第三話:力の代償
市場から戻った翌日。
リラは陸を連れて、再び外に出た。
しかし向かった先は、昨日までのような華やかな大通りではない。
二人が乗り込んだ公共リフトは、街を上へ上へと昇るのではなく、地下へ、さらに地下へと深く潜っていった。
やがてリフトが停止し、扉が開く。
そこはアルカディア・ネクサスの豪華絢爛なイメージとはかけ離れた、無骨な空間だった。
湿った空気。
剥き出しの配管。
そして絶えず響く、低く重い駆動音。
「ここは旧動力炉区画だ。今はもう使われていない。多少物音を立てても、誰にも迷惑はかからない」
リラはそう言うと、薄暗い通路を奥へと進んでいく。
やがて体育館ほどの広さがある、がらんとした空間に出た。
床には、おびただしい数の傷や焼け焦げたような跡が残っている。
おそらく、かつては誰かがここで、何らかの戦闘訓練でもしていたのだろう。
「さて、と」
リラは空間の中央で立ち止まり、陸の方へ向き直った。
紫紺の瞳には、いつになく真剣な光が宿っている。
「いつまでも、あんたをただ飯食らいの居候にしておくわけにはいかない。今日から、その『惑星渡り』の制御訓練を始める」
その言葉に、陸の心臓が期待と、それ以上の恐怖で大きく脈打った。
ようやく、この力の使い方を学べる。
しかしそれは、あの暴走の恐怖と再び向き合わなければならないことも意味していた。
「まず、基本的な理論からだ」
リラは携帯端末を取り出し、空中に簡単な図形を投影した。
「スキルチップは魔法の道具じゃない。使用者の“あるエネルギー”を喰らって現象を発動させる、一種の増幅装置だ。そのエネルギーのことを、一般的には『サイ』と呼ぶ」
「サイ?」
「精神エネルギー、思念力……まあ、呼び方はどうでもいい。人間が思考したり、何かを強くイメージしたりする時に発生する微弱な生体エネルギーのことだ。チップは、そのサイを燃料にして動く」
リラの説明は、まるで学校の授業のようだった。
だが、その内容は陸がこれまで学んできた、どんな物理法則からも逸脱している。
「ウロボロスで、あんたのチップが暴走した理由。それは、あんたが『生きたい』と強く願ったことで膨大なサイが発生し、それを制御できないままチップが一気に吸い上げてしまったからだ。いわば、エンジンのスペックを無視して燃料を無理やり注ぎ込んだようなものだ」
彼女はそこで一度言葉を切ると、値踏みするような目で陸を見た。
「つまり、だ。あんたがこの力を制御できないのは単純に、あんたの精神力が子供みたいに貧弱で、おまけに過去のトラウマに怯えている、ただの臆病者だからだ」
あまりにも率直で、容赦のない分析だった。
陸は反論しようとしたが、言葉が出てこなかった。
彼女の言う通りだったからだ。
「やってみろ」
リラは顎で、訓練場の反対側の壁を指し示した。
距離は、およそ五十メートル。
「まずは、あの壁まで跳んでみろ。イメージしろ。あんたの身体が光の粒子になって、あの壁の前に再構成されるのを。強く、具体的に」
陸は、ごくりと唾を飲み込んだ。
右腕の、チップが埋め込まれた部分が、ずきりと痛む気がした。
暴走した時の、あの身体が内側から引き裂かれるような感覚が、生々しく蘇る。
だが、ここで怖気づいていては、いつまで経ってもリラの「道具」のままだ。
陸は両の拳を強く握りしめ、目を閉じた。
イメージするんだ。
あの壁まで。
跳ぶ。
跳ぶんだ。
右腕に意識を集中させる。
チップが彼のサイに反応し、微かな熱を帯び始めるのが分かった。
光の回路が皮膚の下で、青白く明滅する。
いける。
そう思った瞬間だった。
脳裏に、あの光景がフラッシュバックした。
自分の身体が指先から崩れていく感覚。
制御不能の力に意識ごと飲み込まれていく、絶対的な恐怖。
「――っ!」
陸は思わず、腕への意識の集中を解いてしまった。
チップの熱と光が、すうっと引いていく。
身体から力が抜ける。
彼はその場で、はあ、はあ、と荒い息をついた。
「……なんだ、その様は」
背後から、リラの心底軽蔑しきったような声が飛んでくる。
「せっかく希少なスキルを手に入れても、使い手がこれじゃ宝の持ち腐れだな。いや、不良品か。こんな役立たず、闇市場に売り飛ばした方がまだ金になるかもしれない」
その言葉が、陸の胸に突き刺さった。
悔しさが腹の底から、熱いマグマのようにこみ上げてくる。
役立たず?
不良品?
ふざけるな。
「……もう一回だ」
陸は歯を食いしばり、再び壁へ向き直った。
今度こそ跳んでやる。
恐怖に負けてたまるか。
彼は再び、意識を集中させる。
チップが熱を帯びる。
光が明滅する。
だが、やはりあと一歩のところで、脳裏をよぎる恐怖が彼のサイを霧散させてしまう。
結果は同じだった。
陸は何度も、何度も挑戦した。
そのたびにリラの氷のように冷たい罵声が、背中へ浴びせられる。
汗が全身から噴き出し、呼吸はどんどん荒くなっていく。
それでも彼の身体は、一センチたりともその場から動かなかった。
結局、その日の訓練は何一つ成果を上げることなく終わった。
隠れ家へ戻るリフトの中で、リラは一言も口を利かなかった。
その沈黙はどんな罵声よりも雄弁に、彼女の失望を物語っていた。
陸は自らの右腕を、強く握りしめた。
力は、ここにある。
だが、それはまだ自分のものではない。
悔しさと焦りと、そしてどうしようもない無力感。
ウロボロスで感じたあの絶望が、形を変えて再び彼の心を支配しようとしていた。




