#番外編. アナ①
とある貴族の元に可愛らしい女の子が産まれた。真っ青な深い海の底のような瞳をもったそれは可愛らしい子であった。
彼女が5歳になる頃には烏の濡れ羽色の髪に、切長の目が上に向かって弧を描いており涼やかな目元を持った可愛らしい少女となっていた。漆黒のまつ毛の間から海を閉じ込めたような瞳が見える様はとても美しく町中にその名前が広まった。
彼女の家はそこそこに財力がある家系であったが、倹約家であった先代と違い現当主達はたいへん浪費家であった。その勢いは激しく可愛らしい少女が美しい女性へと変わる前に家はすっかりと傾いてしまったのだった。
仕事もせず遊んでいた貴族の夫婦は美しい女神像を売って酒に変えた。その金も尽きると今度は煌びやかな銀食器を売ってご馳走に変えた。金が入るたびに使い果たし、とうとう家には何も残らなかった。
それでも働きたくない夫婦の目に留まったのは今まで売り払ったどんな宝石よりも綺麗な輝きをもった瞳の少女だった。
呑んだくれの父は言った。
「おお、アナスタシア! お前はどんな宝石よりも美しい!」
痩せ細っても自分を飾る宝飾品は手放さない母が言った。
「アナスタシア! あなたならきっと素晴らしい貴族が値をつけてくれるわ!」
腐り切った父と母だったものは口を揃えてこう言った。
「「アナスタシア! お前は私たちの財産だ」」
その日少女は丁寧に体を洗われ、まるで高価な絹のように滑らかになるまで髪を梳かされた。明日、少女を値踏みするために大勢の肥えた貴族達がこの家に集まる。少女の未来のように、空に広がる重たい雲が僅かな月明かりさえも少女の元に届けてはくれなかった。
「私はクランツ家の財産...」
少女が零した言葉を拾うものは誰もいない。家具も無くなり、ただ豪華な作りのベッドが虚しく置かれた子供部屋で少女は階下から聞こえて来る男と女たちの下品な笑い声を耳にしているうちに1人眠りについた。
「250!」
「300!」
「305!」
額に汗を滲ませながら少女を勝ち取ろうと集まった貴族達は顔がバレないように各々画面をつけたまま、金を握りしめて叫んでいた。目を血走らせ、どうにか少女を手に入れようと睨み合うさまは悍ましさすら感じさせる。
自分を値踏みする貴族達を少女は人形のようにただその瞳に映していた。
「もうほかに値をつける方はいませんか!!?」
肩に鋭い痛みを感じ我に帰ると父親であったものが目をギラギラとさせながら少女の肩に爪を食い込ませていた。現在、少女の値段は金貨750枚。金貨1枚で1日を楽に過ごせるこの世界でまだ青さの残る蕾を買うにしては十分な値段がついたと言えよう。しかしこの男は釣り上がっていく目の前の金額に欲望を抑えきれないようだ。
唇を舐めながら会場を舐め回すように見渡し声を上げないかと間をたっぷりと取る。
「もう声は上がっていないだろう!!」
少女に750枚の値をつけた男が口から唾を飛ばしながら喚き散らす。しきりに金貨を数える様から有り金を殆どはたいたことが伺える。もう他に絞れ取れそうにないとわかりクランツ家の男は長い鼻息を吐き出した。
「それではこれにて......」
男の話す声は荒々しく開け放たれた扉の音でかき消された。ステージにだけ照明を当て客席は薄暗くなっていたこの部屋に、開け放たれたドアから強い光が差し込む。皆が一様に振り返るとそこにはまるで天女のように美しい女性が仮面をつけ佇んでいた。あまりの眩しさに皆、目を細めていたがそれでもその女性の美しさは疑いようのないものだった。
まるで月の光のように優しく輝くプラチナブロンドがたっぷりと腰まで広がり、艶やかな唇はまるで薔薇の蕾のようにそっと顔を彩り、仮面から覗くプラチナブロンドのまつ毛で縁取られたアーモンド型の目にはアメジストのように煌めく瞳があった。
人形のような美しさの少女を買おうとしていた貴族達の財布を持つ手に無意識に力が入る。思わずこの世のものとは思えない美貌を持つ女を目の前に生唾を飲み込んだ。
「お、おい! クランツ子爵よ! 目玉商品があるなら先に言ってもらいたい!!!」
逆光でほとんど見えていないにも関わらずその佇まいから、少女を買おうとしていた男にもその女性が極上のものだのわかった。
「い、いえ、私どもが提供できる品はただ1つで......」
勝手に値踏みを始める貴族達を夜の帷のような眼差しで一瞥すると一言だけ言葉を発した。
「金貨3000枚」
女性から放たれた金額に皆口をだらしなく開け呆然とするしかなかった。
「他にいらっしゃるのですか?どうなんですか?」
冷たく言い放つ彼女の声に慌ててクランツ子爵が口を開いた。
「あ......さ、3000枚です......だ、誰もいらっしゃらないです......よね......?」
美しく教養のある娘でさえ金貨2000枚の値がつけば噂になる程の金額だというのに、この女性は入ってくるなり惜しげもなく金貨3000枚を言い放った。少女を750枚で買おうとしていた男も悔しそうに顔を歪めながら俯いている。ひとしきり周りの反応を確かめた美しい女性は淡々と契約を進めていった。
「それでは金貨3000枚にてその少女は私のものとなります。以後、あなたたちはこの娘の親であることを名乗ることは許されませんわ。よって赤の他人であるあなた方がこの子に話しかけることも近づくことも許可しませんので、破られた場合はどうなるかわかりますわよね?」
彼女の言葉と共にそばに控えていた執事であろう仮面をつけた男がドサッといとも容易く3000枚の金貨が入った袋をクランツ子爵夫妻の目の前に投げ捨てると契約書をちらつかせた。慌てて美しい羽ペンで名前を書き殴る。 秘書官を雇うこともできなくなった彼らが最後に汚らしい字で書いた名前は自分たちの娘を売るためであった。
そんな夫婦をよそにただ椅子に座り眺めていた少女に美しい女性はドレスが汚れることも気にせず跪き手を差し出した。
「おいで、アナスタシア。今日からは私たちと暮らしましょう」
少女が久しぶりに触れた人の温もりは肉親よりも暖かく優しいものだった。キラキラと輝く銀髪を眺めているうちにいつのまにかクランツ邸とは比べ物にならないほど豪華な屋敷についていた。




