異変と崩壊
楽しい時間というものはあっという間に過ぎて行く。これは、世の中の人が等しく思うであろう心理である。夏の灼熱は過酷なものであるが、それを楽しく乗り切る術を知る人間からすればそれすらもスパイスである。
画して、長い夏休みがより例年よりいっとう早く終わった三人は死んだ瞳で教室に集っていた。始業まではかなり時間のある頃であるので、教室自体は静かであった。が、早い時間から登校する人も少なからず要るもので静寂とも言い難い空気である。
辺りを見まわせば、長期休暇を思う存分楽しんだのであろう。長期休暇前より肌を焦がした生徒たちが多く見える。
明達三人も類に漏れず、インドア派の和真は元が白かったせいも有り、様変わりといった様子になっている。
窓から差し込む光が、端末の画面を明るく照らして要る。和真の眼鏡の奥のまぶたが細く閉じられる。
「……眩しい」
カチャカチャとボタンの音を鳴らしながら、ゲームに興じる和真が言う。その頃ちょうど廊下を数人の女の子達が、高い笑い声をあげながら走り抜ける。
「おじさん臭いよ」
「変態」
明と琉希はノータイムで和真の独り言に突っ込む。
「……違ぇよ。ゲーム画面しか見えてないわ」
「アキちんたちはいっつもこんな感じにゃんね」
学校についてきたコタロウがのほほんと答える。コタロウは、机の上に飛び乗り和真の操作する端末と窓の間に陣取る。
「……いや意味ないから!コタじゃ日陰出来ないから」
画面から一時も目線を逸らさず和真は言う。間接視野がかなり広い男である。
「影も出来ない、鏡にも映らない、私ヴァンパイアにゃん」
「そんな大仰なもんじゃないだろ」
「そもそも鏡には映るしねコタ。僕ら以外に見えないってだけで」
そんな二人のツッコミにコタロウはむくれる。ごめんごめんといいながら明はコタロウ撫でる。それに満足したのかコタロウは辺りを物珍しそうに見渡す。
「にしてもほんとにカラフルな髪色してるにゃんね。黒髪の方が浮いてるくらいにゃん」
日陰になれなかったコタロウは教室の窓枠から、校庭を見下ろしながら言う。そこには、学校に登校してくる生徒たちが歩いていた。
「うち髪色自由だからね。半分は髪染めてんじゃないかな?夏休みでまた増えてるだろうしね」
「……けど頭髪検査あるよな。何のためなんとは思うけど」
ゲームの画面から目を切ることなく和真が言う。それについては、明も同意見だったのかうんうんとうなずいている。
「変わった校則に、風紀委員会の活動内容の変更が追いついてないんだ」
一年の身でありながら、生徒会に所属している琉希が風紀委員会の内情を明かす。それを聞いた面々は納得の表情である。
「実際校則を緩くすると、風紀委員会の仕事減るんだよな。だから、私服登校に判が押されないなんて話もある」
「へぇ。風紀委員会って暇なんだね」
「それだけでも無いから勘違いすんな。あと風紀員の耳に入ったら締められるから気をつけろ」
琉希は鞄から取り出した本を片手にそんな話をする。分かったと返事をするものの、風紀委員のメンバーを把握なぞしている筈もない明である。後々何の気なしに彼らの目の前でその話をしてしまい、激詰めさせるのだが、それはまた別の話である。
「あ、そうだ。コタに行っとかなきゃって思った話があるんだけど」
「なんにゃ?」
「コタが居ない日に潜ったのよ。虚構空間。もちろん狩りすぎには十分気をつけてるんだけど、変なとこがあったんだよ」
ショッピングモールで死にかけた三人であったが、内心スリルを求める明と根本ゲームの延長としか思ってない和真。そして、無鉄砲な二人が放っておけない琉希はあの後も適度に虚構空間に潜っていたのだった。
その成果もあり、さらに能力の精度やできる事が増えた三人だ。それでも一つ共通のルールを設けていた。それが、『 異変を少しでも感じればその時点撤退する』である。
異変があった際は、コタロウが潜り安全が確認できるまで潜らない。そんなモールの失敗から作ったルール。
「変なとこにゃん?妙ないいまわしにゃん?」
「実際妙だからな。まぁ一言でいうと虚構空間の位相ズレだ」
「位相ズレにゃん?」
ちょうど二日ほど前、明達は虚構空間に潜ったのだが其処が異変のある空間であった。普段であれば、時間や季節は違えど風景は変わらない。コレは虚構空間が誕生した瞬間を切り取って再現、生成されるためである。
それは三人が体験した最大の異変、例のショッピングモールでも同じルールであった上に、コタロウの言にも反する明確な異変であった。
「どの位か正確には分からないんだけども、どのくらいだっけ?」
隣にいる琉希に明は助けを求める。琉希は自分の記憶を思い起こし、目算だから正確じゃないけどと前振った上で答える。
「北東に二メートル程度はズレた」
「そう、二メートルくらいズレてた」
「……居たのは代わり映えのない靄だったけどね」
「どこら辺にゃん」
明は椅子に座ったまま、窓の外を指さして答える。
「コンビニのあるあそこら辺だから、南西?」
コタロウは指を刺された方向を向き、ふむふむと頷く。
「もの凄いざっくりとした説明ありがとにゃん。それはそれとして明らかな異常にゃんね」
「なんか不服?」
「不服というより、アキちんはみんなと居るとアホになるにゃんね」
「ほっといてよ」
なんて話をしている間に時間は進み、人の数も段々増え喧騒も大きくなってきた。それと同時に人の熱気も押し寄せるようになっていた。まだ始業前故に、冷房が付かない教室だ。湿度のある暑さはは不快指数が高いものである。
和真は捲っていた腕を戻し、端末とイヤホンを繋ぎ益々ゲームの世界へ没頭する。
「マイペースにゃんね。猫よりマイペースにゃん」
「変な奴でしょ?」
ニヤケ顔の明が指をさして言うが、続くコタロウの言葉に無言になる。
「類は友を呼ぶってこういう事にゃんね」
「一緒くたにされるのはちょっとねぇ。言うても五十歩百五十歩くらいなもんでしょ」
「かわらねぇし、そういうシステムじゃねんだよ」
「そんな話は置いといてにゃん。今から確認してくるにゃん」
すくっと立ち上がったコタロウが、各々好きな体勢でだべっていた三人に言う。
「今からか?別に放課後でもいいんだぞ?」
「君らが授業受けてるあいだ暇なのにゃん。だから授業始まり次第偵察に行くにゃん。そっちのほうがどう考えても効率的にゃん」
「いいなぁ、コタ代わってよ」
さぼりたい意思を示す明に琉希は、
「あんましサボるとどやされんぞ。明のねぇ様とおかんに」
と言った。当の明はその時間さえ耐えればいいもんねと何処吹く風である。
「うちの子を頼むねって、お前の親から言われる俺の身にもなってくれや」
「可哀想に」
「お陰様でな。俺可哀想だと思わないか?コタロウ」
コタロウはもうそこには居らず、校外に出たあとであった。そして、教室からコタロウが消えたあと入れ替わるように担任が入ってくる。
「おいーおまえら。くっちゃべっててもいいから座れー」
青いジャージに首から使わないのに下げているホイッスル。ボディビルばりに育った筋肉と、さわやかに刈り上げられた髪型の男が言う。
いつの間にかほとんどのクラスメイトが登校し、各々が自由に駄弁っていた。それも、担任の一声と共に徐々に自身の席に戻り始めている。
「そんな一斉に席つかなくても……予鈴なるまではくっちゃべっててもいいからな。おい、琉希。和真に予鈴近いってに教えてやれ」
「うす」
名指しで指名された琉希は、とんとんと和真の肩を叩く。チラッと前を向いた和真は小さく後何分?と聞いた。
「あと3分位かな」
「……おっけ余裕」
そんな様子を見ながら、明は伸びをして背もたれにぐっと寄りかかる。
その瞬間、カシャンと聞きなれないへんな音が響いた。その音は、冬水溜まりの薄氷を砕いたかの様な音であった。
「お前椅子壊した?」
「もたれかかったくらいで壊れる椅子は椅子じゃねぇよ。しかも、椅子壊してこんな音なるかよ」
その音は連鎖的に続いている。明は辺りをしきりに見回している。しかし、ほかの生徒たちはしゃべったり、机に突っ伏していたりとで異音を聞いているそぶりは見えない。同じ様に異変を感じているのは、明、琉希、和真の三人のみの様に見えた。
鳴りやまぬ異音。音が鳴る度に、どこか上書きされているそんな感覚を三人は味わうのであった。
「いよいよやべぇな。しかも間がわりぃ」
「コタがいないからねぇ」
そしてひと際大きな異音。バキィンと甲高い音が響いたと思うと景色が一変する。
「おいおいまじか」
先ほど三人が感じた、書き換えられる感覚。それは正しいものであった。先ほどまで賑やかだった三人のクラスメイトのしゃべり声どころか、クラスメイトの姿はどこにもなく。
始業前で動かないクーラーの所為で、暑かった教室は汗の滲む肌に丁度いい気温になっている。
そして、先ほどコタロウが覗いていた窓の外。余計なくらいの光量で照らしていた太陽は不気味なくらい大きな月へと変わっていた。
そうそこは紛れもなく虚構空間であった。




