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53歳の初恋リフレイン  作者: げりっぱ
高校生編

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第1話:五十三歳の自己嫌悪と、高校二年生のタイムリープ

初めての投稿となります。

よろしくお願いします。

第1話:五十三歳の自己嫌悪と、高校二年生のタイムリープ


二〇二三年、冬。

都内の居酒屋を貸し切って行われた、高校時代の同窓会。

すっかり寂しくなった頭髪を気にする男たちと、目尻のシワを化粧で隠す女たち。五十三歳という、人生の折り返し地点をとうに過ぎた同級生たちが集まるその空間には、どこか諦観と疲労の匂いが漂っていた。


俺、高橋健一(五十三歳)は、部屋の隅で、すっかりぬるくなったビールを胃に流し込んでいた。

なぜ、こんな居心地の悪い場所に来たのか。理由は一つだ。高二の時に出会い、かつて俺が『最低な逃げ方』をして捨てた女性が来るかもしれないと聞いたからだ。


「……久しぶりだね、健一くん」


不意に声をかけられ、振り返ると、そこには少しだけ白髪の混じった、見覚えのある女性が立っていた。陽子だった。


同窓会の一次会が終わった後。

俺は陽子を誘い、駅前の静かな喫茶店に入った。三十年以上ぶりの、二人きりの時間だった。

コーヒーを挟んでこれまでの互いの生活をぽつりぽつりと話す中で、彼女もまた、決して平坦ではない、苦労の多い人生を送ってきたことを知った。

高校時代からいつも俺の隣で笑っていた、あの底抜けに明るかった輝きは、長く冷たい現実の荒波に削られ、すっかり影を潜めていた。


その疲れた、寂しげな笑顔を見た瞬間。

俺の胸の奥底に三十年以上も蓋をしてきた『醜い過去』が、激しい自己嫌悪となって溢れ出してきた。


一九九〇年代前半。短大を出て保母(保育士)になった陽子と、激務の商社に入った俺。土日祝日が休みの彼女に対し、俺の仕事は土日祝日こそが書き入れ時だった。休日は完全にすれ違い、直接会う時間は激減した。

携帯電話もない時代。会えない寂しさとストレスを抱えていた俺は、職場で毎日顔を合わせる『後輩の女性』に甘え、少しずつ惹かれていった。


陽子に対して悪いという気持ちはあった。だが当時の俺は、「休みが合わないから仕方ない」「環境のせいだ」と、自分の弱さを正当化した。

結局、俺は陽子と向き合うことから逃げたのだ。別れ話すらまともにせず、一方的に連絡を絶ち、転勤を口実にして物理的な距離を置き、彼女を振り払った。


その後、俺はその職場の後輩と結婚した。

だが、二人の間に子供はできなかった。いや、作らなかったと言うべきか。互いに見栄と打算でくっついたような関係に、愛情などとうに冷め切っていたからだ。

案の定、バブル崩壊後の長期不況の波に飲まれ、俺の会社が倒産し、商社マンとしての「肩書き」と「収入」を失った途端、妻は手のひらを返したように離婚届を突きつけて去っていった。彼女が愛していたのは、俺自身ではなく、俺のステータスだけだったのだ。


プライドばかりが高かった俺は、その後まともな再就職もできず、非正規雇用の泥沼を転げ落ちた。


すべてを失って、ようやく気づいた。

俺が金を持っていようがいまいが、どんなに格好悪くても。何の肩書きもない高校時代から、俺という人間そのものを無条件で愛し、信じ抜いてくれていたのは、世界中で陽子ただ一人だったのだと。


(……俺が、逃げたんだ)

目の前で力なく微笑む五十三歳の陽子を見て、俺はようやく自分の本当の罪の重さを悟った。

俺が自分の弱さに負けて卑怯な真似をしなければ、彼女の人生にこんな寂しい顔をさせることはなかったはずなのだ。


「それじゃあ、また……元気でね」

駅の改札で別れる時、陽子は少しだけ泣きそうな顔でそう言った。俺は気の利いた言葉一つかけることができず、ただ黙ってその背中を見送ることしかできなかった。


帰宅し、六畳間のボロアパートの冷たいベッドに潜り込む。

天井のシミを見つめながら、俺の目から止めどなく涙が溢れ出た。

(俺の根っこにある狡さや弱さが、あいつの人生をめちゃくちゃにして、俺自身の人生も壊したんだ……)


胸が張り裂けそうなほどの切なさと、血を吐くような後悔。

(……ああ。もしも神様がいるなら、もう一度だけでいい。あの時代に戻してくれ。今度こそ、俺は絶対に逃げない。自分の弱さに負けず、俺のすべてを懸けて……あいつを守り抜いてみせるから……!)


俺は、静かに目を閉じ、深い深い後悔の闇の中へと沈んでいった。


* * *


「……んいち! 健一! 起きなさい、始業式に遅刻するわよ!」


「……うおっ!?」

階下から響く、若かりし頃の母親の怒鳴り声に、俺は弾かれたように跳ね起きた。


「いててて……なんだ? よっこいしょっと……」

無意識にオヤジ臭い掛け声を出して身を起こし、俺は周囲を見渡した。

五十三歳の俺が住んでいた六畳のボロアパートではない。ここは、実家の自分の部屋だ。

壁には当時のアイドルポスター。机の上には、使い込まれたカンペンケース。


慌てて洗面台の鏡を覗き込むと、そこには黒々とした髪をフサフサに蓄え、少しニキビのある、正真正銘の『少年』の姿があった。

震える手でカレンダーを見る。

『一九八六年(昭和六十一年) 四月』。


(戻って、きた……?)

あの同窓会の夜、切なさと共に眠りについたベッドから。バブル景気が本格化し始めた、あの春に。

一九八六年の四月。

今日は、高校二年生の始業式。俺と陽子が初めて同じクラスになり、運命の出会いを果たす、まさにその日だ。


「陽子……っ!」

俺は慌てて学生服に着替え、鞄を掴んで家を飛び出した。


(今度こそ。今度こそ絶対に間違えない。俺の五十三年分の知識と覚悟で、お前を守り抜く。もう二度と、あいつから逃げたりしない)

通学路を走りながら、俺は固く決意していた。五十代の経験と大人の余裕があれば、同級生の女子をエスコートするくらい造作もないはずだ。


* * *


新しいクラスの教室は、始業式前の独特の熱気と喧騒に包まれていた。

学ランやセーラー服に身を包んだ生徒たちが、新しい交友関係を探り合っている。

黒板に貼り出された座席表を確認し、俺は自分の席についた。


「よし、と。……よっこいしょ」

無意識にオヤジの掛け声を出しながら椅子に座った拍子に、手が滑り、筆箱から消しゴムが床に転がり落ちてしまった。

「あ……」


拾おうと身をかがめるより早く、後ろの席からスッと白い手が伸びてきて、その消しゴムを拾い上げてくれた。


「はい、これ」

春の風のように澄んだ声。振り返ると、そこには少し長めのスカートに、白い指定ソックスを履いた一人の女子生徒が、悪戯っぽく微笑んでいた。


「ふふっ。よっこいしょって、おじいちゃんみたいだね」


陽子だ。

同窓会で見せたあの疲れた笑顔じゃない。俺に対する一切の疑いを持たない、純粋で、希望に満ちた、十六歳の輝くような笑顔だった。


「あ……」

その顔を見た瞬間。俺の頭の中から「大人の男としての余裕」なんていうものは、一瞬にして消え去った。


(俺は、この純粋な笑顔から逃げたんだ)

休みのすれ違いを言い訳にして。子供も作らず見栄だけで選んだ後輩に甘えて。別れ話すらまともにせず、一方的にこの手を振り払った最低のクズ野郎だ。

(俺の根っこにある狡さが、またこの子を裏切って、あの同窓会のような寂しい顔にさせてしまうんじゃないか……!?)


極度の罪悪感と自己嫌悪。心臓が警鐘を鳴らすように激しく脈打ち、背中を冷や汗が伝い落ちる。

気の利いた挨拶どころか、声が震え、全身の力が抜けそうになる。自分の過去の最低な罪の幻影に怯え、俺はパニックを起こしかけていた。


「……えっ、ちょっと、大丈夫!?」

真っ青になった俺の顔を見て、陽子が前のめりになって覗き込んでくる。


「き、気分が悪いの? 保健室、一緒に行こうか?」

彼女の小さな両手が、冷え切って震える俺の右腕をしっかりと、力強く掴んだ。


その手のひらから伝わってくる温かい体温。

「……え?」

「ほら、立てる? 無理しないで。先生には私から言っておくから」


俺は、雷に打たれたような衝撃を受けた。

(……そうか)

五十代の経験があるからといって、俺が一方的に彼女を導けると思い込んでいた。だが、違う。陽子は、俺が自己嫌悪で逃げ出してしまうほど真っ直ぐで、そして、誰かが苦しんでいる時に真っ先に手を差し伸べられる、芯の強さを持った女の子なのだ。

一周目の俺は、この優しさに甘え切り、そして裏切ったのだ。


「……ごめん。ちょっと、緊張してたみたいだ。もう大丈夫」

俺は深く息を吐き出し、憑き物が落ちたように穏やかな笑みを浮かべた。震えは完全に止まっていた。

(もう二度と、絶対に逃げない。この手だけは、命に代えても離さない)


「ふふっ、よかった。新しいクラスで緊張しちゃったんだね」

陽子はホッと胸を撫で下ろし、ニコリと笑った。


「私、中村陽子。一年生の時は違うクラスだったよね。よろしく!」

「……高橋健一だ。なるはやで……いや、よろしくな」

危うく昭和のビジネス用語が口をついて出そうになり、慌てて飲み込む。


俺が少し照れくさそうに消しゴムを受け取ると、陽子は自分の新しい筆箱を開けながら言った。

「前後の席だし、一年間よろしくね、高橋くん! ……あっ、さっきの『よっこいしょ』は内緒にしておいてあげるから、安心して? ばっちグーだよ!」

顔の横でピースサインを作る彼女。

『ばっちグー』。強烈な昭和の死語に、五十三歳の俺の脳内はノスタルジーと愛おしさで爆発しそうだった。


「……ああ。俺も、陽子のことは絶対に……何があっても助けるからな」


教室の窓から、春の柔らかな日差しが差し込んでいる。

スマートな出会いなんかじゃなかった。よっこいしょと呟くポンコツな俺と、ばっちグーと笑う時代遅れの彼女。

だが、この不格好で温かい瞬間こそが、俺が百六年分の人生を懸けて、今度こそ逃げずに守り抜くべき『本当の初恋』の始まりだった。

皆様からのご意見・ご感想等あればお聞かせください。

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