愛しかねぇだろう
歌は世界を変えられるか。
歌は狂気から日常に人を引きずり戻せるか。
その答えを求めて、カリオペイアは歌い始める。
『殺せ!
壊せ!
原始時代の英雄ども!』
ミューゼス親衛隊の隊士たちが、一瞬ギョッとした表情を浮かべた。今までのミューゼスとはまるでかけ離れた歌詞、そして叫び叩きつけるような歌い方に驚いたのだろう。何より、戦場の真ん中で『殺せ』と煽る姿は、『歌で世界を変える』という彼女の言葉と矛盾する。ハルバードを振るいながら、マカロン君は叱咤するように叫んだ。
「ミューゼスを信じろ!」
おう、と檄に応え、親衛隊士は槍を握り直す。迫る敵の槍を払い、重い金属音が響いた。
『万年前のケダモノから
一ミリも動かねぇで』
歌が侮蔑を込めて冷たく戦場を渡る。アディシェス兵の幾人かの顔が強張った。ミューゼスは言っている。殺し壊すことは、ケダモノだと。マカロン君がにっと口の端を上げた。
『人間の本性?
日和ってんじゃねぇよ
世界の真理を知り尽くした
ご立派な賢者様』
歌詞から耳を塞ぐように、アディシェス兵たちが一斉に気勢を上げ、槍を突き出す。自分はケダモノではない。命令に従うだけだ。守るものがある。未来がある。彼らの血走った目はまるでそう主張している――あるいは言い訳している。
『石を木に括りつけてた時代から
剣に持ち替えて進化
気に入らなけりゃ殴って解決?
鶏だってやってるわ』
突き出された槍は隙なく拍が整い――とはいかず、まばらにタイミングを外して、ミューゼス親衛隊にはじき返される。敵の隊長が苛立たしげに声を上げた。
「何をしている! 声を合わせろ!」
えい、と隊長が声を上げ、おう、と兵士たちが返し、拍子を整える。間奏のギターがぎゅるぎゅるとがなった。
『殺せ!
壊せ!
希望の未来の勇者ども
吐き気のする美辞と麗句に
ど派手に踊り狂え』
えいおうの掛け声がミューゼスの歌をかき消す。これは戦争で、これは戦場で、しかし戦争としての当たり前を遂行しているはずのアディシェス兵たちは、一様にどこか、追い詰められたように顔色を失っていた。何も考えず、言われたとおりに。突き出された槍は一糸の乱れなく、なのに怯えている。
『人間の宿業?
世迷ってんじゃねぇよ
疑うことを知らない
素直過ぎる聖者様』
誰かがビクリと肩を震わせる。掻き消しても届く声に血の気が引く。敵の隊長が顔を歪ませて叫んだ。
「黙れ! 下らぬ! 下らぬ!!」
隊長は馬上で弓を構え、カリオペイアに向かって矢を放った。矢はまっすぐに飛び――カリオペイアは曲に合わせてステップを踏む。矢はカリオペイアの首に浅い傷を付け、ステージ後方の鉄骨の骨組みに当たって固い金属音を立てた。カリオペイアはマイクを両手で強く握る。
『薪に火を点ける魔法が
広域殲滅に進化
効率的に? 効果的に?
方向性ダイジョウブデスカ?』
歌を振り切るように声を上げ、アディシェス兵は機械のように槍を突く。マカロン君が歯を食いしばって槍を弾いた。カリオペイアは静かに、恫喝のように告げる。
『てめぇの意志を見せてみろ』
一瞬、凍り付いたようにアディシェス兵の動きが止まる。敵の隊長が「圧せ!」と叫んだ。呪縛を解かれたようにアディシェス兵は槍を振り上げる。マカロン君は槍を水平に持って掲げ、振り下ろされる槍を受け止めた。わずかに身体が沈み、苦痛の呻きがマカロン君の口から洩れる。
『殺したいのか?
壊したいのか?
鏡に映ったてめぇの顔が
サルと同じで平気かい?』
敵兵たちがマカロン君を圧し潰そうと槍に体重をかける。マカロン君の膝が少しずつ曲がっていく。ミューゼス親衛隊の隊士たちがマカロン君の名を叫んだ。顔を紅潮させ、尽きかけた力をかき集めて、マカロン君はハルバードを押し返した。敵兵の体勢が崩れ、槍が地面に落ちる。
「耐えろ! もう少し、もう少しなんだ!」
肩で息をしながらマカロン君は味方を鼓舞する声を上げた。
『ケダモノじゃねぇと言い張りたいなら
振り回すのは剣じゃねぇ
口ずさむのは呪文じゃねぇ
お前が本当に人間なら』
槍を失った兵士が腰の剣を抜き、再びマカロン君たちに襲い掛かる。陣形が崩れることを厭うたのか、他の兵たちも槍を捨てて前に出た。互いの距離が縮まる。互いの顔がよく見える。
『愛で殴れよ』
敵兵が剣を振りかぶる。マカロン君はハルバードで受け止め、傾けて刃を柄に滑らせていなした。敵の剣が地面を穿つ。マカロン君は石突で敵の胸を打った。
『殺せば殺される
壊せば壊される
くだらねぇ円環
蹴っ飛ばしてぇと思うなら』
敵兵がよろけて下がる。スキルウィンドウが【手加減】の発動を告げる。マカロン君が荒く肩で息をする。やりきれない表情で敵兵が奥歯を噛む。
『やっぱ愛しかねぇだろう!』
カリオペイアのシャウトが戦場の空気を切り裂く。敵兵たちが、不意を打たれたように動きを止め、ステージを見た。『愛』という、この状況にあって最もチープな言葉が全力でぶつけられた。その戸惑いが彼らの身体を軋ませる。
一コーラス目が終わり、エレキギターが暴走する熱を想いのままに掻き鳴らす。不穏さを断ち切るように敵の隊長が剣を掲げた。
「圧し潰せ! 考えるな! それで終わる!」
数倍する兵力、殺す意志のない敵、高度に統率された兵士たち――負けるはずがない。負ける要素がない。それなのに敵の隊長は焦りを滲ませる。『考えるな』という言葉が口を突く。それは、ミューゼスの歌が、詩が、彼らを揺さぶっている証だった。マカロン君はグッとハルバードを握る。
「間違ってない! 僕たちは、間違っていないぞ!」
圧倒的な弱者の顔に希望が灯る。圧倒的な強者は慄き震えていた。カリオペイアは大きく息を吸い、まっすぐに戦場を見つめる。
『へし折れ!
蹂躙しろ!
我らが祖国の守護者ども!
理由があれば許される
誰が作ったルールだい?』
「かかれ!」
号令が下り、敵兵が雄叫びを上げて再び前進する。マカロン君は突き出された剣を避け、振り下ろされた剣を弾く。右から伸びてきた剣を打ち下ろし、ハルバードを回転させて左からの斬撃を払い――正面の敵兵が、マカロン君の左の腿を裂いた。
『人間の倫理?
謳ってんじゃねぇよ
ソロパートから逃げ出した
合唱大好き王子様』
マカロン君が目を見開く。マカロン君を斬った敵兵が怯えたように下がった。隣の敵兵がフォローするように剣を突く。その切っ先がマカロン君の左腕を穿った。
『てめぇの覚悟を見せてみろ』
マカロン君のズボンが、左の袖が、溢れる血で赤く染まる。何か取り返しのつかないことをしてしまったように、兵士は呆然と動きを止めた。マカロン君は顔を歪め、右手一本でハルバードを薙ぐ。兵士たちが慌てて後ろに下がる。
『へし折りたいのか?
蹂躙したいのか?
爪の赤いマニキュアが
誰かの血でも平気かい?』
マカロン君はハルバードを掲げ、石突で強く地面を打った。ガツッというくぐもった音が広がる。浅く短い呼吸をしながら敵兵が剣を構えた。マカロン君は鋭く敵兵を見据えた。だらりと下がった左手の指先から血が伝い落ちる。
『血塗れじゃねぇと言い張りたいなら
振り回すのは剣じゃねぇ
口ずさむのは呪文じゃねぇ
お前が本当に人間なら』
うわぁ、と声を上げながら、正面の敵兵がマカロン君に斬りかかった。マカロン君は、動かない。厳しく訓練されているはずのアディシェス兵の剣を持つ手は震えていた。
「あなたが僕を殺しても」
ふっ、とマカロン君の顔が笑みを形作る。
「あなたは、無事に帰って」
敵兵が大きく目を見開く。剣が、振り下ろされる。その軌道は正確にマカロン君の左肩を――その先にある心臓を狙っていた。剣がマカロン君の肩に触れ――
『愛で殴れよ!』
――こつん
命を切り裂く斬撃は、奇妙に控えめな音を立てて、止まった。
『殺せば殺される
壊せば壊される
くだらねぇ円環
ぶっ飛ばしてぇと思うなら』
「あ……」
剣を振り下ろした姿勢のまま、敵兵自身が戸惑いを口にする。自分が何をしたのか、理解できずにいる。代わりに答えを提示するように、スキルウィンドウが姿を現した。
『アクティヴスキル(ノーマル) 【手加減】
効果:このスキルを使用して攻撃すると、相手のライフをゼロにすることが無い』
『やっぱ愛しかねぇだろう!』
カリオペイアの絶叫と共に、皆の視線がスキルウィンドウに集まる。スキルウィンドウは己を誇示するように膨らみ、ふわりと浮いて空から戦場を見下ろした。皆が口を開けてスキルウィンドウを見上げる。戦場で、敵に、【手加減】をした。そんな、有り得ないことが起きた。そのたった一つの事実に、戦場から戦いの音が消えた。
『諦めるのが正解か?
流されたままで満足かい?
どっかの誰かが垂れ流す
タダシサってやつを
カシコイあんたが飲み込んで終わり?
くっだらねぇだろそういうの!』
カリオペイアの声が戦場を渡る。遮るものは何もない。
『てめぇの言葉で語ってみろよ!』
マカロン君を斬ろうとしていた敵兵がビクリと肩を震わせる。うつむき、息を吐いて、彼は剣から手を離した。乾いた音を立てて剣が地面に横たわる。
『ケダモノじゃねぇと言い張りたいなら
血塗れじゃねぇと言い張りたいなら
お前が本当に人間だったら!』
敵兵は懐から布を取り出し、マカロン君の前に片膝を突いて、左腿の傷を縛る。マカロン君が痛みに顔を歪めた。丁寧に布を結びながら彼は言った。
「君と同じ年ごろの、息子がいる」
立ち上がり、今度はマカロン君の左腕の止血を始める。皆が、金縛りにあったようにそれを見守っている。
『愛で殴れよ!』
カリオペイアの歌が聞こえる。処置を終え、敵兵の男はマカロン君を正面から見つめて言った。
「……俺は、ケダモノじゃない」
マカロン君の目から、涙がこぼれた。
「……歌が、届いた――」
『くだらねぇ円環
ぶっちぎりてぇから!』
カリオペイアが両手で強くマイクを握る。皆がステージを振り返った。カリオペイアが戦場を見渡す。誰もが彼女を見ている。演奏が止まる。無音。たっぷりと間を取って――
『――やっぱ、愛しかないでしょう?』
悪戯っぽく笑って、カリオペイアはぱちりと片目をつむった。
曲が終わった。戦いの音はない。だがこの沈黙が戦いの終わりを意味するのか、誰も理解していない。どちらに転ぶのか――危うい緊張が辺りを包む。カリオペイアはマイクをスタンドに置き、表情を強張らせた。誰かの唾を飲む音が聞こえる。
――パチ、パチ
小さな、弱々しい拍手が聞こえる。痛みをこらえながら、マカロン君が懸命に手を叩いていた。ミューゼス親衛隊の皆がハッと息を飲み、拍手を始める。
――パチパチパチパチ
拍手の音が広がる。ケテル兵たちも剣を納めて拍手を始めた。指笛が鳴る。拍手が伝播する。
――パチパチパチパチパチパチパチパチ!
拍手はやがてアディシェス兵にまで広がり、会場全体を包む。誰かの「ミューゼス!」の声をきっかけに、雷鳴のような歓声が上がった。皆がミューゼスに拍手を送る。その手に武器はない。剣を持っていたら拍手はできない。カリオペイアは皆に深く頭を下げる。会場の袖にいたプロデューサーがスタッフに叫んだ。
「物販ブースを展開しろ! 用意できる全てを並べるんだ!」
スタッフは戸惑いながら答える。
「で、でも、兵士たちはお金なんて持ってないんじゃ……」
プロデューサーはスタッフの襟首を掴み、鼻先に顔を近づけて言った。
「武器と交換するんだ! アイドルグッズと引き換えに兵士が武器を放棄する、そのときこそが――」
高揚を隠そうともせず、プロデューサーは叫ぶ。
「――エンターテイメントが戦争に勝利する瞬間だ!」
プロデューサーの指示は即座に実行され、会場前にはスタッフルームにあった長机まで引っ張り出されてミューゼスグッズが並べられた。
「本会場に限り、グッズを武器と交換させていただいております! ご希望のグッズを用紙にご記入の上、武器と一緒にスタッフにお渡しください!」
曲の感動冷めやらぬ兵士たちは我先にと物販ブースに殺到する。アディシェス軍の隊長がもみくちゃにされながら叫んだ。
「こら、お前ら! 軍の支給品を勝手に――」
極めてもっともな隊長の正論をかき消すようにスタッフが叫ぶ。
「ただいまより会場限定グッズの販売を開始いたします。百個限定です。お早めにお申し込みください!」
「何だと!? すみません、申込用紙ください!」
隊長は兵士たちを強引に掻き分けてスタッフのところまで突進する。
「ずるい! 隊長だからって割り込みはズルいですよ!」
「うるさい! 限定グッズのためならば、俺はいくらでも卑怯者になろう!」
ブースのあちこちで小競り合いが始まる。剣が、弓が、槍が、次々にハッピやうちわと交換されていく。ステージの上からその様子を見つめ、カリオペイアは力が抜けたように座り込み、空を見上げて笑った。
――ケテル北側防衛戦、ミューゼス&スタッフ&プロデューサー&ケテル兵 VS アディシェス軍
勝者、ミューゼス物販担当マネージャー。
史上最高の売り上げを達成したミューゼス物販担当マネージャーは、後日、こう語ったと言います。
「やっぱ愛だよ、愛」




