょっと待ってて」
「え?」
教室を出ていく。
数分後。
戻ってきたシトの手には、紙袋があった。
「これ」
「なに?」
「パン」
「……パン?」
「朝、食べてなかったでしょ」
「どうして知ってるの?」
「セシリア、朝は眠そうだから」
「そんなところまで見てるの……?」
「見てるよ」
シトが当たり前のように言う。
私はパンを受け取った。
「……いただきます」
一口。
ふわりと甘い香りが広がる。
「おいしい」
「よかった」
もう一口。
シトが向かいの席に座った。
「今日は何があったの?」
「いつも通りだよ」
「本当に?」
「……」
パンを持った手が止まる。
「……ちょっとだけ」
「うん」
「みんなが、私なら魔王を倒せるって」
「うん」
「聖剣も、すぐに解放できるって」
「うん」
「でも――」
私は腰の聖剣を見る。
指先が柄に触れた。
「……まだ、何もできない」
シトは急かさなかった。
私は剣から手を離す。
「私、勇者なのに」
「セシリア」
「……なに?」
「こっち見て」
顔を上げる。
シトが少しだけ身体を屈めた。
私と目線が合う。
「勇者じゃなくても、セシリアはセシリアだよ」
「……」
「だから、僕の前でまで無理しなくていい」
私は目を逸らした。
「……そういうの」
「うん?」
「急に言うの、ずるい」
「ずるい?」
「……ずるい」
頬を指で掻く。
シトは少し笑った。
「じゃあ、もう言わない」
「それはそれで嫌」
「難しいなぁ」
「……ふふ」
思わず笑う。
その瞬間だった。
教室の外から鐘の音が響いた。
夕暮れを知らせる鐘。
私は窓の外を見る。
赤い空。
街の向こうに、夜が迫っていた。
「もう帰らなきゃ」
「送ろうか?」
「大丈夫」
立ち上がる。
鞄を持つ。
「また明日ね、シト」
「うん。また明日」
教室を出る。
数歩進んでから、私は振り返った。
シトはまだ窓際に立っていた。
「……シト」
「ん?」
「ありがと」
「どういたしまして」
扉を閉める。
廊下を歩く。
胸元に手を当てる。
先ほどまで握っていたパンの袋を、鞄の中へ大切にしまった。
私はまだ、倒すべき「姿なき魔王」の真実を知らなかった。
変更後です




