能力と自覚
時は進み窓から覗く日差しが、控えめな程度に部屋を照らすようなそんな頃合になっていた。
だが、部屋の主は机に突っ伏したままの体制で寝こけたままであった。明の少し開いた口からは透明な液体が流れ落ち、机と頬を汚していた。
すると突然、ガチャリ部屋のドアが開き、1人の女性が中へ入ってくる。女はその惨状を見るなり、スパンと手に持っていた雑誌で明の頭を一閃。
叩かれ覚醒した明の耳に女の声が飛び込む。
「全く、こんな時間まで起きてこんと思ったらいったいなんしょーと?」
腰に両手を当てたまま仁王立ちする女性は、寝ぼけ眼の明へ問う。
「しかも、そんなとこで寝るな。寝んならちゃんとベットで寝なさい」
と顎でベットを指し示す。明はベットの一言に大慌てでベットを確認する。そこには、朝と同じ体制で丸くなっているコタロウが居た。
「あ、あの、かあさん。違うんだこの猫は」
「何ねぼけとん?さっさと顔洗って、机綺麗にしときなさい。わかったいいね?」
女はそれだけ言うとさっさと部屋から出ていく。明はその背中を見送りながら、チラッとコタロウの方を見る。
「昨日の言ったこと覚えてないのかにゃん?明以外に見えないって話」
コタロウは欠伸と伸びをしながら、呆れたと言わんばかりの視線で明を見た。
「寝起きって頭は回らないもんだから」
「確かににゃん。まぁ明は頭どころか呂律も回ってなかったにゃん」
「よく回る口だね?コタロウ」
開いているか開いていないか分からない位の薄目の笑顔で明はコタロウに言う。
「回らないよりはいいと思うにゃんよ?特に寝こけて人を数時間待たせたのにも関わらず、なんの詫びもしない。そんな気の回らない人よりかは幾分もマシにゃん」
ジト目で明の事を見つめるコタロウ。その視線に降参だとでも言うように明は手を挙げる。
「んで?昼前になったようだけど?やるんだよね?」
降参のアピールをした明に、追撃する大人気なさはコタロウも持ち合わせて居ないようで、サクッと切り替えて肯定する。
「もちろん」
良い笑顔で頷いたコタロウに、急かされるまま街の中を歩き回る。
出かける際に、昼食を食べてからにしなさいと止められた事と、日光で熱したフライパンになっていた地面の所為で肉球が熱くて堪らなかったらしいコタロウは、明の腕の中で不機嫌な顔で行先の指示を出していた。
「仕方ないだろ?僕は母さんに勝てないんだから」
「時間ロスにゃん。しかも、私の肉球が大変なことにゃん」
コタロウはそう言うと、肉球を明の眼前に突き出す。その肉球に明触れる事はない。
「僕も肉球も母には勝てないってことだよ」
明は得意げに、コタロウに言い放つ。それを聞いたコタロウは面白くなさそうな顔でこう答える。
「今朝の面白くないの大幅に超えてきたにゃん。挙句不愉快にゃん」
本当に不愉快でたまらないと言った表情をコタロウがしているのが面白かったのか、明はぶふっと吹き出す。
「……そこ右にゃん」
「行き止まりだが?全く……笑って悪かったから、ナビくらいちゃんとしてくれ」
明の腕に、かなりの勢いで噛み付くコタロウ。痛さに、顔をしかめる明。
「そんな事で仕事放棄したりしないにゃん」
「悪かった。進めばいいんだな」
これ以上怒られたくなかったのか、言われるがまま前へとすすむ明。1歩、2歩、3歩。何か変化した様子もない。
そして4歩目なにかに気づいた様子の明が呟く。
「涼しい」
夏の暑さはどこへやら。刺すような日差しも毒沼のような熱気も感じない。まるで秋口のような涼しさ、まさしく快適の一言であった。
「分かりやすくて良かったにゃん。今ちょうど虚構空間に入ったにゃん」
「なるほど、寒くなったら虚構空間ってのに入った合図なんだな?」
「ぶぶーにゃん。けど目の付け所は悪くないにゃん」
したり顔のコタロウを見つめながら、そして腕を抱えながら考える。その間にも汗がどんどん引いてゆく。どころか、明の腕には鳥肌がたつ程であった。
「虚構空間は誕生した瞬間のまま存続するにゃん。それが今回明が感じた気温差をもたらしてるにゃん」
にわかには信じ難いと言った表情で肩を竦める明。しかしながら、明自身が感じる気温差自体は確かであるし、宙で止舞ったままの落ち葉を見れば信じざるを得ないのである。
「アインシュタインも真っ青だな」
明は中空に固定された枯れ葉を指でつつきながら言う。指でつつかれた枯れ葉はまるで、鋼板かのようにびくりともしない。
「もう理屈は抜きにして並大抵の事は、全てそのまま受け入れるさ。頭がついて行かん」
「良い姿勢にゃん。そして、虚構空間には怪物がいるにゃん」
「怪物ね……昨日見た黒毛玉だろ?けど、昨日もさして苦戦はしてないぞ?一発手痛いの貰ったが」
そういい、明は左の手の甲を覗き込む。とは言え、その手の甲にはなんの傷も残ってはいない。
「確かに手に痛いの貰ってたにゃんね」
明は無言でコタロウを抱えていた腕を話す。コタロウは慌てる事もなく地面に着地して言う。
「苦戦もしてないのに、疲労で昏倒したって事実が不味いにゃん。そんな事に気付いて無いとは言わせないにゃん」
明は痛い所をつかれたと言ったふうに硬直する。
「だから鍛錬するにゃん。思念を効率よく、ムダなく使う為に想像力を働かせるにゃん」
「と言われましてもね。ピンと来ないんだよね」
「簡単に言うと、ホースの先にどんな形のノズルをつけますかって話にゃん」
「それは分かりやすい例えだ。とはいえ、空でノズルの形を思い浮かべるのは、些かしんどすぎやしないだろうか?」
「確かにそうかもしれないにゃんね。参考には先ずならないけれど、私がやってみせるにゃん」
そういい、明の前に出て先の十字路をじっと見つめる。するとその角からゆっくりと黒い靄の怪物が顔を覗かせた。昨日であったモノより大きく、色も濃く見える。
そんな事を気に求めていないのか、コタロウは小さな口を開け言葉を発する。
「これが私の脳力にゃん。『終焉と終端無き迷宮』」
その瞬間目の前の怪物の身体の殆どが、ごっそり削り取られたかのように消えた。それも立方体の立体で切り取ったように、十字路を形成していた壁を巻き込んで、綺麗にさっぱり消滅していた。
それと同時に形容し難い悲鳴のような、耳をつんざく様な声が響く。きっと怪物の悲鳴なのであろう。
「こ、これは?」
明は目の前で起こったことが、想定を超えていたのだろう。少し怯えの入った声でコタロウにとう。
「これが私の脳力にゃん。指定した空間を隔絶された別空間に送る程度の力にゃん」
明の方へくるりと向き直り、落胆の色を滲ませながらコタロウは言う。
「程度?……防ぐとかの次元にないよな、これ。えげつない」
既に形を保てず霧散した黒い靄。そして鋭利なナイフで切り取られたかのような、切り口を見せるブロック塀を見て明は言う。
「今みたいに指定する空間を調整すれば攻撃にも転用はできるにゃん。火力面じゃ本職には到底及ばないにゃんけど」
「これが僕の目指すゴールって訳?だとしたら、既にナイーブなんだけど」
大きなため息をつきながら明は言う。そんな様子にコタロウは笑って言う。
「そうじゃないにゃん。これは私の、私だけの脳力の形。脳力は個々人の人格、思想に大きく影響を受ける傾向にあるにゃん」
「つまり、僕とコタロウじゃ同じ能力になる可能性は極めて低いと?」
「奇跡でも起きない限りそうにゃん。だから明が自分の脳力の形を見つけるまで繰り返し鍛錬するしかないにゃん」
「怪物を狩りまくってかな?」
コタロウは察しが良いと助かると笑って明に言う。
「勿論、危なくなったら助けるつもりにゃん。とはいえ、私にも限界があるから程々で頼むにゃん」
「善処はする。ただ確実に迷惑はかける。何せ目隠しで宝探しする様なもんだからね」
「そこまで暗中模索じゃないハズにゃんけど?!」
コタロウが食い気味にツッコミを入れる。指導者としてのプライドにでも触れたのであろうか?
「よし、やってやろう。イメージが大事なんだろ?コタロウの直後なら上手くやれる気がするし」
明はコタロウの前に出ると、肩をぐるぐると回し始める。
タイミングよくブロック塀の向こう側から黒い靄の怪物が現れる。昨日全く同じようサイズ感ではあるが、潰れた深海魚のような不気味なシルエット。
「とりあえず昨日みたく殴ってみるかい?」
あまり気持ちの良くない風貌に、臆する事なく明は提案する?
「してもいいけどきっと昏倒一直線にゃん。きっとその路線じゃ無いにゃんよ」
昨日と同じ轍を踏むぞと警告するコタロウ。その言葉に違和感を感じたのか明は問う。
「昨日は初めて能力使ったからぶっ倒れたみたいに言ってたが?」
「それもあるにゃん。正しくない出力をしたから浪費したっていう側面もあるってだけにゃん」
「そういえばノズル理論だったね」
「そんなの理論は提唱した記憶は無いにゃんけど。言いたい事は伝わるからそれでもいいにゃん」
ゆっくりと地を揺蕩うように少年の方へぬるりと移動してくる黒い靄。
「じゃあ出力控えめ、種類マシマシ、消費軽めで行かないとだ」
そういい明は黒い靄に恐れなく突っ込んでいった。そして手当り次第に攻撃を仕掛ける。蹴り殴り、叩き潰しに踏み潰し。その度に明が手応えとして感じるのは、硬いゴムのような感触であった。
「コタロウ?これ意味あんのかな」
依然ピンピンとしている怪物を目の前にして、さすがの明も疑いを感じているようだ。優に攻撃を行った回数は二桁を超え三に桁に突入しようとしていた。
ひしゃげた風貌の怪物は、殴られる度に少し後退するモノの馬鹿の一つ覚えの様に真っ直ぐ、ゆっくりと明の足下へにじり寄ってくる。何度押し返しても、繰り返し繰り返し近付いてくる。
そして、プシュッなにかが噴出した時ような音が虚構空間に響く。音の主は明の足下の怪物。粘液なのか分からないが、液状の何かが明目掛けて噴出される。
足下からの広範囲の攻撃。明とて油断していた訳でない。しかし、長時間の攻撃ですり減った体力と集中力が攻撃に対しての行動を遅らせた。
そして、その遅れは広範囲にばら撒かれた液状の攻撃に対しては致命的であった。顔は紙一重で腕で庇えたモノの上半身の広範囲に粘液が降りかかる。
「ふざけた真似を」
腕にべっとりと付いた液を振り落とす。しゅーという音ともに粘液がかかった部分が発泡する。
「明、大丈夫にゃん?!」
コタロウが再び呪文を唱え、怪物の身体を切り取る。それで怪物は耳障りな音を出しながら崩れ消えていった。
「毒か酸かってとこだろうね。大した痛みは無いけれど」
コタロウから一歩距離を取った明は言う。粘液のかかった部分の肌は赤くなっていた。明が色白である為か、いっとう痛々しく見える。
「何か分からないけど、見かけ以上にダメージが重んでいるなら……撤退にゃん!……にゃん?」
首元に飛んだが泡を吹く。痛みが強いのだろうか?首元をぐっと押さえる明の様子を見て何かに気付いたコタロウが首を捻る。
そして、何かに気付いたであろうコタロウは声をあげる。目線の先には、傷を抑えている手の平の隙間から漏れ出る淡い緑色の発光。
「明、ソレ」
「ん、あぁ。痛みが消えて行っているよ」
そういいながら、明は他の粘液が当たり赤く変色した部分に順に手を当てていく。
見る見るうちに元の新雪のような肌に戻っていく。全ての傷を直しを終わった明は、小さく数度、手を開いて閉じてを繰り返し眼前のコタロウにニヤリと笑みを向ける。
そして、明はくるりと一回転ターンを決める。
「直し残しは無いにゃん。強いて言うなら服まで治るのはどう言う理屈にゃん?」
事実、明の服を斑模様にした溶解性の粘液の名残りは塞がっていた。問われた明は、方を竦めるポーズで返す。
「けどうん、分かったよ。僕の能力ってやつがね」
「素直に見るなら治療系の脳力にゃんね。保険が効くって意味では、当たりと考えてもいいんじゃないかにゃん?」
その言葉に、明は少し思案の表情を浮かべる。
「ただ、まぁなんだ。痛い目に会わないと目覚めなかった能力ってのはそんな気分だな」
「目覚めれた様で何よりにゃん。それに手の甲の謎もこれで解けたにゃん」
前日の昼間、削れた手の傷が一晩のうちに痕跡すら残らない程に癒えていた件にコタロウは触れる。
「そこに早く考えが及べば、この無駄な数十発の攻撃は回避出来たのにな」
「まぁ何はともあれって事にゃん。さて、目的は一旦果たしたし帰るにゃん。根詰め過ぎも良くないにゃん」
先導するかのように、コタロウはゆっくりと歩き出す。それを視界の端で見とめた明は言う。
「まだまだ行けるって言いたいとこだけれど、正直渡りに船かな。気だるさが中々な存在感してるんだよね」
そして、入ってきた時と同じ様に2人はぬるりと現実世界へ戻ってきた。虚構空間にはかなり長く居たようで、夕日が二人の目を刺す。
明は張っていた気が緩んだ所為なのか、手をブロック塀につき体を持たれかけさせる。
「次の課題は、スタミナ配分にゃんね」
「お前さぁ、もう少し労わっても良くないか?褒めろよ」
頭をたれながら、壁に寄り掛かる明が言う。その足元には顎から垂れた汗で灰色のシミが出来ていた。
「脳力に目覚めたのは良かったにゃん。脳力も治癒系で安定感が増すというのはいいことにゃん。ただ、それに甘えて被弾を避けなくなるのはダメにゃん」
「一言余分ってよく言われない?」
「よく言われる位に関われる人が、居ればいんだけどにゃん」
その言葉に、形勢が傾いたと見るや明は話変える。
「ただ目覚めた能力は自衛できそうな能力じゃ無かったけね。残念ながら」
「身体が癒せるのは自衛手段になるんじゃないかにゃん?」
やれやれと首を振る明。
「自衛ってのは殴りかかって来る暴漢の、手を受け止め殴られないようにする事だよ?殴られた後に貼る湿布を用意する事は自衛って呼ばないんだよ」
「じゃあ、進展進展があっただけいいんじゃないかにゃ?後、その脳力は他者にも使えるにゃん?」
「確かに。試しにコタロウも回復されてみる?」
そう聞かれたコタロウは首を振ってその提案を断る。そうかと呟き明は、差し出した手の平を引っ込める。
そして、動く気分になったのか明急にコタロウを抱えあげ、自宅とは別の方向へ歩き出す。その動きを不思議に思ったのか、コタロウがすかさず聞く。
「どこに行くにゃん?」
「何はともあれ祝杯をとね。モールにお買い物さ、当然ノンアルですけどる」
明はコタロウを抱えたまま近くのモールへとを歩いた。日が傾いて来た頃とはいえ夏は暑い。モールに着く頃には玉の汗が額に浮かんでいた。
そんな状態であるからか、冷房の効いたモール内に到着した時の明はコレコレと言わんばかりの笑顔であった。
そのままモール内を迷うこと無く突き進み、モールの冷蔵庫の中にお目当てを見つけたらしい明はソレを手に取り言う。
「あったあった。やっぱ祝杯ならこれがなくちゃ始まらないよ」
カラフルなペットボトルが並ぶ冷蔵棚から明が手を取ったのは黒みがかった液体に、赤いラベルのペットボトル。そうドクペだった。
「見ないドリンクにゃん?」
「何?さてはコタロウ、貴様選ばれし者の知的飲料を知らないのか?」
「知らないにゃん」
つっけんどんな声である。
「何?『 我が名は鳳凰〇凶真』で皆さんご存知オカリンの愛用ドリンクだぞ」
「知らないにゃん」
取り付く島もない声である。
「知らないかぁ。面白いんだけどなぁ」
ガックリと大袈裟に肩を落としてみせる明。そしてそのポーズを続けながら2本、3本とカゴの中にペットボトルを放り込んでいく。
「よく分かんないけど、何かの真似にゃんね?明はソレのオタクってやつにゃんね」
「オタクって程じゃ無いけど、あれは面白くてハマった……ん?ちょっと待ってコタロウ」
そういうと明は尻ポケットから、音のなっているスマホを取り出す。明は電話に出ると2、3言会話しコタロウに言う。
「祝杯はちょっとお預けかも。野暮用が乱入してきた。帰宅までもう少し付き合ってくれ」
「しゃあないにゃん。その代わり私は歩かないにゃん」
明の腕の中でふんぞり返ったコタロウは言うのであった。




