#3.ハインド家から出発
私が体を起こせたのはあれから3日経った後だった。目が覚めるとやはり咲である私には馴染みのない豪華な部屋のままで、閉めきられたカーテンの隙間からキラキラと朝日が溢れて部屋を照らしている。
咲が身体を起こすと側に控えていたのかメイドのアナがノックをして入ってきた。
「おはようございます、お嬢様。お体の具合はいかがですか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
窓にかかったカーテンをアナがよせると部屋の中がパッと明るくなる。窓が開け放たれるとそこから朝の冷たい新鮮な空気が入ってきた。頬を撫でる風が心地いい。
「寒くはありませんか?」
「ええ。とても気持ちがいい......」
霧がかかったように重かった頭もすっきりし、まるで縫いとめられたようにベッドに張りついていた体も軽い。
「それは良かったです。旦那様や奥様にもお嬢様の元気なお姿をお見せすれば安心してくださることでしょう。今日はどの様なお召し物に致しますか?」
「ごめんなさい。選んでいただいても良いかしら」
頷くとアナは部屋にあったクローゼットの様な扉を開ける。中はウォークインクローゼットというかもう一つ部屋があるように広い。咲は目の前に現れた沢山のドレスに目を見張る。
アナが持ってきたのはふんわりとした形の袖とスカートのドレスだ。淡い紫色にレースが何枚も重なり所々朝日を受けて輝くのはダイヤモンドとアメジスト。胸元には鈴蘭の模様が描かれており、可愛らしい。
確かにエラにはすごく似合いそうではあるが、咲はこんな可愛いタイプのドレスを着たことなんてない。
「あの......もうちょっとシンプルなドレスでも......」
「そうですか......かしこまりました」
そう言ってアナが持ってきてくれたのはまだ陽が上がったばかりの様な淡い空色の長袖ワンピースでシンプルだが柔らかなレースが胸元を縁取っている。
ふわふわとしていないドレスにほっとしつつ自分が結婚式に呼ばれたときに買ったワンピースよりも高そうな服に袖を通す事に些か息苦しさを感じた。
着替えを済ませアナに連れられて食堂に向かうと高い天井には綺麗なクリスタルのシャンデリアが飾られ、テーブルには様々な種類のパンにスコーン、クロテッドクリームに数種類のジャム、スクランブルエッグに目玉焼き、かりかりのベーコンにソーセージ、ポテト、煮込まれた豆にきのこのソテー、ガラスの器に盛られた艶やかで大きなゼリー、甘い香りが食欲を誘う糖蜜パイ。こちらで初めて食べた野菜スープも置いてある。所狭しと並べられたまるで海外の小説に出てくるような料理に心が躍る。
「おはようエラ、気分はどうだい?」
「食欲はあるかしら? まだお部屋でゆっくりしていてもいいのよ?」
あまりにも豪華な食事に目を奪われて気がつかなかったが既にエラの両親が席に着いていた。
「ありがとうございます。大分気分は良くなりました」
笑顔でそう伝えると2人は嬉しそうにしている。
「それで、どうかしら......何か思い出せた?」
「すみません......」
恐る恐る聞いてきたイザベラに、申し訳なく思いながら伝えると少し寂しそうな表情で、聖母のような微笑みを浮かべた。朝日が差し込む食堂の、まるで絵画の様な光景に見惚れてしまう。
「謝らなくて良いのよエラ。ほら、あなたが好きだった物をシェフが腕によりをかけて作ってくれたわ」
「そうだよ、気にしないで沢山食べなさい」
優しいエラの両親に食事を促され、この世界のマナーが分からなかった咲はおずおずと食事を始めたが、一旦食事が始まると料理の美味しさに顔を緩ませた。アナは咲が食べたいと言う前に、望んでいるものをすぐ美しい盛りつけで取り分けてくれる。
幸せそうに食事をする娘を見て、エラの両親も嬉しそうに食事をする。食事に夢中になっていたため、いつの間にかコック帽を被り、優しそうな笑顔をした、恰幅のいい青年が食堂に入ってきていたのに声をかけられるまで気がつかなかった。
「お嬢様、お加減がずいぶん良くなった様で、このトーマスも腕によりをかけて料理を作った甲斐がありました」
ニコニコと笑う青年に、慌ててメイドのアナが駆け寄り追い出そうとする。
「申し訳ありません旦那様、奥様! 給仕は私達に任せてトーマスは下がって......!」
「良いのよアナ。ありがとう。トーマスもエラの事をとても心配してくれていたんですもの」
お嬢様の体調が良くなったようなのでこれで、とトーマスはさっさと厨房へ消えていこうとする。
「あの! トーマスさん、すごくお料理美味しいです! この間はスープをありがとうございます」
咲が慌ててお礼を言いながら微笑むと、トーマスは嬉しそうに耳まで赤くなる。
「光栄です、お嬢様。私の食事を気に入っていただけて......」
にこにことそばかすだらけの顔を緩ませて、不恰好なお辞儀をして厨房に帰っていった。トーマスの後ろ姿は少しスキップしているようで身体が躍っていた。
「それで......あのお母様、私はこれからどうしたらいいでしょうか」
「そうね......貴方は今、上級貴族の集まる王都の学校に行っていたのだけど、婚約者であるレオナルド王太子殿下に婚約破棄を言い渡されてしまったの......先に言っておくけど、貴方はしっかりと妃教育も済ませて完璧な未来の妃と呼ばれていたわ! だから尚更私たちもよくわからなくて......そして、貴方は心を痛めて一度私たちの領土まで帰ってきているところなんだけど、もう後は卒業の記念式典に出席するだけだったから、学校には戻らなくてもいいと思っているわ」
「そうだね、新しい婚約者は別にあの学校から探さなくてもエラならもっと良い方がきっと見つかるし......」
この世界では年頃の貴族は全寮制の学校へ通い、多くのものは在学中に婚約者を見つけ卒業パーティーで婚約者と共に出席する事で公に婚約関係にある事を示すらしい。
正直、咲としてはいつ自分の体に戻れるかわからないこの状況なら家にいた方が良いと思っている。だが、咲から見た以上こんなに美しい婚約者を振った人間の面を一度拝んで文句の一つでも言ってやりたい気もする。
「お母様、私学校に戻りたいと考えております。このまま学校に行かなくなれば、私が至らなかったばっかりに婚約解消されたと噂されかねませんもの。このままハインド家の名前に泥を塗られたままなんて私、我慢なりません」
「でもね、エラ。この家の事を考えてくれるのは嬉しいけど、あなたが全て背負わなくても良いのよ? 学校に戻れば沢山の好奇の目に晒されるのは間違いないわ......それでも戻りたいと言うの?」
「私はハインド家の娘ですもの。背負う覚悟がありますわ」
まっすぐイザベラの眼を見て訴える。まだエラとして間もないが仕様人にも、両親にも愛され、頑張ってきた努力を踏み躙るような目に合わせるなんて咲は許せなかった。それに、咲には何故自分がエラとして目覚めたのか知らなければならない。そのためには、エラに何が起きたのか知る必要がある。
「わかったわ......馬車を用意しましょう。でも、もう少しはここに居て。しっかりと体調が戻ったのを確認させてちょうだい。いいわね?」
それから1週間、咲はハインド家の屋敷でゆっくりと過ごした。綺麗な薔薇やスイトピー、水仙やガーベラにかすみ草。沢山の花が咲き乱れる庭で美しい母親とティータイムを過ごしたり、エラの自室の隣にあった広い図書室でこの国の歴史や文化の本を読みふけったり、穏やかな日を楽しんだ。
最終日の早朝には準備が整い、まだ夜の青さが残る中、両親や仕様人達が見送りに出てきてくれた。馬車に一緒に乗り込んできたのはアナだけであった。学校へは、お付きのメイドを1人だけなら連れて行けるらしい。見送りに出てきてくれた仕様人達の中に、少し泣きそうな笑顔のトーマスが見えた。その隣に仏頂面をしたコック帽の男性もいる。
目が合うと仏頂面の男性は少し悩んだ後、見送りの一団から抜け出してツカツカとやってきた。咲が声をかける暇もなく、目の前に一つの包みが差し出された。
「記憶を無くされた様でお嬢様。俺はコック長のバリーと申します。これにはお嬢様が、以前お好きだった焼き菓子を詰めておりますので、道中お召し上がりくだせぇ」
ずっしりとした中身の袋を受け取り、咲は皆に別れを告げた。暖かいハインド家を出る名残惜しい気持ちを乗せたまま、貴族の集まる王都の学校へ馬車は脚を進めた。
朝日に照らされた馬車は溶けるように見えなくなったがハインド夫妻は娘の無事を祈り、日が登りきるまで見送り続けた。




