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懇願

 アディシェス兵たちが武器を下ろして為す術もなく立ち尽くしている。ウルスは両手を握りこむように組んで額に当て、目を閉じている。アルミバンの表面に浮き上がる『手術中』の文字が赤く不穏に空気を乱していた。無数の祈りが満ちている。その中心にトラックがいる。

 誰が言いだしたわけでもなく、戦いは一時停止している。アディシェスは進軍を止め、冒険者たちは正門前まで後退して本体と合流したようだ。偶然のインターバルはケテルにとって有利に働くだろう。疲労の極みにあった冒険者たちを回復させる無二の機会になる。

 息の詰まるような静寂が続く。手術室の中の音は外には聞こえない。アディシェス伯は無事だろうか? もしアディシェス伯が亡くなったら、あるいは回復不能なほどの重傷だったら、それは戦争の結末を決める決定的な要素になる。アディシェスはケテルを滅ぼすまで戦いを止めないだろうし、手段を選ばないだろう。彼らの『感情』が、戦う理由になってしまうから。


――ブン


 ノイズのような音を立て、『手術中』の文字が消える。金属が擦れる音と共にアルミバンが開いた。ウルスが顔を上げる。手術衣姿の執刀医がトラックを降りる。


「先生!」


 ウルスが執刀医に駆け寄る。その顔は戦士ではなく、家族を案じる人間のそれだった。執刀医はゴム手袋を脱ぎ、マスクを外してウルスに答えた。


「患者さんはよく頑張ってくれました。手術は――成功です」


 ストレッチャーに乗せられ、人工呼吸器をつけたアディシェス伯が荷台から降ろされる。ウルスの顔が喜びに沸いた。


「ありがとうございます! ありがとう、先生!!」


 ウルスは執刀医の手を取り、強く上下に振る。周囲のアディシェス兵から歓声が上がった。その声は本来戦場にあるべき勝利の報酬ではなく、命を肯定する温かな歌だ。アディシェス兵たちは皆、涙ぐんで笑っている。


「褒めてあげてください。正直、手術の成功は五分五分でした。ご本人の生きる意志が命を繋ぎとめてくれたのです」


 ストレッチャーがウルスの前に運ばれてくる。アディシェス伯の顔は白く、しかし呼吸は穏やかだった。人工呼吸器の電子音が一定のリズムを刻む。


「よう、頑張ったな」


 ウルスはアディシェス伯の肩に触れる。かすかに上下する伯の胸が、生きていることを実感させていた。


「しばらくは安静にして、様子を見ながらリハビリの計画を立てていきましょう。お父さんはまだ若いから、きちんとリハビリをすれば元通りの生活ができるようになりますよ」


 その言葉を合図に、執刀医の身体が光を帯びる。執刀医だけではない、救急救命士も救急救命室も、淡く光を放ち始めた。スキルがその役割を終えて消えようとしている。ウルスが執刀医に深く頭を下げたとき、柔らかな微笑を残して彼らは姿を消した。




 アディシェス伯の無事に安堵し、兵たちはウルスに視線を向ける。戦うか、終わりにするか。決めるのはウルスなのだ。トラックはウルスに向き直る。ウルスは伯の顔をじっと見つめて後、顔を上げてトラックに言った。


「……降伏してくれ。後生の頼みだ」


 兵士たちが戸惑い、ざわめく。降伏勧告は勝者の器量であり、懇願するものではない。ましてアディシェス絶対有利のこの状況なら、何も言わず叩き潰せばよいのだ。トラックはカチカチとハザードを焚く。ウルスは地面に胡坐をかき、両の拳を地に突いて頭を下げた。


「アディシェスが敗れれば、南から陛下自らが兵を率いて攻め寄せよう。そうなればケテルのみならず、クリフォト北部は大きく荒れることになる」


 アディシェス、カイツール、エーイーリーにとって、戦の敗北は転封あるいは改易を覚悟する大事だ。また、ズォル・ハス・グロ―ルが兵を率いればその数は十万に上り、大軍を維持する戦費は兵たちが滞在する地の領主が負担することになる。新たに赴任する領主は地縁を持たぬ民衆からの徴収をためらうまい。代々守り育んできた土地が荒廃する様を見るのは、ウルスにとって耐えがたいのだろう。


「ケテルの安全はこの俺の名にかけて保障する。ケテル商人にとって、名を捨てて実利を取ることに抵抗はあるまい。形だけでいい。アディシェスの支配を受け入れてくれ」


 トラックは静かにクラクションを鳴らす。一瞬だけ言葉に詰まり、ウルスは頭を下げたまま答えた。


「……異種族のことは、諦めてもらう以外にない。陛下は異種族の存在そのものをお認めにならぬ」


 トラックは、やはり静かにクラクションを返した。ウルスは固く目を閉じ、呻くように言った。


「これ以上は間違いなく死者が出る。お前たちがどれだけ理想を語ろうとも、我らは我らの未来を背負って戦うのだ。故郷を南の連中に荒らされるわけにはいかぬ。お前たちが我らを殺さずとも、我らはお前たちを殺さねばならぬ。今を守り、未来へつなぐ。その責任を我らは負っている」


 カッと目を見開き、額に土をつけて、ウルスは叫んだ。


「アディシェスは退かぬ。退くことはできんのだ、特級厨師!」


 わずかに震える声がウルスの葛藤を伝える。彼はもう戦いたくないのだ。だが、立場と責任が個人的な想いを封殺する。ケテルにとって他種族が大切なように、アディシェスにとって領民は決して譲れぬ大切なものなのだ。だからこそ、両者は相容れなくて、だからこそ、ウルスは頭を下げている。通らぬ無理を通すために、勝者が敗者に懇願しているのだ。その重い決断を、


――プァン


 しかしトラックは受け入れない。他種族を諦めるという、まさにその一点が絶対に受け入れられないからだ。ウルスの顔に悔しさが滲む。周囲のアディシェス兵もまた、落胆の表情を浮かべた。ウルスは顔を上げてトラックを見る。トラックは静かに停車している。ウルスは立ち上がり、


「……一時間」


 真剣な瞳でトラックを見据えた。


「一時間後に、我らはケテルに総攻撃を仕掛ける。始まればケテルを滅ぼすまで止まることはない。アウラ様にそうお伝えしてくれ」


 トラックは了承のクラクションを返す。最後の望みをつなぐようにウルスはうなずいた。彼が軽く右手を挙げると、トラックを囲んでいたアディシェス兵が整列して道を空けた。視界が開け、集結するケテル兵たちと聳える正門が見える。トラックはハンドルを切り返し、ウルスに背を向けてゆっくりとアクセルを踏んだ。




 トラックが去り、ウルスは苦悩をその顔に浮かべた。ケテルを憎めない。倒すべき敵だと割り切れない。そしてそれは彼の兵も共有する想いのようだ。アディシェス兵の表情は一様に暗い。完全な勝ち戦のはずなのに、誰も笑ってはいなかった。


――アディシェス伯を救った恩人を斬ることは正しいのか


 皆がその疑問を噛み締めている。アディシェス伯を死の淵に追いやったのはケテルだが、命を救ったのもまたケテルなのだ。戦争という場において敵の命を奪おうとしたことを詰ることはできない。ならば、戦争で敵に命を救われたことに感謝すべきだろうか? そんなことをするほうが愚かだと笑うには、アディシェス伯は皆に慕われ過ぎている。

 ウルスは側近に、アディシェス伯の眠るストレッチャーを後方に移送するよう命じる。二人の騎士がストレッチャーの前後を挟み、慎重に移動を始めた。舗装もされていないむき出しの地面にストレッチャーがガタガタと揺れる。するとアディシェス伯の手が動き、ストレッチャーを持つ騎士の手首を掴んだ。


親父殿(おやっど)!」


 騎士たちが歩みを止め、ウルスが駆け寄ってアディシェス伯の耳元で声を上げる。うっすらと目を開き、アディシェス伯は呼吸器をみずから剝ぎ取って、かすれるような小さな声で言った。


「……こん戦の終わりば、見届けさしちくぃや」


 騎士たちは困惑の目でウルスを見る。ウルスは一瞬だけ迷い、そしてうなずいた。アディシェス伯の目が笑い、そして大きく息を吐いて再び目を閉じた。




 冬の太陽が中天を過ぎようとしている。空は残酷なほどに澄んで青い。トラックに告げた一時間という刻限が過ぎ、ケテル側からの回答はなかった。すでにアディシェスはケテルの包囲を終えている。正面からだけ攻めるのを止め、ケテルをひと息に滅ぼすという明確な意思表示だろう。ウルスは吐息と共に葛藤を吐き出し、鋭くケテルを見据えて言った。


「全軍、突撃せよ」


 戦の再開を告げる太鼓の音が響き渡る。土煙が上がり、鬨の声が空気を裂き、足音が地を震わせる。陽光が兵士たちの鎧に、槍の穂先に反射してキラキラと光っていた。


ウルスはやっぱいいヤツなんだって。

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