第九話:座標の誓い
初仕事の決行は、翌日の夜明け前と決まった。
その夜、隠れ家の空気はこれまでにないほど張り詰め、緊張が肌にまとわりつくようだった。
「――いいか。もう一度、頭に叩き込め」
リラはメインモニターに、目的地である工業ユートピア「ヘパイストス・ファウンドリ」の、極めて詳細な三次元マップを映し出した。
レーザーポインターの赤い点が、一点を鋭く示す。
「ここが着陸ポイントだ。クロノス・インダストリー第十七研究所、その屋上にある廃棄された冷却塔の内部。座標はシグマ七三九、ガンマ〇二一。誤差はプラスマイナス五メートル以内。――絶対条件だ」
彼女の口調は、いつにも増して鋭く、厳しい。
モニターには座標データだけではなく、現地の天候、大気の組成、重力、さらには周辺の警備ドローンの巡回ルートまで、ありとあらゆる情報が目まぐるしく表示されている。
リラは、このわずか半日の間に、これだけの情報をどこからか手に入れてきたのだ。
「ヘパイストス・ファウンドリは、アルカディア・ネクサスとは環境がまったく違う。まず重力が標準の一・二倍。空気が薄い。さらに、常に硫酸の雨が降っている。着地と同時に、この防護服のフードを必ず起動させろ。皮膚が一瞬でただれるぞ」
リラは陸に、特殊な素材でできた灰色の防護服を手渡した。
彼女が着ているコートとよく似たデザインだった。
「聞いているのか、陸!」
陸が防護服の感触を確かめていると、叱責するような声が飛ぶ。
彼女が彼の名前を呼ぶのは、これで二度目だった。
その声には、彼女自身も気づいていないであろう焦りが、かすかに滲んでいた。
「……聞いてるよ」
陸は彼女の目を見て、頷いた。
「座標、シグマ七三九、ガンマ〇二一。誤差は五メートル以内。重力一・二倍、空気は薄くて、硫酸の雨が降る。分かってる」
リラは、陸の落ち着いた態度が少し意外だったのか、一瞬言葉に詰まった。
そして一度目を伏せると、ぽつりと呟く。
「……いいか。これは訓練じゃない。失敗は許されない。座標がコンマ一ミリでも狂えば、あんたは研究所の分厚い壁の中に、分子レベルで融合して死ぬ。あるいは、もっと運が悪ければ、ヘパイストス・ファウンドリの軌道上――真空の宇宙空間に一人で放り出されることになる」
その言葉は、脅しではなかった。
ただ冷徹な、事実の羅列。
だが陸は、その突き放すような言葉の中に、これまでとは明らかに違う響きを感じ取っていた。
心配。
そうだ。
彼女は心配しているのだ。
常に冷静で傲慢で、自分のことしか考えていないように見えた少女が、本気で俺の身を案じている。
彼女は、陸のことをもはやただの「道具」だとは思っていない。
危険な任務に共に挑む、唯一無二の「パートナー」として認識している。
だからこそ彼女は、これほどまでに口うるさく、そして厳しく情報を叩き込もうとしているのだ。
失敗して死んでほしくないから。
その事実が、すとん、と陸の胸に落ちてきた。
驚きであり、少しの戸惑いであり、そして何よりも、強い力を与えてくれるものだった。
信頼されている。
この孤高の少女に。
「……なあ、リラ」
陸は静かに口を開いた。
「俺がもし、壁の中に埋まったり、宇宙に放り出されたりしたら、あんたはどうするんだ?」
少し意地悪な質問だったかもしれない。
リラは虚を突かれたように一瞬目を見開き、次の瞬間、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ど、どうもしない! 別の惑星渡りのスキル持ちを探すだけだ! あんたの代わりなんて、いくらでもいる!」
あまりにも分かりやすい狼狽ぶりに、陸は笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえた。
「……そうか」
彼はそれだけ言うと、渡された防護服に袖を通した。
身体にぴったりとフィットする。
まるで、あつらえたかのようだ。
「安心しろよ、リラ」
陸はフードを被り、彼女に向き直った。
「俺は死なない。絶対にあんたを目的地まで送り届けてやる。……パートナー、なんだろ?」
その言葉に、リラは何も言い返せなかった。
ただ、ぷい、とそっぽを向く。
「……当たり前だ。さっさと準備を済ませろ、役立たず」
消え入りそうな声で、そう呟くだけだった。
その素直じゃない強がりが、今の陸には何よりも心強いエールのように聞こえた。




