洞窟百景
目の前には横幅数メートルのゆったりとした広い廊下が続いている。
右に目を向けると、本棚が廊下と隣接するようにずらりと並んでいる。
「ここまでは普通の図書館なんだけどね……」
そのまま左を見れば「崖」となっていて、そこから滝がドドドドドッと勢いよく溢れ出し、奈落の底へ落ちていく。
飛び込めば難なく死ぬだろう。さらに視線を奥へ向けると遠くの方に山も見えて、色彩豊かな森林を一望することができた。
目隠しをして、何も言わずにここへ連れてこられた場合、初めての人は何と言うだろうか。きっと驚いた後に二度見三度見はするであろう。たとえ今いる場所が図書館だと言われても、そう簡単には信じないと思う。
アズール図書館の地下二階にある「洞窟百景」は、文字通り百の景色に変化する。来るたびに地下二階のそのエリアごと丸ごと変わり「景色そのものをお化粧する」のだ。
クローデリア大陸の名所を疑似再現しており、今日は千の滝である。先日本物を見たばかりなので、瓜二つの光景に笑ってしまう。
なお、左手にある崖から先は行くことはできない。見えない壁に阻まれて、それ以上はいけないようになっている。
さすがにこれ以上いけたら定期的に行方不明者が出るのは間違いないだろう。なお、本たちは別のようで空中から崖の先へ行きクルクルと楽しそうに舞っていた。
「そういえば、奥まで進んだことはなかったな。行ってみよう」
左の滝の凄まじい濁流音を聞きながら廊下を歩く。空中にある証明はぼんやりとした緑色をしていて、廊下や本棚の色は茶色。全体的に秋の移ろいを感じさせる配色である。時折、図書館にはいないはずの鳥が軽やかに左を通り過ぎていく。
間違いなく魔法なのに、本当にそこへいるような気分だった。ちょっと前に、変な雑誌が毎日ここへ通うことはボケ防止になる! という珍妙な見出しをして紹介したところ、老人たちが大挙して押し寄せたこともあったのだ。
あの時のステラさんの怒りは怒髪天を衝くほどであり、あの手この手で偽情報を出した出版社を追い詰めていた。訪問者の増加は喜ばしい反面、トラブルも多くなる。
特にご年配で頑固者の来訪者は一人で文句をいうだけならまだしも、二人になって互いに衝突した時は大変だ。本の仲介もまったく意に返さない。結果として彼らは本たちによってワッショイワッショイと持ち上げられて外へペイッと投げ出されることになる。
「あれ、ここさっき来たよね?」
歩いていくと、どうにも最初のスタートラインまで来たようだ。この廊下を歩く者は、いつの間にか来た場所へ戻るよう魔法に組み込まれているのだろう。
いつもながらよくこんなものを考えつくなと感心する。どのエリアに行っても千変万化する図書館の光景は、本当に見てて飽きないものなのだ。
◇
本来ならステラさんのところへ行くところ、どうしても用事が入ったようで「また来てほしい」と連絡をもらう。
本によって届けられた彼女の手紙は実に達筆であり、綺麗な文章だった。思えば彼女のことを知っているようで何も知らない。せっかく司書になったのだから、少しずつ教えてもらえたら嬉しい。
いつものようにアズール図書館に滞在してから、余裕をもって王城へ到着する。今回は王城ではなく、少し離れた会場で執り行うという。
いよいよ三傑の発表だ。
ジンから招待状もきているので、行かない理由はなかった。先に三傑のことを知っている身としてはネタバレのようで申し訳ない気持ちもあるけれど、発表された瞬間に立ち会えることと、それを聞いた周囲の反応はとても楽しみであった。
ただ、気になることもある。珍しくあの銀髪王子が僕のところへ来ないのだ。立て続けの国務なので、いかにもあの個人至上主義者が嫌がると思っていたものだ。それを逃げずに全てこなしているのは中々に驚きである。
もしかしたらジンの心境にも変化があったのかもしれない。王族としての自覚を今さら芽生えたとなればユンゲル右大臣は泣いて喜ぶことだろう。
……まぁ実際はプアロ王子絡みでさすがに逃げられないというオチだと思う。もし会えて二人で話ができそうなら、労いの言葉をかけようと思う。
モモと彼女の付き人であるリュネさんと合流して、目的地へと到着する。
やや年季の入った建物であり、所々風化の跡も見て取れる。失礼ながら、三傑発表の場としては似つかわしくない気もした。
「えっと、ここだよね? 外観的にちょっと古い気もするけど……」
「私もそう思う。リュネは何か知ってる?」
「一昔前は十代の貴族を中心とした社交界で盛り上がっていた会場です。ただ、とある事件によって曰く付きの会場となっております」
「曰く付き?」
「はい。流血事件です」
当時、カイゼン王家の姫君を招いた際のことだ。現在のアズール王(つまりジンの父親)が姫君の手を取り軽く手の甲にキスをしたところ、姫君の婿殿が怒ってアズール王の手を魔具で弾き飛ばしたという。
「へぇ、そんな事件があったんだ。アズール王の手に血が流れたんだね」
「いえ、違います」
「ん?」
「それを見た現在の后様が、姫君の婿殿を殴り飛ばして流血させ、高笑いしたのです」
「……」
確かジンは后様のことを脳筋女帝とか言ってたっけ。若い頃は非常に活気盛んで戦闘大好きな令嬢だったと聞いている。家柄も貴族でありながら中流階級程度であり、身分的に本来ならそう簡単には結婚できないそうである。
歴史的に見てもだいたいアズールの王は上流貴族と結婚している。もちろん例外もあり、今回の場合はそれだ。現アズール王の一目惚れで結婚したことは世間的にもかなり有名だったりする。
「でもそれを会場として使うの? 大丈夫かな」
「私もそう思い事前に王城関係者に聞き取りしたところ、カイゼン側の要望だったそうですよ。なんでも昔の遺恨の場を良い形にしたいと」
「「おぉ……」」
モモと一緒に感嘆の声をあげて、二人で見合って笑ってしまった。中々に豪胆な方だ。さすがはプアロ王子。三傑でちょっとジンの思惑通りになったので、ここらで挽回したいのかもしれない。
なお、今日はアズール学校の学生らしく貴族科の制服で来ている。晩餐会でもないので、これが最もこの場に適した服装だと判断した。
開かれた重厚な扉を横目に中へ入れば、目の前に広がったのは、琥珀色の光に満たされた大広間だった。手入れのされている磨き上げられた床面は、高い窓から差し込む陽光に反射して鮮やかに光っている。
天井には水や火、氷や雷などの自然魔法を鮮やかに描いた絵画が全体を覆っていた。これを完成させるのにどれだけの時間と労力を必要としたのだろうか。
相当大変だったのでは……と思うも、横でモモの「魔法で描いてくるからそんなに時間はかかっていないはず」という鋭い指摘を頂戴する。
「人の手で描いたものと、魔法で描いたものの違いはあるの?」
「うん、魔法で描いたものは『不規則な規則性をもつ』の。矛盾している言い方だけど、私はこの表現が一番ピッタリくる。たとえばあそこ……」
指を差された方を見ると、炎と風が唸るように描かれていた。今にも絵から飛び出してきそうだ。かなり複雑に描かれているように見える。
「あの描写をね、少し離れたところで反転した形で描いているの。あっち」
「……あ、本当だ」
「今回は比較的わかりやすいと思う。あえてわかるように描いたのでしょう」
「ちなみに、意図は?」
「この国では、絵も魔法でここまで描けるという欺瞞かしら」
誇りではなく欺瞞という表現は、いかにも画家として頑張っているモモらしい言い方だ。アズール人なので魔法を尊重するけれど、画家としては魔法による絵画は許容できないのだろう。
会場の観察に戻ると、特に目を引くのは、吹き抜けの大広間をぐるりと囲む二階の回廊だろうか。紫色の鉄製の手すりはヨスル型と呼ばれる蝋燭に見立てた独特の形状をしている。
また、奥にある幾重もの窓は、天井まで続いていて、自然の光を全体に行き渡らせているようだった。
二階の左右にはそれぞれ扉があり、中央にも二つの扉がある。
扉は合計四つ。
あまり見ない作りだ。モモと二人で何だろうと首を傾げていると、補足するようにリュネさんの口が開く。
「左右の扉は王族の方々専用となっていて、中央の扉は客人用となっております。おそらく、左右の扉からジン王子とプアロ王子が現れて、中央の扉から三傑のお二方が登場されるものかと」
「さすがリュネさん、博識ですね……!」
「えぇ、是非レノンも一緒にいてほしかったものです。ウフフ……」
彼を連れてこなくて本当に良かった。もしいたら、口を真一文字にして悔しがっていると思う。
さらには、リュネさんから「こんなことも事前に調べていないのね。主人の行くところなのに」と言われていただろう。何故かこの二人は共食い(執事バトル)を始めるのでモモと一緒にどうしたもんかと悩んでいる。ただ、本人らは地味に楽しそうなので良しとしよう。
改めて二階を見ると、僕らからはあそこへ行く方法はなさそうだ。二階から見下ろせば、広間で待つ人たちの姿を一望できるから一度は見てみたいとも思ってしまう。
僕らの他にも招かれた方々は結構いるようで、ざっと二百人以上はいるだろうか。不思議だったのは、服装を見るに普通の王都の住民のような気もする。ぎこちない動きの人や、立ち止まっている人もいて、なんだか変だ。
ただ、ここは一般人は立ち入り禁止なので、ここに呼ばれただけでも名誉なことだ。動きがおかしくなるのも頷ける。おそらく記者や報道関係者の方々だと思う。時間も迫ってきていて、皆が緊張するのも当然かもしれない。
「……リュネ、気付いた?」
「はい、おかしいですね」
呑気にそんなことを考えていたら、僕とは違って二人は神妙な顔で周囲を見ている。別段、今の段階でおかしなことはない。少し周りの人たちの反応が変なことぐらいだろうか。それも先に述べた通り、許容範囲内のことだ。
「二人とも、どうしたの?」
「……知っている人がいないの」
「一人も?」
「えぇ」
「記者や報道関係者だからだと思うけど」
「うん、それは問題ないことよ。ただ、私たちと同じ立場の人が一人もいないの」
「……なるほど」
それはおかしなことだ。呼んだのは僕とモモだけの貴族はありえない。こういう大事な行事の際は、必ず上流貴族に声をかけることが習わしとされる。当たり前すぎて気づかないものだ。
「ジンが嫌ったから?」
「さすがにジン王子だけの意向でそれは難しい」
「……そうだね」
変だ。
何か変だ。
さっきからずっと違和感ばかりだ。
それなのに、僕とモモ、リュネさんはその正体に気づくことができなかった。
そんな僕らの考えとはよそに時間は平等に過ぎていき……。
三傑発表の時間を迎えるのだった。




