第四話:最初の「おつかい」
惑星渡りの訓練が失敗に終わった翌日、隠れ家の空気は鉛のように重かった。
リラは、いつも以上に雄弁に沈黙し、ただひたすらコンソールに向かっている。
その背中からは、「役立たずは視界に入るな」という無言の圧力が、びしびしと放たれているようだった。
陸は部屋の隅で息を殺し、支給された栄養バーをかじることしかできなかった。
悔しい。
情けない。
そして焦り。
様々な感情が胸の中で渦巻いていた。
せっかく手に入れた、この世界で生き抜くための唯一の力。
それを自分の弱さのせいで、まったく使いこなせない。
リラに失望されるのも当然だった。
そんな重苦しい沈黙を破ったのは、意外にもリラの方からだった。
「おい」
彼女は椅子を回転させ、こちらを向く。
表情は相変わらず、能面のように無表情だ。
「いつまでも、そこで体育座りをしている暇があるなら、少しは借金を返す努力をしたらどうだ?」
リラはそう言うと、指先で小さなメモリーチップをつまんで見せた。
「簡単な仕事だ。これを指定の場所に届けるだけ。成功報酬は三百コズモ。もちろん、そのうちの九割は私の仲介手数料と、あんたへの投資分として私が貰う。あんたの取り分は三十コズモ。栄養バー三本分だな」
あまりにも、ふざけた配分だった。
だが今の陸に、文句を言える立場ではない。
それどころか彼は、その提案に一筋の光明を見出していた。
初めて、自分の力で金を稼ぐチャンス。
たとえそれがリラへの借金返済にしかならなくても、彼女に「役立たず」ではないと証明するための、小さな――しかし重要な一歩になるかもしれない。
「……やる」
陸は即答した。
「やらせてくれ」
「威勢だけはいいな」
リラは鼻で笑い、チップと、相手のいる場所が記されたデータパッドを陸に放り投げた。
「場所は第七層の貨物ターミナル、Dブロック三番倉庫。相手は『ジャバ』って名の爬虫類人だ。合言葉は『西の空に、三番目の月』。それ以外のことは、一切しゃべるな。チップを渡したら、すぐ戻ってこい。惑星渡りは、まだ使うなよ。あんたが倉庫ごとどこかの星に跳ばれても、迷惑だからな」
陸はデータパッドを手に取り、頷いた。
公共リフトを乗り継ぎ、第七層へ向かう。
そこは、アルカディア・ネクサスの物流を支える巨大な貨物ターミナルだった。
巨大なコンテナが山と積まれ、大型の輸送船が轟音を立てて離着陸を繰り返している。
Dブロック三番倉庫は、ターミナルの最も奥まった薄暗い場所にあった。
倉庫の前には、リラの言った通り、爬虫類のような緑色の鱗に覆われた大男が腕を組んで立っている。
目は蛇のように縦に細く、感情が読めない。
陸は緊張で渇く喉を、ごくりと鳴らした。
「……西の空に、三番目の月」
震える声で、なんとか合言葉を告げる。
男――ジャバ――は縦長の瞳孔で、じろり、と陸を睨んだ。
「……ずいぶんと、ひょろい使い走りが来たもんだ。リラの奴も人が悪い」
しゃがれた声でそう言う。
砂利を擦り合わせたような声だった。
「ブツは、どうした?」
陸は言われた通り黙って、懐からメモリーチップを取り出し、差し出した。
ジャバはチップを受け取ると、矯めつ眇めつ眺め、やがて自分の端末に差し込み、中身を確認し始める。
その沈黙の時間が、陸には永遠のように長く感じられた。
相手は、リラの言った通り一筋縄ではいかない裏社会の人間だ。
もし、このチップに何か問題があったら。
もし、ここで因縁をつけられたら。
ウロボロスでの、あの暴力の記憶が再び脳裏をよぎる。
やがてジャバは端末から顔を上げ、にやり、と薄い唇を歪めた。
「……ククク。なるほどな。確かに受け取ったぜ、坊主」
そう言うと彼は、陸の肩を巨大な手で、ばしん、と強く叩いた。
陸の身体がよろめく。
「リラの奴によろしくな。『次は、もっとマシな使いをよこせ』ってな」
ジャバは高笑いを残し、倉庫の中へと消えていった。
陸はその場に、しばらく立ち尽くしていた。
全身から、どっと汗が噴き出す。
緊張で足が、かすかに震えていた。
ただチップを渡すだけ。
それだけのことが、こんなにも神経をすり減らすとは思わなかった。
だが同時に、胸の奥には確かな達成感が、じんわりと広がっていた。
初めて、この世界で「仕事」を成し遂げた。
たった三十コズモ分の働きかもしれない。
それでもこれは、紛れもなく彼が自らの足で踏み出した、最初の小さな一歩だった。
隠れ家に戻ると、リラはちらりとこちらを見ただけで、すぐにコンソールへ視線を戻した。
「……遅かったな」
「道に、少し迷っただけだ」
陸はぶっきらぼうに答え、自分の寝床であるマットへ向かった。
リラはそれ以上、何も言わなかった。
だがその日、陸に支給された栄養バーは、なぜか三本に増えていた。




