行き止まりの、その先へ
しばらく歩いていくと、サグロスの足取りがふっと変わった。
石畳の街道はそのまま緩やかに丘へと続いており、木々の向こうはわずかに開け始めていて先の見通しも悪くない。だが彼は迷いなくその道から外れ、横へと逸れる細い道へ足を踏み入れた。
踏みしめた瞬間、硬く乾いた石の感触が消え、締め固められた土の感触が足裏に返ってきた。
ロイは思わず、来た道を振り返る。
背後に残っていたはずの喧騒は歩を進めるごとに遠ざかり、馬車の軋む音も人の話し声も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
残るのは――自分たちの足音と、風に揺れる葉擦れの音だけ。
その頭上で、枝葉の間から小さな影がふわりと降りてきた。ミーオがロイの頭に飛びつき、ぎゅう、としがみつく。
「サグロス、街道から外れちゃったけど、いいの?」
「ああ、問題ない」
前を歩く背中はまるで迷いがない。
ライナの視線がまっすぐサグロスを射抜き、わずかに声の温度が下がる。
「いいかげん、どこに向かっているのか言ったらどうなの?」
「せっかちだなー。余裕を持って工程を楽しむのも大事なことだぞ」
「余計なお世話」
ぴしゃりと切り捨てる声に、サグロスは肩をすくめるだけだった。
やがて道は途切れた。先には木々があるだけで、道らしいものはどこにも見当たらない。
「……行き止まり?」
隣で、ライナの視線が一気に鋭さを増した。
「あんた、ふざけてるの?」
その言葉は低く、はっきりと警戒の色を帯びている。
だがサグロスは気にした様子もなく、行き止まりの木々へと視線を向ける。
「まっ、何も知らないとそうなるよなー」
そう言いながら、一風変わった老木へ足を向けた。
高く伸びた枝からは無数の細い葉が垂れ下がり、地面に届くほどに長く伸びている。幾重にも重なったそれは風に揺れながら、まるで緑のカーテンのようにゆるやかに波打っていた。
「ここを行く」
あっさりと告げるその様子に、ロイは思わず目を丸くした。
「えっ……そこ?」
サグロスは答えず、そのまま葉に手をかけると、がさりと音を立てて掻き分けた。だが、その先にも同じような葉がびっしりと重なっているだけで、奥の様子はまるで見えない。
ロイは眉をひそめる。
「葉っぱばっかりだけど……本当に行くの?」
「ああ。この先に目的の場所がある」
言い切ると同時に、サグロスは躊躇なくその中へ踏み込んだ。
葉が擦れ合う音ががさがさと響き、そのまま、姿が見えなくなった。
「行っちゃった……」
ロイはぽかんと口を開けた。ライナが警戒を強めたまま呟く。
「こんな隠された道なんて、怪しすぎる。あいつ放っておいて引き返した方がいいんじゃない?」
ロイは腕を組み、少しだけ考え込む。
確かに怪しい。というか、かなり怪しい。でも――
「うーん……ねえ、ミーオ。この先、どうなってるか空から見てくれる?」
「ぴゅあっ!」
短く鳴くと、ミーオは軽やかに宙へ舞い上がった。小さな影は木々を抜け、すぐに見えなくなった。
「……すごい。人の言葉、わかるんだ」
ライナが感心したように呟く。
「うん。結構色々と助けてもらってるんだ」
ロイがどこか誇らしげに笑った、そのときだった。
ぱさ、と葉を揺らしてミーオが戻って来た。
「ぴゃっ、ぴゅぴゃっ!!」
空中でばたばたと羽ばたきながら、せわしなく二人の周りを飛び回る。明らかに様子がおかしい。落ち着きがない。
ロイは目を瞬かせる。
「どうしたの? なんでそんなに――」
「ぴゅぅうあっ!」
一段と強く鳴いたかと思うと、ぐいぐい、と遠慮なくロイの背中を押してくる。
「わ、わかった! 行くから! そんなに押さないで!」
ミーオの勢いに押され、ロイは抵抗する間もなく葉の中へと押し込まれた。そのままミーオも一緒に葉の中へと消えた。
ライナは、その場にポツンと一人取り残された。
人の気配は消え、風に揺れる葉擦れの音だけが響いた。
目の前には、道を覆い隠すように垂れ下がる“緑の壁”。
「……すごく……怪しいけど、気になる……」
小さく呟き、ひとつ息を吐く。
そして――意を決したように、その中へ足を踏み入れた。
中は、想像以上だった。無数の葉が視界を覆い、どこを見ても緑一色。光は細く差し込むだけで、距離感すら曖昧になる。
一歩進むごとにざさと葉が擦れ合い、密集したそれは思いのほか重く、腕や肩に絡みつくように行く手を阻んだ。
方向感覚も曖昧なまま、ただ前へ、掻き分けて進む。
ふいに、手にかかっていた抵抗が弱まった。
「……?」
もう一度、葉を掻き分ける。
その隙間から、外の景色が覗いた。
「……」
そこには葉に分け入る前と変わらない風景が広がっていた。その中で、ふと視線が合う。
木にもたれたサグロスがこちらを見ていた。
「ようやく来たか。葉の中で迷子になってるのかと思ったぜ」
ライナがじろりと睨む。
「……うるさい」
吐き捨てるように言いながら、葉の中から抜け出す。
肩の上でそわそわしているミーオを軽くなだめながら、ロイは振り返った。
「ライナ、見てみてよ。なんか建物があるよ」
ロイが指差した先、木々の切れ間の向こうに、円筒状の建造物が覗いていた。
ライナが目を細める。
「こんなところに……塔?」
サグロスが軽く肩を回す。
「さっ、こんなところで立ち話なんてしてないで近くに行ってみようーぜ」
そう言うと、さっさと歩き出す。
その背を追うように、ロイとライナも再び歩き始めた。
やがて、木々がふっと途切れ、遮るものがなくなった向こうに、建造物がはっきりと姿を現した。
外壁には規則的に窓が並んで豪華な装飾が施され、側面には塔を取り巻くように通路が螺旋状に巡っててっぺんまで伸びている。
だが、ロイはわずかに眉をひそめた。
建造物の下部、“地面との接点”が妙におかしい。
まるで――地面の中から突き出しているように見える。
三人はそのまま歩みを進めると、行く手の地面がふいに途切れ、その先に切り立った崖が口を開けていた。
塔のように見えた建造物は、その崖下から伸びていた。
ロイはそのまま、崖の縁から下を覗き込む。
「えっ……何あれ……」
視線の先、建造物の下方に奇妙なものが見えた。
外壁からそのまま伸びた柱のようにも見えるが、途中で折れ曲がり、地面へと接している。
「……脚?」
「……気味悪い」
ライナの声にも、わずかに戸惑いが混じる。
二人の後ろで、サグロスが口を開いた。
「あれはレギーナ・ペクニア号。簡単に言えば移動宿だ」
ロイはゆっくりとサグロスに顔を向ける。
「……動くの? 宿が?」
「ああ。ここフルーヴェルから王都までを行き来する、金持ちの道楽宿さ」
さらりと告げられた言葉に、ロイはもう一度その建造物へ目を向けた。
確かに、よく見れば窓の奥に人影が見える。バルコニーには着飾った人たちが立ち、何やら優雅に景色を眺めていた。
「金持ち……」
ぽつりと呟く。
ライナが眉をひそめる。
「そんなお金、どこに――」
そこで、言葉が止まった。
「「あっ」」
二人の声が重なった。
サグロスがにやりと笑った。
「豚野郎からたんまりと巻き上げたからな。王都までの贅沢三昧旅。すでに手配も済んでいる」
そう言って、ロイの肩をぽんと叩いた。
「さっさと乗り込もーぜ」
サグロスは返事も待たず、そのまま崖を下り始めた。
「勝手に決めて……」
ライナが呆れたように額に手を当てる。
ロイも思わず苦笑した。
そのとき、ふと脳裏にレイドの言葉が浮かんだ。
――こいつは好き勝手やるやつだ。気をつけろ。
「あー……」
ロイは先を行くサグロスの背を見る。
確かにその通りだ。
「本当、予想外なことやってくれるなぁ」
小さく笑いをこぼしながら、視線は自然と、再び巨大な建造物へと向いていた。
動く宿。
金持ちの宿。
見たことも、聞いたこともないもの。
胸の奥が、わずかに高鳴る。
――ちょっと、面白そう。
肩の上のミーオが「ぴゅあっ」と鳴いた。ロイはその頭を軽く撫でると、軽い足取りで後を追った。




