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#2.私ではない私

 目が覚めると頭にかかった霧は消え、頭痛も引いていた。部屋の中は大分暗くなっており、夕陽が部屋を紅く染めている。もうじき部屋の中は真っ暗になるだろう。部屋の隅から小さな話し声が聞こえる。


「貴方がまだ起きたばかりのエラを無理させるから......!」


「本当にすまない。何も分からない状態じゃ辛かろうと......まさかこんな事に──」


 身を起こすと会話をしていたのはジェイコブと鏡で見た少女によく似た髪の美しい女性だった。私が起きた事に気づいた2人は会話をやめ駆け寄ってきた。2人とも揃って心配そうな、しかし目覚めた事に少し安堵(あんど)した表情をしている。


「ごめんなさい、私......話の途中だったのに」


「気にしなくて良いんだよエラ。無理をさせてすまない、こちらが気をつけるべきだったまだ目が覚めたばかりだったと言うのに......」

 

「そうよエラ。まだ横になってなさい」


 女神の様な女性にそう促されると抵抗できず、優しくベッドの中に戻されると頭を撫でられた。25歳にもなって子供のように扱われると恥ずかしくなってくる。夕日のお陰で顔が紅くなってしまったことがバレなくて本当によかったと安堵した。しかしまだ確かめねばならない事がある。


「あの、手鏡か何かお借りしてもよろしいでしょうか」


「ええ、勿論よ。これが貴方のお気に入りだった物よ」


 そう言いながら手渡された手鏡は可愛らしい鈴蘭(すずらん)が彫られた銀細工のものだった。手鏡から指先にズシリと伝わる冷たさがひんやりとこの世界が夢ではないと教えてくれる。意を決して覗き込んだ鏡にはやはりアメジストの様な瞳がこちらを見つめている。恐る恐る頬を触ると彼方(あちら)の少女も頬を触る。


「これが私......」


「そうよ、私たちの可愛いエラ。何か思い出せたかしら?」


 そう問いかけてくる女神のような女性は鏡の中の少女によく似ているが少し落ち着いたプラチナブロンドの髪に、綺麗なアーモンド型の目をしており、瞳はアメジストのようにキラキラと輝いていた。あまりの美しさに気圧され目を逸らしてしまう。


「すみません......何も......」

 

 そう答えると女神の様な女性は少し哀しそうな表情を浮かべたが、何もなかった様に優しい笑顔に戻った。


「じゃあ自己紹介をしなくちゃいけないわね、自分の娘に今更自己紹介っていうのも変な感じだけど......私はハインド家当主ジェイコブの妻イザベラよ。貴方の母親でもあるわ」

 

 自己紹介をするイザベラにジェイコブが隣から少し声をおとして口を挟む。


「イザベラ......昨晩の事は......」


「分かってるわ......私もまだ伝えなくて良いと思ってる」


 エラの両親は記憶喪失の原因だと思っている昨晩の事(・・・・)を話してはくれない様だ。無理もない。どちらにせよ自分はこの状況に未だ慣れておらず他の事まで頭が回らないので好都合だ。


「すみません、ちょっとまだ整理できなくて......1人にしていただいても大丈夫ですか?」


「勿論だとも。さぁ行こうかイザベラ。私達は彼方(あちら)とも話をつけなくては──」


「ええ。エラにこんな思いをさせたからにはきっちり落とし前をつけて頂かないといけないですわね」


 穏やかに微笑んで出ていった2人だが目は少しも笑っていなかった。2人の反応からもエラはとても可愛がられて育ったのだろう。


 無理もない、エラの顔は美しいなんて言葉では言い表せない程の美貌だ。大きく丸い瞳にスッと上に伸びた目尻は涼やかで、豊かなホワイトブロンドと同じ睫毛は(またた)くたびに星が(きら)めいているようだし、鼻は高いが主張が激しくない。ハリがあり吸い付くような肌を無意識のうちに触りながらぼんやり考える。


 どうやら今の私はエラと言われるハインド家の娘らしいが一体なぜこんな場所にエラとして存在しているのかいくら考えてもわからなかった。


ビールを飲んでいて(さき)と呼ばれていた頃の私は身長が185もあり、目尻はきつめに上がり真っ黒な髪を刈り上げインナーカラーに深いブルーのカラーを入れていたはずだ。


考えているうちに真っ赤に染まっていた部屋はとっぷりと闇の中に包み込まれていた。


 柔らかな光が灯されたのに気づき顔を上げると最初に見た眼鏡のメイドが優しく照らされていた。


「エラ様、差し出がましいですがお部屋の中が暗くなってまいりましたので(あか)りをつけさせていただきますね」


 ベッドサイドの(きら)びやかなランプのガラスが火で揺らめきとても幻想的だ。


「ありがとうございます、えっと......お名前は......」


「申し遅れました、エラ様。私はお嬢様御付きのメイドです。アナとお呼びくださいませ」


 眼鏡の奥の目はつり目だが綺麗なサファイアブルーの瞳で何もかも見透かされるような気がする。


「よろしければこちら紅茶をお持ちしましたのでいかがでしょうか」


 紅茶と聞いた途端口の中がまるで真夏の校庭のように渇いていることに気がついた。受け取ったカップを覗き込むと真っ青で綺麗な紅茶だ。確かバタフライピーとかいう紅茶だった気がするが咲は紅茶には詳しくない。


 レモンも添えられていたがそのままの紅茶をいただいた。乾き切っていた口や喉を通って青い紅茶が体に染み込んでいく。


「あぁ、美味しい。喉が乾いていたから助かるわ」


 一歩下がったアナの目から光が遠ざかり深海のように暗くなってしまった。


「まだ体調がすぐれないでしょうからお部屋にお料理をお持ちさせていただきますね」


「そうしてくれると嬉しいです。ありがとうございます」


 こちらの世界のこともよくわからない上に貴族のマナーで食事をしなければならないと思うと気が重くなる。ホッとしていると申し訳なさそうにアナが提案してきた。


「あの、お嬢様。敬語ではなくて大丈夫です。私はお嬢様のメイドですので」


「たしかにそうよね。ありがとう」


 そう言葉を交わすとアナは静かに部屋から出ていった。扉の閉まる音がして足音が遠のいたことを確認するとふっとため息が出た。


 慣れないお嬢様という役のせいでメイドに気を使わせてしまって申し訳ない。だが、咲はそもそもメイドに仕えてもらう立場ではなかったのだから許して欲しいものでもある。


 程なくしてアナの持ってきてくれた夕食は沢山の野菜をとても丁寧に細く刻んである程よい暖かさのスープだった。部屋に優しい香りが広がると途端に自分がお腹を空かせていた事を思い出す。エラがどうだったかは知らないがとりあえず咲の方は空きっ腹にぬるくなったビールを流し込んだだけであった。


 ビールを飲んだのが遠い記憶のように感じつつ運ばれてきたスープに手をつける。口に含んだスープは人参やキャベツの甘さにほんの少しの塩胡椒、バジル等のスパイスが使われており、臭みを感じさせない鶏の旨みが染み込んでいく。シンプルなスープだが飽きのこないものでいつの間にか完食してしまっていた。


 食後にアナが持ってきてくれた蜂蜜と生姜にレモンの入った温かいレモンジンジャーを飲むとほっと息をついた。


「とても落ち着く......ありがとうアナ」


「お役に立てて光栄です」


 温かい飲み物を飲むと体全体に温かさとともに、じんわりと疲れが広がっていく。身体が重くなっていくのに気づいたのかアナがカップを受け取ってくれた。フカフカの枕に包まれ咲の意識は夜の闇に溶けていった。

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