勇者と私 1
三日三晩、高熱に魘されてようやっと目が覚めると、霞んだ視界の向こう側に見覚えのない天井があった。
青空に雲の絵。ここは天国? と、思った瞬間。自分は天国に行けるような存在ではないと思い至り、ここはあくまでも現実世界でしかないと悟る。
高い天井の中心に、青空が描かれているだけだ。
ベッドの周りには四本の柱に支えられた天蓋が下りていて、離宮にある自分の部屋に似ていると思った。けれど、レースの色が違う。カーテンに小さな花が散っていて可愛い。
熱があったというのに、存外、頭の中はすっきりとしていた。
「精神的なものからくる熱だと侍医が」
宮殿から連れてきた侍女のミラが、心配そうにしながらも教えてくれた。足の怪我はさほど重症ではないらしく、そこからくる発熱ではないという。
「もうお熱はなさそうですね」と、額から濡れタオルを外してくれた。それを見ながら、改めて周囲を確認する。
建具がどこか少女趣味なので、知っていなければここがガウラルの屋敷だと言われても信じないだろう。
それをそのまま本人に伝えた。
ベッドサイドに椅子を置いて、あまりにも威風堂々と座っている我が国の将軍が「いつか姫様を引き取るつもりでいたんですよ」と、真面目な顔をして言う。
さらりとなされた告白に面食らいつつも、
「降嫁しない限り、そんなことはできないのではないかしら。それとも、私と結婚するつもりでしたの?」と問うた。
「馬鹿なこと言わないでください」と冷たくあしらわれて、少しがっかりである。
もはや王女ではないとはいえ、馬鹿扱いするとは何事か。女性に対して失礼だ。
これもまた全部、口に出ていたらしく「そういうことじゃないんですよ」と、いつも部屋に控えているらしいトレニが言った。今日も扉の番人をしている。
なら、どういうこと? 訊いたつもりなのに、声が出ていなかったらしい。
後頭部を枕に埋めたままうつらうつらしていると、どのくらい時間が経ったのか「とりあえず、お食事をなさってくださいませんか」と、ミラが盆に載せた軽食を運んできた。
ゆっくり半身を起こすと、膝の上に盆ごと載せられる。その上に、小皿がいくつか行儀よく並んでいた。
体が重い。けれど、眠っている間に足の治療をしてくれたらしく、痛みはだいぶ和らいでいる。掛布をめくって目視したいところだが、食事が邪魔してできない。
「食欲がわかないの」
野菜も果物も食べやすいように小さく切ってあった。パンは牛乳に浸してある。きっと甘くしてあるはず。美味しそう……、ではないが食欲をそそるような匂いもする。
それでも口に入れられる気がしなかった。
一向に手を動かそうとしないものだから焦れたらしい。私の顔を覗き込んできたガウラルが上目遣いで「お願いですから、一口くらい食べてください」と悲しそうにした。確信犯である。同情を誘い、相手を思惑通りに動かす手口だ。
「どうして皆、私の食を気にするのかしら。罪人のお腹の具合なんてどうでもいいでしょう?」
スプーンを持ったまま、ベッドの近くに集まっているかつての従者へ問う。といっても、ミラとガウラル、メイドしかいない。トレニは少し遠かった。
「姫様は、姫様ですよ」と、元の体勢に戻ったガウラルが微笑む。柔和な表情。
「貴方らしくない顔だわ」
あまりに優し気で怖くもある。
それともこれは、高熱のときに見る夢なのかもしれなかった。
これまでの人生で、一番穏やかな時間かもしれない。
「姫様?」
一転して訝し気な顔をする西の将軍。
「―――――アイリスはいないのね」
「はい。あいつは東でのもめごとを諫めているようです。王都にも戻ってきておりません」
「そうなの。陛下が亡くなったというのに、顔も見せないなんて薄情ね」
「……本当に、そんなこと思ってますか? 薄情だと」
今度は、すっと怖い顔になったその人。見慣れている眉間の皺。そうそう、この顔だ。怒っているのか、何か耐え忍んでいるのか判別しずらい。
ただ、将軍はずっとどこか苦し気だった。
「私は王女だもの。いえ、今は元王女なのかしら。娘なのだから、父親である国王陛下の死を悲しまなければおかしいじゃない?」
だから、私に会いに来ないアイリスのことを冷たいと思うのは、間違いじゃないでしょう? 残された家族は哀れなのでは? 普通、そうなんでしょう?
逆に、ガウラルへ問う。
「……、」何か言いたげな顔をしたものの、結局何も言わず口を閉じる。
空気が重くなったかもしれない。ガウラルの、むんと口角を下げた頬に触れると、かさついている。心労がたたっているのではないか。
「ところで結婚式のドレスはどうしたの? 燃やしたのかしら」誰に問うでもなく、ぽんと疑問を投げかければ「とっておいてありますよ。ここにはありませんけど」と、トレニが扉の前に立ったまま答える。
今日はエボルの姿が見えない。別の仕事が入っているのだろう。トレニとエボルは大抵一緒に仕事をこなしているが、時々は別々に動くらしい。
昔、二人はなぜいつも一緒なのか訊いたことがある。
『お互いに監視してるんです!』と爽やかに言われたので、それ以上触れないことにした。
「陛下がいなくなったから王制は廃止されるのではない? だったら近衛騎士はどうなるのかしら……」ふいに頭を掠めたので、特に返答は期待してなかったが呟いてみる。
「王制が廃止になるかは決まっておりません」
すかさず答えをくれたのは将軍だ。
「どうして? 国王はいなくなったし、後継ぎはいないでしょう? ―――――あ、それとも勇者様が国王におなりになる……?」
そんなに深く考えることもなかったか、と手を打とうとして、スプーンを落とす。手に持っていたことすら忘れていた。壁際に立っていたメイドが慌てて拾い上げ、新しいものを盆に載せてくれる。もしものときのために、予備を用意していたらしい。
「私、こういう生活に慣れすぎているから……。きっと、王宮以外では生きていけないわね。……そんな心配しなくても大丈夫かもしれないけれど」
独り言のつもりだったのになぜか返事があった。
「心配せずとも姫様が生活に困るようなことにはなりません」
いいから早く食べてください、と天蓋に隠れてよく見えないだろうに、トレニが遠くから指図してくる。耳もいいが、目もいいらしい。
「確かに。牢に入れば生活の心配はしなくていいわね」
「まだそれ言ってるんですか?!」
離れているし、こちら側からもよく見えないのに今にも突進してきそうな勢いなのは分かる。思わず笑みが零れた。
「冗談なんですか?」
「本気よ」
「どんだけ牢に入りたいんです?」
入りたいのか、入りたくないのかと言われれば、もちろん入りたくない。だから、
「早く沙汰をくだしていただけると助かるわ」
ようやっとスプーンを口に運んだ。本当は全身浴したい気分だったけれど、罪人の自分にそんなことが許されるわけがない。この先、処刑されるまでお湯どころか水すら浴びることができないと覚悟しておかなければ。
死んだら、少しくらいはきれいにしてくれるだろう。と、期待しておく。
つと視線を感じてそちらを見やれば「食事をなさったら湯あみしてくださいね」といいつつも、私の手元に集中しているガウラル。
もしかしたら、今しがた考えていたことが口に出ていたのだろうか。首を傾げていると、勇者様が会いに来られます。と事も無げに教えてくれる。
「そう」軽く頷けば「いいんですか?」と訊かれた。
「いいも何も……、私に選択肢などないでしょう?」と答えれば、また口を噤む。
しばしの間、スプーンと陶器の皿がぶつかる音だけが響いた。視線が痛い。全員の目が私に集中している。
「ねぇ、ガウラル」
「はい」
「陛下がいなくなって少し経ったけれど、我が国はどう?」
「どう、とは?」
「皆、幸せかしら」
「―――――、」この国の西側を守る剛腕の男は虚を突かれたような顔をする。
室内は静まり返っていた。
「まだですよ! まだこの国は混乱しています。これからですからね」
割って入ったのは近衛騎士だ。
「だから姫様には生きていてもらわないと困るんです! すぐに処刑されたがるのはやめてください!」
訓練のごとく声を張り上げる騎士。そんなに大声を出さなくても聞こえている。天井が高いから、声が響くのだ。けれど、彼は四六時中元気で、体力も有り余っているので静かにするように言ったところで効果はない。
そういえば今、何時だろう。大きな窓からは陽が差し込んでいる。眩しい。そこにかかっているカーテンは柔らかな薄紅色だ。陽だまりの落ちている絨毯は繊細な織の花柄。
この広い部屋を、私のために用意していた?
それは一体、いつのことだろう。壁紙もカーテンも飾っている絵画も。どこか少女趣味で。成人女性のためのものとは思えない。
ここは、子供部屋だ。
分かってしまえば考えざるを得ない。自身の失われた子供時代のことが思い起こされる。と、同時に過るのは勇者の顔だ。
ご両親に愛され、大切に育てられたのが分かる子だった。
喜怒哀楽がはっきりとしていて、感情が透けて見えるほどに分かりやすく、食べ物も着るものも、色にすら好き嫌いがあって。それが権利であるかのように、怒れば癇癪を起した。嬉しいことがあれば声をたてて笑い、悲しいことがあれば泣く。
私にはないものを、全て持っていた。
召喚されたときに全てを失ったはずなのに。
何も持っていないはずの彼は、全て持っていた。
「トレニ。私はね、処刑されたいわけじゃないのよ」
「じゃ、何なんですか?」
「ただ、全てを終わりにしたいの」
「―――――全て?」
「そう。全て。今の私は魔王討伐の旅の延長線上にいるの。ずっと続いているのよ。旅に出る前から今もずっとね。……私は、ずっと勇者様のために存在していたようなものなのよ」
「……意味が分かりません。人生とはそういうものでしょう? 生まれたときからずっと地続きでしょう? 道は続く。それが人生だからです!」
「……潔いのね?」
「何がです?」
「生きていることに何の疑問も持っていないから」
「だからどういう意味です? 姫様の話は難しくてよく分かりません」
「―――――おい、そのくらいにしろ。姫様の手が止まっているじゃないか」
私とトレニの話を黙って聞いていたガウラルが、右手を払うようにしてトレニを制する。続けて、中身の減らない器を見た。
「食べてください」
「もう、食べられないわ」
首を振れば、全然召し上がっていないじゃないですか、とスプーンを取り上げられる。そしてそのまま口元に運ばれた。まるで餌付けされるひな鳥だ。
「子供じゃないわ」
「子供です。姫様は」
聖女を殺したなんてホラを吹くし。と、トレニやエボルと同じようなことを言う。
嘘なんてつかないわ、と反論するのに「はいはい」と軽くあしらわれ、再びスプーンを近づけてくる。
食べさせられるくらいなら自分で食べたほうがいい。
そう言って、スプーンを取り戻した。
「疲れるわ」と零せば、こちらのセリフです。とどこからともなく返事がくる。ガウラルとトレニが同時にため息を吐いた。
その後、浴室に連れていかれて、全身を軽く流した。ミラが手伝ってくれたので苦労せずに済んだ。足首には包帯が巻かれているものの腫れはひいている。浴室から出ると、緩んだ包帯を丁寧に巻き直してくれた。優しい手。触れられているだけで心地いい。
どうして、ついてきてくれたんだろう。口から零れそうになった疑問を呑み込む。
「?」視線に気づいた侍女は微笑んだまま首を傾いだ。
「何でもないわ」
「さようでございますか」にこにこと、何だか楽しそう。
用意されていたドレスに袖を通すと、宮殿に置いてあるものとは趣が違うことに気づく。
部屋へ戻ってからガウラルに訊けば、これも前から準備していたという。
「もしかしたら、いつか必要になるかもしれないと思ったので」と。
「貴方―――――。もしかして私の子供服も用意していたんじゃない?」
「そうですね」
あっさりと肯定されて戸惑う。それはつまり、
「私のことをここで育てるつもりだったの?」
「そうですね」
これも、至極当然とでも言いたげな返答だった。
「まさか、そんなことできるはずないじゃない」
笑ってしまう。あまりに荒唐無稽だからだ。
一国の王女を妻として迎え入れるわけではなく、娘として引き取ろうとしていた。
その事実があまりにも可笑しい。
笑いがこみ上げる。なのに、胸が痛む。
離宮で過ごしてきた時間を思い出すから。短くて、でも長すぎる時間だった。
―――――そのとき。
何の前触れもなく部屋の扉が勢いよく開いた。近くにいたトレニには足音が聞こえていたのか、警戒することもなく、素早く横に避けただけだ。
「随分と楽しそうだな」
現れたのは、勇者である。その後ろにエボルが見えた。
「ノックくらいなさってください。勇者様」
苦言を呈しながらもガウラルは席を立ち「私は職務に戻りますよ」と言って私の頭を撫でる。いきなりのことに顔を上げれば、その人はにやりと笑った。
「お子様の姫様ですから、お子様扱いです」
「不敬ですよ! 将軍!」
声を上げたのは言わずもがなトレニである。ふん、と鼻を鳴らした我が国の将軍は、勇者と入れ替わるようにして出て行く。
「いってらっしゃい」と声をかけたが、聞こえなかったのか返事はなかった。
室内に入ってきた勇者はそこで一度立ち止り、ぐるりと室内を見渡している。何か思うところがあったのか、片方の眉をあげて考え込むような素振りを見せた。
ややあって、ソファに座っている私を見やる。
ほぼ一週間ぶりではないだろうか。いや、寝込んでいたからもっと経った?
ともかく、こうして顔を合わせるのは、あの結婚式以来であるから、懐かしいような。あるいは昨日会ったばかりのような不思議な感覚に陥る。
「ごきげんよう、勇者様」
立ち上がろうとして失敗した。「危ないっ」いつからそこに居たのか、寸でのところでエボルが支えてくれる。
「怪我しているんだから無理しないでください」と座るように促された。
「勇者様を前にして座りっぱなしはよくないわ」と言えば「いいんですよ」とすげなく返される。
相手は英雄であり、今は玉座に最も近い人である。私とはもはや住んでいる世界が違う。敬われて当然の方だ。
素直にそう話せば、
「どの口が言っている」と、対面のソファに腰を下ろした勇者様が口の端を歪めて皮肉げに笑う。
今日は、帯剣していない。




