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071 透明な氷の球体

 あったかい。

 遠くで鳥の声が聞こえる。

 もう、朝だけど……。

 このまま、もう少しここに居たい。

 だって。すごく心地良くて。

 幸せ。

『おはよう。エル』

「おはよう」

「おはよう……」

 顔を上げると、エルが私を見下ろす。

 エル、起きてたんだ。

『おはよう。リリー、エル』

 イリス?

 声が遠い。今日は私の中じゃなくて、外に居るの?

 声の方に目を向ける。

「え?」

 どういうこと?

 どうして?いつから?

「どうし……」

 思わず起き上がった私の後ろで、エルが起き上がって私をかばうように抱きしめる。

 空気が変わった。

 顕現したんだ。

「イリス……?」

「イリスなの?」

『そうだよ』

 本当に?

 目の前に居るのは人の姿をした氷の精霊。

 間違いなくイリスの。

『ボクは充分な魔力で満たされた。これで、リリーはいつでも城に帰れるよ』

 どうして、そんなこと言うの。

 私は帰らないって。女王に逆らうって決めたのに。

「私、帰らないよ」

『本当に?』

「うん。エルと一緒に居るって決めたの」

『そっか。もう迷わないでよ』

「迷わないよ」

「良かった。エル。リリーを頼んだよ」

「あぁ。ありがとう、イリス」

 顕現を解いたイリスが私の中に入る。

 さっきのイリスって、私より大きかったよね?

 でも、エルの精霊は、皆、エルの中に入ってるし、大きさってそんなに関係ないのかな。不思議。

 大きさが変わっても一緒に居るのは変わらないんだ。

 良かった。

 エルの胸に顔をくっ付ける。

 ……あったかい。

 エルが私を抱きしめて、キスをする。

「本当に、奪ってないんだよね?」

 イリスもエルも呪いが解けたって実感があるみたいだけど、私には何もない。

「キスして。リリー」

 昨日みたいに?

 体を伸ばして、エルにキスをする。

「大丈夫?」

「もっとしないとわからない」

 わかるくせに。

 エルが笑って私の頬にキスをする。目を閉じると、唇が重なった。

「愛してる」

 もう、怖がらなくて良い?

「愛してる」

 もう、何も抑えなくて良い?

「夢みたい……」

「夢じゃないよ」

 本当に、大丈夫?

「リリーは俺の恋人だ」

「エルは、私の恋人……」

 幸せ。

 もっとキスをして。

 体が熱い。

 くらくらする。

 こんなに一気に色んな事が起きたら……。

「リリー」

「うん……?」

 エルが、おでこ同士を合わせて。

 それから、顔や首に触れていく。

「調子は?」

「調子……?」

 すごく、どきどきして。くらくらして。頭が上手くはたらかなくて……。

「ごめん、リリー。無理させて」

 無理?

 何の話?

 何故か、ベッドに横にされた。

 どうして?

「私、起きるよ?」

 起き上がろうとしたのに止められた。

「休んでて。朝食を持ってくる」

 休む?

 エルが紋章を首に下げて、クローゼットの方に行って着替える。

 無理なんてしてないし、もう起きる時間だ。

 ただ……。ちょっとだるい。

「眠かったら寝てて良いよ」

「……うん」

 着替えを済ませたエルが、ティーセットを持って部屋から出て行く。

 行っちゃった。

「イリス」

『何?』

「あの……」

『呪いなら解けたって、何度も確認しただろ?』

 そうなんだけど。

「それって、全部、エルの魔力なの?」

『そうだよ』

 人の姿をした完璧な精霊。

 私、こんなにたくさんエルから奪ってたんだ。

『リリー。気を付けてよ』

 気をつける?

『リリスの呪いは、リリーを守ってたんだ』

「え?」

 どういうこと?

『リリスの呪いは、魔力を奪う力を得る代わりに子供を産めなくなる呪いだ。……つまり、呪いを受けた時の状態を維持しようとするんだよ。呪いがある限り、リリーは病気にほとんど罹らない』

「そうなの?」

 あんまり実感がない。

「病気になったのなんて小さい頃だけだし」

『城では、ソニアがリリーのお世話をしてくれてただろ』

 確かに。外では、何もかも城とは違う。体調管理もすべて自分でしなきゃいけないし、疲れてもすぐに休める場所があるわけじゃないし、雪が降るぐらい寒い所もあるし……。

 そういえば。

―凍傷にかかってないか見てるんだよ。

 雪崩に巻き込まれて死にかけたのに平気だったのは、呪いのおかげ?

 あれ?

「船酔いはするよね?」

『そういえば、あれは呪いで防げないんだね』

 イリスが笑う。

 それでも、病気にならないなんて、まるで祝福みたいだ。

「それって、私に教えて良いことなの?」

『どういう意味?』

「氷の大精霊のことも、初代女王のことも」

 これは、アリシアやソニアも知らないことかもしれない。

『リリー。精霊は嘘を吐けないんだ。自分から語ることは出来なくても、問いに対して正解かどうかは正しく答えられる』

 エルが見つけた答えが正しかったから?

「イリス。イリスは、女王とどんな契約をしているの?」

『答えられるわけないだろ』

 答えが解ってないことには、答えてくれない。

「イリスは、女王に逆らえる?」

 もし、逆らってはいけない契約をしているとしたら。

「ごめん、イリス。言わないで」

 そんなこと、答えられるはずがないのに。

『ボクは、最後までリリーの味方だよ』

「イリス……」

 部屋の扉が開く。

「リリー」

「……エル」

 エルが私の傍に来て、テーブルに何か置く。

 起き上がって見えたのは、紅茶セットとスープ。それから、ジャムの瓶。

「キャロルがジンジャミエルを作ってくれたんだ」

「ジンジャミエル?」

 どういう意味だっけ。

「生姜と蜂蜜のジャム。風邪に効くんだ。紅茶に入れて飲んだら良いよ」

 そうだ。ジンジャは生姜で、ミエルは蜂蜜。

 ジャムの入った紅茶を受け取る。

「ありがとう」

 生姜の良い香り。

 ……美味しい。

 身体が温まる。

「口開けて」

 言われた通り口を開くと、エルが私にスープを食べさせてくれた。

 美味しい。

 でも。

「一人で食べられるよ?」

「病人なんだから、無理しないで」

 病人?私が?

 カップを置いて、エルの持ってるスープ皿を取る。

「もう大丈夫だよ。食べたら、鍛冶屋さんに行ってくる」

「何言ってるんだ。今日は、ゆっくり休んでろ」

「でも、行くって約束したから」

「今日は休むって俺が伝えてくる」

 病人じゃないのに。少しだるいだけで。後、汗をかいてるだけで……。

 なんだか、風邪をひいてる人みたい。

 そこまで調子は悪くないはずなのに。

 エルがタオルを持って来て、私の首を拭く。

 そんなに心配そうな顔、しないで。

『いい加減、意地張ってないで、言うこと聞きなよ』

「……はい」

 優しい味のスープをすする。

 しっかり食べて、しっかり寝て、元気になったところを早く見せよう。

「エイダ。アラシッドの所に行ってくるから、リリーの傍に居てくれ」

『わかりました』

 もう行くの?

「リリーが勝手に出歩こうとしたら、力尽くで止めて構わない」

『力尽くですか?』

「そんなことしないよ」

 留守番ぐらい、一人でも出来る。

「いつも大人しくしてられないのは誰だよ」

「え?」

『エルの言う通りだと思うよ』

 子供じゃないのに。

 エルが私の頬をつつく。

 ……どうして、すぐ、そんなことするの。

 エルの馬鹿。

 

 ※

 

 ……さむい。

 ここはどこ?

 なんだか、すごく冷たい……。

 

 ぼんやりとした視界の中に、氷の球体が現れる。

 すごく大きな球体だ。

 私の背丈ぐらいありそう。

 あれ?

 中に何か入ってる?

 透明な氷の球体に包まれた女性。

 虚ろな瞳が、私を見つめている。

 この顔、どこで見たんだっけ?

 あ……。

「フェリシア?」

 女性の口元だけが微笑む。

「リリーシア。呪いを解いたね」

「はい」

「もう一度、呪いを受けにおいで」

「え?」

「呪いの力がなければ、誓約を果たせない。魔力を集めることも出来ないだろう」

「魔力なら、もう……」

「帰還の条件は満たしたと?」

 満たしてる、けど……。

「どちらにせよ、お前は呪いを受け入れると誓約している。解いてはならないものを解いてしまったんだ」

「でも、私、どうやって解いたかなんて……」

「そうか。知らずに解いたのか」

「私、どうやって解いたの?」

「方法は語れない。しかし、知らずに解いたのならば致し方ないことだ。お前に非がないことはわかった。……リリーシア。呪いを受けに帰っておいで。もしくは、試練の扉を通り、帰還するんだ」

「嫌。……私は、帰らない」

「帰らなければ、私は、お前を殺してしまう」

 殺してしまう?

 殺す、ではなく?

「あなたも何かを誓っているの?城の……。グラシアルのシステムに逆らえないの?」

「システム?変わったことを言うね。お前が逆らえないのは女王だろう」

「グラシアルには初代女王が居るんでしょ?私たちは、初代女王が作ったルールに逆らえないだけ。きっと、逆らう方法がある」

「あぁ、そうか。お前には、私の姿はフェリシアに見えているんだったね」

「え?」

「リリーシア。お前の目の前にいる私は、フェリシアではない」

 フェリシアじゃないの?

 フェリシアの姿が揺らぐ。

 そして、私の姿になった。

「え……?」

 どうして?

「この姿に意味はない。私を知らないお前は、私の姿を見た目に反映することが出来ないだけだ」

「じゃあ、あなたは……」

 まさか?

「良いかい、リリーシア。お前が死ねば、イリスも死ぬ」

「イリスが?どうして?」

「役目を果たせない精霊もまた、死ぬしかない」

 そんな……。

 イリスは、そんなこと一言も言ってないのに。

「でも、私が死ななければイリスが死ぬことはないんだよね?」

「人の寿命と精霊の寿命を天秤にかける気か?お前が城に帰還しない限り、イリスはお前を守る義務から解放されることはない。人の儚さに精霊を付き合わせようと言うのか」

 私が寿命で死んでも同じってこと?

「イリスは、私と契約を解除することは出来ないの?」

「不可能だ」

「じゃあ、イリスを解放する為には……」

「城に帰還することだ」

 そんな……。

「おいで、リリーシア」

「だめ……」

「お前は、女王の娘だ」

 私は……。

 帰らないって。

 エルと一緒に居るって。

 でも、私が帰らないとイリスが……?

 イリスの馬鹿。

 どうして言ってくれなかったの。

「リリーシア。まだ、時はある。呪いを受けにおいで。最初から、やり直すんだ」

「だめ……」

「お前の為に、いつでも扉は開かれる」

 氷の中の私が微笑む。

 まるで、心まで見透かされているみたい。

 でも、もう逃げないって。

 戦うって決めたんだ。

「必ず、答えを見つける。私もイリスも自由になる。……絶対に、あなたに負けない」

 氷の中の私の姿が歪む。

「リリーシア。待っているよ」

 

 

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