6. 見えている世界
ぼうっと天井を眺めていた。
窓から差す光に照らされながら、キラキラと埃が舞う。
しばらく目で追っていたが、簡単に見失い、また次の埃へと目をやる。
鳥はチュンチュンと歌い、
遠くからは牛の鳴き声、
それらを掻き消すかのように足音が近づいてくる。
――ガチャ。
「なんだ、起きてるじゃないか」
お揃いの短い銀髪を揺らして、兄様が扉から顔を覗かせた。
「体調でも悪いのかい?」
「おはよう兄様、ううん、今起きる」
ゆっくりと体を起こせば、それに反応してベッドがキシリと鳴る。
「ぼく、これから友達のところに遊びに行くから。留守番はできるね?」
「 ネイズー! 」
外から、兄様を呼ぶ声がする。
「今行くーー!!」
できない、と嘘をつこうかとも迷ったが、結局首は縦にこくりと下りた。
「ん、いい子。それじゃ、行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
手を振って、兄様を見送る。
駆けて行く兄様が、こちらをチラチラと振り返ってくれるのではないかと期待したが、父様のようにはいかなかった。
私は今日も、この家に取り残される。
胸にぽっかり、穴が空いたようだった。
――ルカがいない。
昨日は確か、ルカが初めて一人で冒険をする日だった。
夜にその冒険の話を聞かせてくれる、と、そう約束をしたはずだ。
それがどうしたことか、昨日の晩は、ルカからの返事がなかった。
今朝だってそれは変わらない。
一応、ルカの生存確認は、人の身に収まった少しの神の力でどうにかできる。
場所を特定することはできないが、今、誰が生まれて、誰が死んでいったのか、情報が頭に直接流れ込んでくるのだ。
知りもしない他人のことばかりなので役に立つことはこれまでほとんどなかった。
それが今世では、心の拠り所となっていた。
以前、私が熱を出して、テレパシーが送れなくなったことがあった。
そのときも、ベッドに寝ながら、ルカが生きていることを知って安堵したものだ。
しかし、生きていればそれでいいというわけでもない。
ルカは返事ができないほどずっと忙しい状態なのか、もしくはあの日の私のように熱にうなされているのかもしれない。
心配であることには変わらなかった。
(ルカ、いる?)
話しかけてみる。
相も変わらず返事はない。
今日は絵を描くことができない。
昨日、母様に、勝手にナイフを使わないことを約束させられてしまったからだ。
一人寂しく朝食を摂る。
部屋を少し歩いて……特に面白いものは見つからず、ベッドに戻って体を預ける。
窓から風になびく木々を眺めていた。
(ルカ)
声をかける。
返事はまだない。
(ルカ……ルカ……)
狩りの途中だったりしないだろうか。
もしそうだとすれば怒られてしまうだろうか。
それも気にならないほどにルカの声を求めていた。
ゴロゴロとベッドを転がり、ふと、本棚の存在を思い出した。
両親の部屋に本棚があったはずだ。
昨日は母様には気づかれないよう、まだ少ししか覚えられないふりをしたが、実際、ある程度の読み方は覚えた。
何かしら自分でも読める本があるかもしれない。
靴の踵を踏んだまま、部屋を飛び出した。
自分の背丈ほどの小さな本棚に立てられた本。
商売に関する本、料理に関する本、何やら難しそうな本が並んでいた。
手に取ったのは図鑑。
食べられる植物や、価値のある魔獣等が絵付きで編さんされている。
どこを見ても新鮮な情報ばかり。
秋になると食卓に並ぶキノコ、
村の猟師がたまに担いでいる大きな魔獣。
いくつか見たことあるものもあった。
読める。
知ることができる。
ようやく今日という時間が楽しいものへと変わり始めた。
その直後だった。
ライゴンだ。
あの日、あの空間で見た二足歩行のライゴン。
その絵が視界に映る。
「……かわいくない」
眉間にしわが寄る。
ライゴンはもっと愛らしい顔つきをしていたはずだ。
こんなに恐ろしい姿で描かれるようなものではない。
下の文章に目を落とす。
――ライゴン
大きな牙と爪、翼を持つ竜種。
森の大木、その根に生い茂るミントの群生に巣を作る。
基本的に番は生涯で一頭とされ、子を育て、巣立ちをさせ、また子を設けることを繰り返す。
肉は硬く、臭みが強いが、毛皮は防寒具や装飾品として珍重される。
特に白毛の個体は希少である。
指が止まる。
「……毛皮?」
もう一度、その言葉を反芻する。
毛皮、防寒具、装飾品。
頭の中に、ルカの姿が浮かんだ。
ルカの白く、ふわふわとしたあの毛が脳裏を埋め尽くす。
思わず口を覆う。
私は、自身の無知により、彼を危険な場所へ送り出してしまったのかもしれない。
もし、人間がこの毛皮を欲しがるのなら。
ルカは――。
「「ただいま」」
二つの声が扉越しに響く。
慌てて本を閉じた。
ぼふんと埃が舞い、咳き込む。
扉を開けたのは兄様だった。
「レオニス? そこで何をしてるんだい?」
「おかえりなさい、えっと……本を見てたの」
「もう読めるのかい!?」
「ううん、絵を見てただけ、だよ」
ぎこちなく出る言葉に、母様が首を傾げるのが見えた。
「図鑑ね?」
「うん」
母様はそれ以上、何も聞かなかった。
「何か好きなものはあったかい?」
「……お花とか、まじゅうとか」
「そう。面白かった?」
そう聞く母様の首はまだ傾いたままだ。
「うん」
こくりと頷く。
本当は、聞きたいことがあった。
ライゴンの毛皮は、どうして価値があるのか。
人間は、ライゴンをどうしているのか。
ルカは、大丈夫なのか。
けれど、それを聞くわけにはいかなかった。
昨日、私は文字を覚えたばかりなのだから。
「……あのね、私、お腹空いちゃった」
私は何も知らない子供の顔をして、本を戻した。
3人で用意したパンと魚とエールを籠に入れると、それが持ち上がる。
「それじゃあ父様に届けてくるわね」
そのまま玄関へ向かおうとする母様のエプロンを掴んだ。
「私も行く!」
「レオニスはお留守番。ネイズはおいで。畑のことを説明したいの」
今日は散々寂しい思いをしたのだ。
この場所で嫌なことも知ってしまった。
ルカとは依然として連絡が取られないままだ。
また、この家に取り残されたくなかった。
きゅっと、拳に力が入る。
「……それじゃあ、皆で一緒に行って、皆で食べましょうか」
母様と目線が合う。
私は大きく頷いた。
久々に見る畑はもうすっかり雪が溶け、茶色い土のあちこちに小さな緑が見え隠れしている。
手を引かれて歩きながら、キョロキョロと外の世界を目に焼き付ける。
「ほらレオニス、父様だよ」
その声にひょっこり顔を出して前を覗き込む。
朝ぶりに見た父様の顔はなんだか痩せこけて見えた。
が、そんな印象も、目が合うと同時にどこかへと吹き飛んだ。
「今日はレオニスも来てくれたのか〜っ!」
笑顔で屈み、抱きしめようと腕を伸ばした父様は、私の後ろから聞こえた咳払いに、慌てて静止した。
「あっ……はい……」
私も父様の腕に強く抱かれたかったが、泥だらけになるのはごめんだった。
行き場を失ってもどかしそうにする父様の手がなんだか面白くて、笑みが漏れる。
その後は四人、切り株に座って昼食を食べた。
穏やかな風が心地よくて、ルカのように自由に走ってみたくなる。
立ち上がってそっと振り返ると、母様が目だけでこちらを見ていた。
……どうやら自由に動き回らせる気はなさそうだった。
その場に屈んで、父様がこれからふわふわにしてくれるという土に触れてみる。
「つめたい……」
「もうすぐ暖かくなるさ。そうしたら、皆で種を撒こうね」
父様が私の肩を寄せて抱く。
あ。
「あ……!」
私が反応するより早く、母様が声を上げる。
父様の服についていた泥が、私の髪に落ちていた。
――体の大きな父様が小柄な母様に叱られている。
兄様と顔を見合わせ、クスクスと笑った。
この人たちも、ルカの毛皮がほしいのだろうか。
ふと過った考えに、胸がちくりと痛んだ。
――――――――――――――
一日を終えて、ふかふかの布団に潜り、その中で、今日あったことを思い返す。
思い返そうとして、今日の一日にどうしても足りなかったものが脳内をチラついた。
(ルカ……)
心の中で呼んでみる。
自分のテレパシーの力が弱まっているのかもわからない。
神の頃よりずっと自由だというのに、堅い殻に閉じ込められたようでどこか恐ろしかった。
(……ルカ、今どこで何をしてるの?)
[――こんばんはレオ。今は木の上から星を見てる。今日は新月だから、星が綺麗に見えるぞ]
ルカだ。
ルカの声がする。
(ルカ!?今まで何をしてたの?)
[悪いな。ずっと寝てた]
(病気?)
[うーん、いや?]
(冒険は?大丈夫だった?)
[ああ、森の中で人間を見たんだ!六人も!]
(人間?)
[そうだ、俺、パパに褒められたんだよ。追いかけられて、なんとか逃げ切ったんだ。俺って結構、足速いのかもな!]
いつもと変わらず快活な声が響いている。
いつも通りなら、そこから「それでな!」と話が続くはずだ。
今日はそれがない。
(ねえ、ルカ、その人間の話もっと聞かせて)
[んー、俺はいいや。なんだかちょっと疲れちゃったんだ。今日はレオの楽しい話聞かせてくれよ]
二人の間に少しの沈黙が流れる。
(……今日はね、文字の勉強を始めたよ)
[ほう! 凄いじゃないか!]
(本当は簡単な本なら読めるようになったんだけど、今はまだ、少ししか文字を覚えてないことにしてるの)
[うんうん、えらいぞレオ]
(それで……さっきね、お勉強のご褒美にって、初めてマーゴの実を食べたの。すごくおいしかった)
[マーゴの実?]
(厚い皮に覆われた小さな赤い実で、中はプルプルしてたよ)
[それは確かにおいしそうだ]
私だって、今日あった素敵な出来事をルカに聞いてほしかった。
しかし違うのだ。
心がざわざわと暴れている。
ルカはどんな人間に出会ったんだろう。
何をされたんだろう。
ルカは何を感じたんだろう。
[森の中でも食べられる実だといいな]
(もし見つからなかったら、再会したときに食べさせてあげる。)
[おお、それは楽しみだ]
ルカが生きている。
生きていて、今、私に明るい声を聞かせてくれている。
それだけは分かった。
けれど、それ以上のことは何も分からない。
なぜルカは追われたのか。
人間とはライゴンにとって何なのか。
ライゴンとは人間にとって何なのか。
知りたい。
もっと文字を覚えたい。
私はこの世界について、知らなくてはいけない。




