■ エピローグ:琥珀色の風の中で
ペンシルベニアの夕暮れ。
レイチェルは、日課である若駒の調教を終えたところだった。
馬房へと馬を戻し、その温かな首筋を撫でていると、背後から軽やかな足音が近づいてくる。
「レイチェル。手紙が届いているわ」
振り返ると、そこには質素なドレスを纏ったアビゲイルが立っていた。
その手には、海外からの航空便。封筒には、日本の「内閣総理大臣」の公印が押されている。
二人は納屋の入り口に腰を下ろし、夕陽を浴びながら封を切った。
親愛なるレイチェルさん、そしてアビゲイルさん。
あの「自転車」での疾走から数ヶ月、いかがお過ごしでしょうか。
菱崎重工の社長と佐藤さんが、毎日のように私の執務室へ押しかけてきて困っています。
「アビゲイルの出力を絞りすぎたのではないか。不便をさせていないか」と、彼らは気が気でないようです。
報告によれば、現在のアビゲイルさんの出力は、不測の事態を防ぐため『大型ブルドーザー一台分』程度にまで制限されているとのこと。
私からすれば、家庭用としては十分すぎる力だと思うのですが……。
技術者という人種は、どうにも私とは違う着眼点を持っているようです。
もし、畑仕事や日々の暮らしで『パワー不足』を感じることがあれば、ぜひ真摯に答えてあげてください。彼らの「お節介」は、あなた方への敬意そのものなのですから。
追伸: 約束通り、アビゲイルさんの通信機能は物理的に切断してあります。我々が彼女のログを覗き見ることは二度とありません。ただ、経過観察として定期的に調査員を派遣しますので、お茶の一杯でも出してやってください。
手紙を読み終え、レイチェルは思わず吹き出した。
「ふふっ……。お姉ちゃん、菱崎の人たち、パワー不足じゃないかって心配してるそうよ」 「パワー不足? 今の私でも、この納屋を丸ごと持ち上げられる計算なのだけれど」 「でしょ? そもそも、ブルドーザー一台分の力があること自体、私は驚きなんだけどな」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。最新のテクノロジーが、ここでは「少し力持ちな姉」という愛すべき個性として溶け込んでいる。
その時、農場の入り口に一台の黒い車が止まった。 砂埃を上げて降りてきたのは、スーツ姿の役人――ではなかった。
使い込まれたジャンパー。白髪混じりの頭。そして、手には重そうな工具袋。
「……佐藤さん!」
レイチェルの叫び声に、男は照れくさそうに片手を上げた。
「よう、お嬢ちゃん。……やっぱり心配でよ、直接聞きに来たぜ。ブルドーザー一台分で、足りてるか?」
レイチェルとアビゲイルは、弾けるような笑顔で、懐かしい「師匠」のもとへ駆けていった。
金色の牧草地を走る二人の背中には、もう軍事の影も、孤独な戦いもない。
ただ、どこまでも続く琥珀色の平穏と、新しい家族の時間が広がっていた。




