第六話 恋のリクラマ
彼女を見とめた生徒たちのハッというが息をのむ音が聞こえてくるようだった。レフトが通りかかる度に、廊下が白い沈黙に塗りつぶされていく。
「体育会系はこんな感じかな。文科系回ろうか」
その日の放課後、山田修一は、短期留学生という名目で学校にもぐりこんだレフトを連れて、校内の部活動見学巡りをしていた。
「IT実習室?」
小学生バージョンのそれよりも低く落ち着いた、女子高生バージョンのレフトのつぶやきが静まり返った廊下に響く。
「ここは田口がいるICT部の部室にもなっているんだ。ほら、俺の前の席の……」
戸を開けると、静まり返った廊下とは別世界のような喧噪があふれ出してきた。
「お、山田。レフトさんの見学周りか」
なんだか良く分からない機材を両手に掴んだままの田口が、修一達の入室に気が付いて声をかけた。
「なんだか忙しそうだな」
「□□国の仮想空間が復活してるんだ!」
「え?」
「ガバメントサーバーが復活してるんだよ!ありえねぇ!」
両手の機材をコンピュータに接続する作業を始めながら、興奮状態の田口がまくしたてる。
二十人程の部員たちが、こちらを一瞬チラリと覗いたが、それどころではないといった感じで、すぐに作業に戻っていった。
キーボード叩く者、通話アプリで他校と情報交換する者、VRゴーグルを装着しているのは、復活したという□□国の仮想空間にログインしているのだろう。
現在、仮想空間とは、スモールワールドというシステムによって電脳空間に構築された仮想空間、それのみを示す言葉になっている。
一時期話題になったセカンドライフのようなものと思ってもらえれば近いだろう。
スモールワールドがこの分野を席巻したのは、このシステムがオープンソースのフリーライセンスで、誰もが参入可能というのも理由の一つだった。
土地は、政府のドメインと紐づけられており、一般の者が取得することはできない。
仮想空間の土地は、リクラマ(開墾)というビットコインのマイニング(採掘)と似た手法で取得できる。
ビットコインと異なるのは、その土地が政府のドメインとのみ紐づけられていることで、譲渡ができないということだ。
一般ユーザーは、政府から土地を借用するといった形で利用する。
この性質により、仮想空間の土地はハッキング等のサイバー攻撃による強奪・破壊が不可能になっている。
スモールワールドの開発者は、正体を明かしていない為、なぜそのようなシステムにしたのかの真意は不明だが、識者の多くは戦争の無い世界を仮想空間に作る実験だろうと解釈していた。
ただ、国境の無い通貨というコンセプトのビットコインとは対照的な、あらかじめ国境に縛られているスモールワールドは、インターネットは自由な空間であるべきだとする古来からのインターネット原理主義者の攻撃の対象だった。
このシステムを破壊しようと、常時ハッキングが試みられてはいたが、その手かがりすら見つけ出す者は皆無だった。
ハッカー達の膨大な労力と挫折によって、図らずもその頑強性を証明したスモールワールドは、そのオープン性も手伝ってあらゆる仮想空間サービスのプラットフォームとなっていった。
このスモールワールド仮想空間に真っ先に飛びついたのが、○○国と□□国だった。
共に天然資源が豊富な豊かな小国だったが、その資源輸出以外ろくな産業が何もないというコンプレックスとあせりを抱えていた。
ITに力を入れてはいたが、技術力で先行するアメリカや、莫大な人力を投入できる中国やインドに追いつくすべもなかった。
そんな時に現れたスモールワールドは、仮想空間上にサービスを構築するツールが既に用意されており、それらは常に改良され続けていた。
真っ先にリクラマを始めた両国は、土地得た端から、思いつく限りのありとあらゆるサービスを構築していった。
諸外国政府が遅ればせながらその可能性に気が付いたのは、容易にリクラマ可能な土地の三分の二が両国によって、残った三分の一を北欧諸国が取得した後だった。
スモールワールドのリクラマは既に取得された土地の総面積に応じてその難易度が上昇する。
譲渡不能なスモールワールドの土地の広さは、各国政府ドメインに同じ上限が設定されてはいるが、取得のしやすさからすると、後発政府がわずかな土地を得るために必要な計算量は莫大なものだった。
初期段階で安価に広大な領地を獲得した両国は、多彩なコンテンツをその国土に構築した。サービスを享受すべく仮想空間を訪れた人々は、彼の国に莫大な外貨を落としていった。
両国は、集めた資金でサーバーを増強し、さらにリクラマを推し進め、コンテンツを充実させ続けた。
スモールワールドとそのコンテンツを先導し続ける両国は、国際的な評価も高水準で安定し、その未来はますます順風満帆に思われていた。
「田口。□□国ってこの間テレビでやってたあれだよな」
「ああ、あれ山田も見た?黒いサンタに襲撃されてたよな。なんだろな、あれ。まあ、あれはともかく、テレビで映っていたみたいにあの国は焼け野原だ。サーバーなんかあるわけないんだ」
「小学生の頃は□□国のサーバーに良く遊びに行ってたっけ。そういやあの頃は未だ戦争してなかったんだな。なんで戦争なんか始めたんだ」
「両国のバーチャルアイドル同士の禁断の恋。なんて冗談話もあるけどね。ロミオとジュリエット的な。まあ、そんな自我を持ったAIなんて未だに存在しないから都市伝説だけどさ。いずれにしろ、きっかけはスモールワールド上でのほんの些細ないざこざだったらしいよ」
二人の会話をレフトが興味深げにうんうんと頷きながら聞いている。
そんな様子を見ていた修一に気が付いたレフトがニタリと笑って見せる。
(うーん、自我ありそうだよな。このAI……)
「元々仲のいい国じゃなかったからね。スモールワールドも両国が競ったからこそ、両国の席巻状態になったようなものだし」
「仮想空間でのいざこざがなんでリアル戦争にまで行くんだよ」
「スモールワールドで敵対サーバーに電子的な攻撃は行えない。でも、相手の仮想空間に一撃食らわせたい」
「うん」
「物理的にサーバーぶっ壊しちまえばいいんじゃね?って発想」
「うは!」
「で、最初のうちは諜報員による潜入破壊工作とかが、両国間で密かに行われていたらしい」
「スパイ映画みたいだな」
「とはいえ、007みたいに、セキュリティレベルの高いサーバーのある建物に忍び込める超人なんかそうはいないわけで……」
「実際のスパイってかなり地味らしいね。ごみ箱あさったりとか」
「お互いにお互いのサーバーが狙われているのが明確になってくると、さらに警備を頑強にしたり、サーバー室を地下深くに移動したりしたわけ」
「無理ゲーだな」
「そんなこんなで、バンカーバスターの撃ちあいになった」
「バンカーバスターって?」
「地中貫通爆弾。地下の標的を破壊する目的の兵器だよ」
「そんなもの……」
「まあ、標的はあくまでもサーバーっていうピンポイントだから、目的が達成されるまでは人的被害はそれほどでもなかったんだよね。そんな感じで、サーバーを破壊するために、お互いのリアル国土の抉りあいが始まった。潜入破壊が困難ってだけで、場所が分からないってわけじゃなかったから、それほど時間はかからずに、お互いのサーバーは破壊されてしまった。両国のスモールワールドの土地およびコンテンツは全て失われた」
田口は両手を広げて、上向きに握った両拳を同時にポン!と開いて見せた。
「無くなった土地はどうなんるだ」
「ただ無くなるだけだよ。結果としてあれだけ広大な領地を運用していたサーバーが無くなった為、システム全体の演算力が大幅にダウンした。その代わり管理すべき土地が大幅に失われたことで、リクラマの難易度が大幅に下がった」
「それはどうゆう……」
「後発国が土地を取得するコストが黎明期並みに下がったってことだよ。その膨大な演算力に見合う土地を得られないのを承知で、細々とリクラマを行い続けていた中国、アメリカ、日本、スイスがほぼ拮抗する規模でスモールワールドの土地を新規に取得した」
「じゃあ、○○国と□□国は……」
「二度と同じ規模の土地は取得できないだろうね。……できなかった筈なんだ。たとえ破壊されたサーバーを再構築してたとしても、その総演算力では現状のリクラマの難易度が高くなり過ぎていて絶対無理。無理な筈なんだよ」
「もの凄い高性能のコンピュータを開発したってことじゃないの?」
「もの凄い高性能どころか、□□国にあの頃と同じ規模のサーバーですら作る国力は無いよ。お互いのサーバー破壊後は、ただただ消耗するだけの普通の戦争になってしまった。食うにも困っているのに、戦争は止められない。そんな国に仮想空間サービスを行うためのサーバーなんか作っている余裕があると思うかい」
「ないだろうなぁ……」
「そう!サーバーその物が無い筈なのに、□□国の仮想空間が当時と同じ規模で復活しているんだ!今はコンテンツも何もないただの荒野だけど!」
「○○国の仮想空間も復活しかけてる!?」
部員の声が部室に響く。
「マジかぁ!?何が起こっているんだってばよ!」
呼応する田口。
「ろくに部活案内できなくてごめん!」
というなり、田口は他の部員の喧噪の中に紛れてしまった。
部室の外は静寂だった。
それはレフトのせいではなく、既に大半の生徒が部活を終えて帰宅してしまった為だったからだ。
「続きは明日だな」
「そか。じゃあライトに連絡する」
「また、リムジンで迎えに来るのか」
「広くていいでしょ」
「□□国ってさぁ……」
「うん?」
「あの、白くてニョロニョロしたヤツのトコだよな」
「そう。今、調査中の粘菌」
「白くてニョロニョロしたヤツと関係あるのかなぁ。サーバー」
「タイミング的に黒サンタの襲撃と関係なくはないとは思うケド、白くてニョロニョロしたヤツとはあんまり関係あるとは思えないなぁ~」
「あ、もう車来てる」
レフトが車に乗り込むのを見届けて、修一は外からドアを閉めた。
開けた窓からレフトが「シュラも乗っていきなよ」と声をかける。
「いや、自転車置いていくわけにもいかねーし」
「そっか」
「またな」
「また明日ねー」
車の窓から手を振るレフト。
その時校門の影の暗くジメジメした所で、苔と苔の間をかき分けるように細くて白くてニョロニョロしたものが一本発生した。
修一の足元で、走り去るリムジンを見送るようにゆらゆらと揺れているそれに、二人が気付くことはなかった。