第3章-2 無いと思う仕事でも、探せば片鱗は見つかる
「それでは先日の入社体験のまとめを致します」
もはや定位置となった場所で亀城さんが今日の議題を伝える。ホワイトボードじゃなくて黒板を利用しているのはインクの臭いに対する畏怖か。マジックでもだめなのか。
「はーい!」
それに勢いよく手をあげる一ノ瀬さん。
「きつかった」
指名される前に身も蓋もない一言を言い放つ。
「それだけですか玲音さん……」
「だって、私早いうちに意識失っちゃったから詳しいこと分かんないんだもん!」
そのきついが俺たちの体験したきついとはまた別な物だから、俺たちに反論の余地はない。
「……はい、そうですか。それでは今回印刷業を希望された宇梶さん。今回の体験入社の感想をお願いします」
一ノ瀬さんの唯一の共感者は一ノ瀬さんの無礼をお咎めせずに宇梶さんに感想を請う。
「はい。まぁまず先に印刷業とは関係ないんだけど、この部がガチだってことがわかったわ」
「俺と同じだな……」
恐らく宇梶さんも俺と同じでこの人たちやばいんじゃないかって思ってるに違いない。
だって一日だぞ? 一日で会社用意するんだぞ? 休憩の飲み物感覚で用意するんだぞ?
「そこは玲音さんの無茶振りに困らされている一ノ瀬グループの皆々様に感謝しましょう」
「無茶って――でも、恥ずかしがるべきことかな……」
普段から叱られることが多い一ノ瀬さんが、今回ばかしは反省するような素振りを見せる。
「……では、印刷業の業務を体験した感想もよろしくお願いします」
その態度に亀城さんは追撃をせず、先ほどの続きに戻った。
「そうは言われてもね……。まず第一に自分の先入概念と全く異なっていたから感想も何もないわね。その原因作ってた内の一人にあたしも入ってた訳だけど」
「電子書籍読んでるのか?」
「あんたみたいに辺鄙なところじゃないけどあたしも上京してきてるのよ。アパートだと物多く置けないから、かさばる漫画よりも一台のスマホの方がいいの」
何で田舎と一緒にされたくないんだよこの人は。
「それが原因なのかはわからないけど、聞いてた話あんな大手でも外国人労働者をいっぱい雇用しているみたいな話をしていたわ。忙しいわりに労働賃金にそこまで割けない業種だから、今後ジリ貧なんじゃないのかしら?」
「東日本印刷社は日本新聞などの大手新聞会社やエイトテンなどの大手コンビニと提携契約していますから早々潰れることはないと思われます。ですが、他は分かりません。すぐに必要とされる品物なので海外に受注は難しいと思われますが、今後の電子タブレット関係の成長次第ではそちらに全て取られてしまうでしょう」
「海外を相手に入れないだけかなりマシだろうけどな」
農家とか酪農なんて海外との競争が最も激しい一つだからな。関税が無くなればより安く買えるからって色々進めているけど、そうなれば農家は更に安くするか、生産量を増やすしかなくなる。
かといってそのようにすれば今度は輸送費が捻出出来なくなるから困りものだ。どちらかといえば石油の関税が無くなってほしい。無茶な話だが。
「後はやっぱり肉体労働だから亮一にはお似合いかもしれないけど、あたしたちみたいな女子には向かないわよ」
「俺だって田舎とあんまり変わらない仕事には関わりたくないんだよ。スカウトされたから強くは言えねえけど」
石間さんいい人だったしな。
「宇梶さんからは以上でしょうか?」
「これだけね。完全に女性向けな労働じゃなかったて所が盲点だったわ」
「一応女性向けの業種もあったそうです。誤字脱字のチェックだそうですけど」
「あったの⁉ 何でそれを教えてくれなかったの!」
「一日何百枚もの記事をチェックするそうで速読の技術が必要にされるそうですので、難しいと石間さんが踏んだそうです」
「何百枚……。私毎日親族から来る紙ですら読むの億劫だからそんなに読めないよ」
「あたしも熟読派だからそれはちょっと……」
そっちはそっちで楽かと思えばかなり厳しい仕事だった。やっぱ楽じゃないな仕事は。
「それでは河西さん。感想はありますか?」
最後に亀城さんは俺に話を振る。
「肉体労働だから俺向きだろうと思うけど、何と言うかこれじゃない感があるというか」
「スカウトされたんだからいいじゃないの。今時内定貰えなくて無職な人だっているのよ」
「元々宇梶さんが体験したかった仕事じゃないかこれ!」
俺が求めて行った訳じゃないからな!
「あたしはまた別のところ考えるからいいわ。あなたにあげる」
「自分の企業みたいに言うなよ。てかまた一ノ瀬グループに頼る気満々か」
「そりゃリセマラ部の部員だから存分に使わせてもらうわ!」
宇梶さんと言い合う中で、俺はチラッと別の方角を見る。案の定同士が増えたことを喜んでいる一ノ瀬さんと頭を抱える亀城さんの姿があった。
「そんなに漫画関係好きならコスプレでもすればいいんじゃないか? 東京ならそういうお店あるだろ」
スタイルがいい、とはお世辞にも言えないが、容姿はいい。おまけにアニメ、漫画に精通しているのなら天職じゃないかと俺は提案する。
が、宇梶さんは同意しない。
寧ろ、俺の顔を見てわなわなと震える始末だ。
「へ、変態ぃぃぃー!」
そして俺に向かって罵倒してきた。
「何でだよ! 普通に仕事教えただけだろ!」
「そうやってあたしをおもちゃにするんでしょ! ビキニアーマーとか、リボンコスとか着させて! あの薄い本みたいに!」
「違う! 違う! 俺が言ってるのは秋葉原にいるメイドみたいなことを言ってるんだ!」
何でこいつが三平の極秘で入手した女性人にはあまり見せられない過激コスプレが載った薄い本の内容を知ってるんだ! 漫画好きだからってそういう本まで読んでるのかこいつは!
「ねえねえ綾野。ビキニアーマーとリボンコスって何? そんなコスプレがあるの?」
「河西さん。そういう話は玲音さんにはまだ早いのであまり喋らないでいただければ」
「何で俺⁉ 俺は普通にメイドカフェとか普通に表通りで営業できる物のことを言ったんだけど⁉」
「また綾野は私のこと子ども扱いする! 綾野は知ってるのに意地悪!」
勘違いした宇梶さんではなく、何故か俺が攻撃を受ける。というか敏腕だからってこんな知識まであるんですか亀城さん!
「むぅ。何で綾野は教えて貰えてるのに私は教えてもらえないの?」
「れ、玲音さん。これは教えてもらったというか、仕える物として色々知識は得ておかないといけないと思いまして」
一ノ瀬さんの疑問に亀城さんはしどろもどろになりながら答える。
「へぇ。綾野って優等生なんだ。ねえ、他のことも知ってるんじゃないの?」
「えぇっ⁉ ちゃ、茶化さないでくださいよ宇梶さん!」
何かと優れている亀城さんを宇梶さんが肘で突く。
「あたしその辺しか知らないからもっと知りたいな~。玲音もそこらへん聞いてみたいよね?」
「綾野だけずるい! 私も知りたい!」
「えぇぇぇぇっ……!」
あぁ。宇梶さんがいじりすぎるから亀城さんが泣きそうになってる。一ノ瀬さんもおまけにつけるとか鬼かあの人!
「え、え、え、あ」
あぁ……亀城さんが置き位置の悪いラジオみたいになってる。電波が飛び飛びで届いているみたいになってる。
真っ赤になりながら答える姿はかわいいけど、普段の彼女を知っているからすごくかわいそうになってくる。
「あ、あのですね。詳しくは――言えませんから、お願い、しまぅ」
うわー。尻すぼみになって最後の方なんて消えそうなか細い声になってる。
「うんうん。後で調べればいいからね。で、どんなのがあるの?」
「えっ、えっ、うっ」
宇梶さんに急かされ、嗚咽のような音を鳴らしながら戸惑う亀城さん。
一度目を瞑り、唾を一気に飲み込んで心を落ち着かせ、口を開く。
「え、駅弁とか、シックスナインとか、後」
「「ストーップ!」」
俺と宇梶さん、どちらが先にと譲る間もなく、同時に亀城さんを止めにかかる。
「違う! それ違うから! 綾野何か勘違いしてるから!」
「えぇっ! 確かそういうのがあったと思うんで、あながち間違ってないと思うんですけど。あ、あながちと言えばアナ――」
「駄目ー! それもアウト!」
この人は一体何を勘違いして三平が入手した禁断の女性厳禁立ち入り不可区域閲覧推奨、健二が鼻血噴いて倒れた薄い本の内容を言ってしまったんだ! そして何で知ってる! 亀城さんも、止めにかかった宇梶さんも!
「ねえねえ。綾野。駅弁はともかく、シックスナインって何? 69ならシックスティーナインだよね?」
「えぇぇ……説明しないといけないんですか?」
「いい! 説明しなくていいから!」
「ええっ⁉ 聞こうって言い出したのは御代でしょ! なら御代が教えてよ!」
「ちょ、あ、あたしが教え――。もう! 亮一のエッチ!」
「何でだよ!」
もう滅茶苦茶だ!
遊びで火種撒いた人が思わぬ不発弾に着荷させてしまって陽気に跳ね回るガソリンホースがガソリン撒きまくって大炎上だ! 俺に収拾つけろって言われてもこれは無理だ!
とにかくこの話を鎮火しろ! 誰でもいいから鎮火しろ! ――鎮火してくれ!
コンコン。
大騒ぎの中乾いた打音が響く。
「……隣に迷惑かけたのか?」
「いや、寧ろ内容が内容だから――通報された?」
「俺は悪くないぞ⁉」
そうなったら真っ先に疑われるのは唯一の男である俺じゃねえか! 源太が言っていたハーレム漫画とは程遠い現実的な事態じゃないか!
「それはないと思うんですけど。右隣は園芸部で大体外にいて部室を使うことはほとんどありませんし、左隣に関しては空き室です」
「そ、それなら安心だな」
良かった。俺が捕まることにならなくて。
「じゃあ誰だ?」
「みんな何してるの! ここに来るってことはあれだよあれ! この部の訪問者だよ!」
一ノ瀬さんが立ち上がり、扉の方に向かう。
「デジャブだ」
「今ならわかるわ。何であんなはしゃぐ犬のような出かたしたのか」
これを経験した宇梶さんがげんなりする。入って一日でこの理解度。一ノ瀬さんの存在感がよく分かる一コマだ。
そして今回もはいはい言いながら一ノ瀬さんは部室入り口にまで駆け寄っていく。犬だ。取って来いと物を投げられた犬のようだ。
「また驚くんだろうな」
「驚かない人いる?」
「玲音さんをよく知っている私から言わせてもらいましても、いないと思われます」
満場一致の結果だった。これを覆せる物ってあるのか?
「お待たせしましたー」
次は飲食店のバイトにでも行くのかと尋ねたくなる返事で一ノ瀬さんが扉を開く。
勢いよく放たれた扉の先。いきなりこの部の全容を見せられ、笑顔の部長を目視した新たな来訪者。その来訪者は。
笑っていた。




