トレニとエボル
姫様こと、リアリス=メテオル=ミルトリアム=セライアム様と初めて出会ったのは、勇者が召喚されてすぐのことだった。
幼い勇者の指南役として準騎士の中から俺とエボルが選ばれたのである。
といっても、本格的な訓練は近衛騎士が担うので、俺たちはあくまでも相談役兼同僚といった感じで。階級だけなら勇者の方がはるかに高いが、なるべくなら上下関係を作らず親しき友となるようにと、上官から念を押された上での任命だった。
「そんなの無理だよね」
街の定食屋で夕飯を取りながら話をする。エボルは何の話だ、と言いながら煮野菜にフォークを突き刺した。
「俺たちと勇者様の年齢差は六つ。出会った頃、勇者様はまだ子供でさぁ。可愛かったよね生意気で」
「そうだな」
「でも、友人になるなんて無理じゃない? 俺たちだってまだ成人前だったけど、勇者様はもっと幼かったもんね」
そんなに大きな声で喋っているわけじゃないのに声が響くのは、他に客がいないからである。さびれているわけではなく、魔物との戦闘で怪我を負い、職を辞した元騎士が開いた店なので何かと融通がきくのだ。なので、今日は貸し切りだ。
職務上、他人に聞かれてはまずい話をすることも多いので、大変助かっていた。
「そもそも俺とエボルが勇者様の世話係に選ばれたのは、俺たちが天涯孤独だったからだよね。俺にもエボルにも他に身よりがなかったからだろうと思っているんだけど。お前は? どう思う?」
「……」
骨付き肉を頬張ろうとしていた相棒が大口を開けたまま目線だけをこちらに向けて来る。
「っえ、違った?」
「お前には身寄りがないかもしれないが私は違うぞ」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだ」
否定されても何となく腑に落ちない。首を傾げていれば、
「まぁ、騎士になるために家族と縁を切ったのは間違いないから、家族がいないと言われればそうかもしれないな」
「でしょ? そうそう。だったよね」
自身も肉の塊を咀嚼しながら頷く。やがてフォークを置いたエボルが「そんなことはどうでもいい」と言って店員を呼んだ。新たに肉を追加して酒も注文している。この男が自宅以外で酒を飲むのは珍しい。いつだって職務に忠実で、道を逸れることがないから趣味嗜好は控え目だ。非番の日だろうと、いつ仕事になるかわからないからと外出はおろか飲酒も控えているくらいである。
だからこそ、この男と手を組んだのだけれど。
「何か、今更だけど色んなことが気になるんだよね」
あらかた食事を終えてから水を向ける。
「何がだ」
「色々だよ、色々」
国王陛下が殺害された後判明したことだが、俺たち近衛騎士には微弱の魔法がかかっていた。家畜などに施す完全服従の魔法である。誰がかけたのか分からない。専門家によると、人体に直接かけられた魔法というより、王宮という領域に展開された広域魔法ではないかという話だった。故に、騎士だけでなく宮殿で働く人間全てが影響を受けていたようだ。その中でも、自ら忠誠を誓い、命をかけて王族を守り抜く覚悟をしている近衛騎士に一番、強い作用があったらしい。
陛下に命を受けたなら何が何でも叶えなければならないという強迫観念の理由が分かったような気がした。
ただ、魔法が解けた後でも、姫様に対する忠誠心に変わりはなかったので。どこからどこまでが魔法による作用なのか分からなかった。自身の感覚としては、洗脳に近いものがある。ぼんやりと立ち竦んでいるときに、誰かから右を向けと言われて何となくそちらの方を向いてしまうようなものだ。強い縛りはない。
服従魔法とはいえ、精神に対してどのくらいの拘束力があるかは元々持っている魔力量も関係しているようで、個人差がある。そのあたりはこの件を調べている魔術師にも説明が難しいと言っていた。
「今までは大して疑問に思っていなかったことも気になるようになったんだよね。例えばさ、姫様のことだよ」
「姫様?」
「そう。なーんか様子がおかしいじゃん。侍医によれば精神的なものだろうって話だけど」
「あれほどのことがあったのだから当然だろう」
「うん、まぁ……、そうだよね」
しかし、俺が思うに。姫様の心に影を落としているのは勇者の件だけではない。それよりももっと深い部分。姫様の人格を形成している精神の根幹に、何かが起こっているような気がしてならないのだ。
今は、足を怪我していることもあり、将軍の屋敷で大人しく過ごしているが、時々その双眸が宙をかく。何も見ていないようで、暗闇の中を彷徨うような、何かを探しているような不思議な佇まいの眼差しをするのだ。
真夜中。ベッドで半身を起こした姫様の紫水晶のような目が、黒い光を灯すのを見た。
そしてふと、気づく。姫様は深淵を見ている。
「私は昔から気になっていることがある」
店員が運んできた酒を一気飲みしたエボルが、ジョッキを持ったままぽつりと言った。手元に落とした視線の先で、店内の淡い光が揺れる。虹彩がゆらゆらと震えて見えるのはそのせいだ。
「俺たちが出会うよりも前。―――――そうだ、勇者が召喚されるよりも前に離宮の使用人が幾人か捕縛された事件があった」
「幾人か? ……うーん。ああ、何か覚えているかも」
既に準騎士であり、一日の大半を訓練に費やしていたせいで記憶が曖昧だが、所属していた騎士団でそういった噂を聞いたかもしれない。
「彼らがどうなったか知っているか?」
「いや……。というか、何で捕まったのかもよく知らない」
不意に窓の外に顔を向けたエボルが、そのまま何気ない仕草でジョッキの位置を少しだけずらす。持ち上げようとしてうまくいかなかったのか、そもそも持ち上げる気がなかったのか。その行動自体には特に意味がないと知っている。落ち着かないのだろう。波打つ感情を誤魔化すためになされた何気ない仕草。たったそれだけのことが、次の発言に重みを与える。
「彼らは全員、処刑されたと聞いている」
「処刑?」
何とも不穏な話である。しかし、処刑されるほどの犯罪が行われたはずなのに、その事件の仔細が市井まで下りてきた記憶がない。離宮といえど、王宮でそんな大事件が起きたなら騒ぎになってもおかしくないのに。騎士団でなされていた噂話もその内に立ち消えてしまったはずだ。
「首謀者は赤い壁吊るされたらしい」
「赤い壁……」
エボルが四杯目の酒に口をつける。
「罪名は?」問えば、口腔内の液体をごくりと嚥下して「反逆罪だ」と答える。
「―――――反逆罪?」
互いに声を潜める。途端に、我々が入ってはならない領域に片足を突っ込んでしまったことを意識せざるを得ない。
相棒は再び唇を湿らせてから一度天井を仰ぎ、こちらに向き直る。間を置いたのは、話をすることに覚悟を決めなければならない何かがあるからだ。
「どうした」話しやすいように続きを促せば、エボルは呼吸を整えて、処刑された使用人の一人が姫様付きの侍女だったことを明かす。
なるほど。
姫様の侍女が反逆罪で捕まったのであれば、被害者は恐らく姫様だ。王族である姫様に危害を加えようとしていたなら極刑に処されたのも分かる。
そう呟いた声をしっかり聞き取ったらしいエボルが首を振った。
「表向きはそうだ。どうやら姫様を誘拐しようとしていたらしい」
「表向き? 誘拐? どういうことだ」
やけにもったいぶった話し方をする。いささか苛立った俺の内心を見抜いた男が、この話の本質を見極めるためにはまず、姫様と侍女の関係性から知る必要があると述べる。
「侍女の名をティティーリアという」
ティティーリア? ティティ? どこかで聴いた名だ。思案していると、
「姫様が時々言うからな。ティティが教えてくれたとか、ティティならこう言うとか。ティティに怒られるとか」
そんなに頻繁ではないものの、確かにその名を口にしていたと言う。
再び視線を落とすエボルにつられるようにしてテーブルに並んだ器を見やる。ほとんどの皿が空で、そこに見るべきものなど何もない。パンで掬ったソースの跡が細い線を描きながら、かろうじてその存在を主張している。あるのはそれだけ。そこに何があったなら胸の奥に沈む澱を拭うことができるのか。
「乳母か誰かかと思っていた」
姫様はいつもその名を懐かしそうに、大切そうに呼ぶ。愛しいという想いを言葉にしたならそうなる。心のこもった呼び方だ。だから、よほど親しい人間なのだろうと思っていた。それがまさか罪人だとは、誰が思うだろう。
「トレニ。ティティと呼ばれる人物が乳母であればどれほど良かったか。まぁ、乳母だったとしてもこれほどに惨いことはない。だが、話はそう単純ではない」
「何?」
「姫様とティティーリアは年齢差こそあれど、幼馴染のようなものだった。何年もの間、ほとんどの時間を一緒に過ごしていたようだ」
「そう、なのか。なら、それほど親しかった人間に裏切られたのか。姫様は」
「いや、それも違う」
「違う?」
「侍女が姫様を裏切ったということであれば、割と簡単な話だ。赤い壁に吊るされたことも納得できる。裏切者が罰を受けたのだから。……だが、そうではない。ティティーリアは姫様を守ろうとしたのだ」
「……守る?」
つまり、姫様を宮殿から逃がそうとしたのだという。
「なぜ?」
「お前がそれを聞くのか、トレニ」
「……、」
「ともかく、ティティーリアは他の使用人と結託し、姫様もろとも離宮から逃げ出す計画をたてていたのだ」
「なるほど。それが明るみになったのか」
「そうだ。だからただちに処刑されたんだ。王族の略取、誘拐はそれだけで死罪だからな。弁明の余地はない」
「姫様はそれを知っていたのか?」
「さぁ」
「いや、だが……。知っていたなら、あんな風に名前を呼んだりはしないはずだ」
赤い壁は、王族の不興を買った人間が、みせしめとして吊るされる場所だ。生きたまま吊るされることもあるし、処刑された後に遺体がさらされることもある。
王宮の一番高い塔だが、市井からはよく見えない。距離的に、顔を判別することはできないし、衣服から性別を特定できるくらいか。それもよっぽど目が良い人間の話で、大抵は、かろうじてそこにあるのが人型だと分かるくらいだ。
では、誰に知らしめているのかというと、すなわち宮殿に出入りする者全員だ。
「ところでお前はよく知っているな。さすが諜報員ともいえる」
店員に顔を向けるとそれだけで酒が追加される。「調べるのは得意なんだよ」とエボルは笑った。
「ただ、時間がない。こうしている間にも姫様の処遇が決まってしまうのではないかと気が気じゃないんだ」
「そうだな」
「ガウラル将軍とアイリス将軍だけが頼みの綱だが。アイリス将軍がこちらに帰ってくるのはもっと先になるだろう」
「……将軍、か。さっきのティティーリアの件だが、将軍たちは知っていたのか?」
「もちろん知っていただろうな。姫様のこととなると枝毛の一本まで把握したいだろうから」
「ならば、将軍たちでさえ侍女の処刑を止められなかったことになるな」
「ああ、そうだ」
ということは、仔細を知っているのは宰相、元老院の議長、国王陛下。裁定を下したのも彼らの内のいずれかだろう。王妃陛下は当時既に天界の住人となっていたはずなので、この件には関わっていない。
「他には何を知っている? エボル」
「お前と同じことしか知らないが。お前と同じく気になっていることがある」
「……何だ。言ってみろ」
「第一王女殿下のことだ」
今はもう誰も口にしないその方の名前。確かに存在していたはずなのに、初めから存在していなかったかのように扱われているその人。
「そして、第一王子殿下」
こちらもそうだ。消息不明となったのがいつなのか、誰も知らない。
―――――姫様には元々、姉君と兄君がいた。




