14話 お言葉に甘えて
「本日もありがとうございました。シスター・リリー」
「ええ・・・今日は特に疲れました」
東都最大の医療機関である、ウィークス医院。
その医院長室に置かれた来客用ソファーに腰かけながら、リリーは疲れを訴えた。
「最後だからといって無理をさせてしまい申し訳ないですな」
「いえ。それに、これが最後の巡回ではありませんし」
「はぁ・・・?王都に行ってしまわれては、こんな東都の一医院の事など構っていられないでしょう?」
「確かに、今までと比べれば回数はだいぶ減ると思いますが・・・東都にも定期的に診察に来るつもりですよ」
「なんと・・・!感謝します、シスター」
そう謝辞を述べたのは、医院長のウィークス・ベアパルドだ。
齢五十にして身長一・九メートル、体重九十五キロを誇る大男。短髪と髭には白毛が混じっている。
リリーも数年前初めて対面した時には、思わず「軍関係者の方ですか?」と聞いてしまったほど豊満な体を持つウィークス。
未だにリリーは、なぜ彼が今まで軍にスカウトされずにいたのか疑問に思っている。
軍にいたら今頃は、幹部候補間違い無しなんだろうなぁ————
「そういえば、シスター」
「はい?」
「宮廷専属の件、もうエルヴィ君には話したのですか?」
「えっと・・・それなんですが・・・」
「・・・どうやらまだ話せていないようですな。あれほど早く話せと口酸っぱく言ったのに」
「すいません・・・エルの顔を見る度に言おうとは思うんですが、どうしても・・・」
あの子が悲しむ姿を想像すると・・・ね。
とは言っても、もう猶予は何日もないことは確かなのだ。
そろそろ覚悟を決めなくては。
「エルヴィ君には伝えなくてはならない。しばらく連れ添った仲なら尚更だろう」
「分かってます・・・今日の夜、伝えるつもりですよ」
「うむ、そうしなさい」
正面のソファーに座ったまま腕組をしているウィークスがうんうんとうなずいた。
「・・・それにしても、もう明後日ですか・・・寂しくなりますな」
「別に今生の別れでもないじゃないですか。大げさですよ」
そうは言いつつも、リリーも寂しさを感じていた。
東都で生まれ東都で育ってきた身としては、故郷を離れることに多少なりとも心細さを感じるものである。
それでも決断したのは自分の為・・・そしてエルの為だ。
リリーもエルも、これまで十分他人に尽くしてきた。
これからは自らの幸せのために生きてゆかなければならない・・・とまあ、こんな感じの持論を根拠に、リリーは決断したのである。
「そうなれば、シスター・リリー。今日はもう帰ってエルヴィ君と一緒に過ごしてはどうです」
「・・・そうですね。お言葉に甘えさせて貰います・・・あ、そうだ」
何かを思い出した様子で自らの鞄をまさぐるリリー。
固いもの同士がぶつかる音がして、鞄から小さい木箱が取り出された。
「忘れるところでしたよ。これ、本日分です」
「これはこれは。いつも本当にありがとうございます」
「しばらく供給できないでしょうから、今日は十本ほど用意しました」
木箱をウィークスへと手渡す。
「じゅ・・・十本も・・・!?大丈夫なのですか!?」
リリーの言葉を聞き、青ざめた顔で心配するウィークス。
膝をついて受け取った木箱がいつもよりも重たいことに気付いたウィークスは、彼女が冗談を言っているのではないと確信した。
本気で、“十本分”も抜いたのか————
「ご心配なさらずに、すぐ元に戻りますから」
「おお・・・シスター。なんと慈悲深いお方だ」
そう頭を垂れるウィークスを制してから、リリーは医院長室を後にした。
コツコツ、と階段を下りていく音がこだましている。
「・・・感謝します、シスター・リリー・・・」
彼女が去ったのを確認して、その木箱を開ける。
ウィークスの口から思わず言葉が漏れた。
その中には「赤い何か」が入った容器————
————もとい、「リリーの血液」が充填された石英管が十本、美しく綺麗に並んでいたのだった。