聖女殺害の嫌疑
牢に入らなくてもいいのかと問えば、近衛騎士が首を振る。
「ご自分の身分をお忘れですか? 王女殿下。嫌疑が晴れるまで、ここにいてください」
知っている顔なので、どこか気安い。
「私が王女であることと、聖女様を殺害した犯人だということは関係ないでしょう? 私の身分が何であろうと人殺しは牢に入るべきだし、入れるべきだわ」
よく整えられた皇后のための部屋で嘆く。
本来この部屋には、結婚するまでは入れないはずだった。それなのに、結婚式での一件の後、なぜかここに軟禁されることとなったのだ。
といっても、縄もかけられず、足枷もない。囚人服でもないし、室内で自由に過ごすことを許されている。
これはもしかして、処刑される前の自由時間ということなのか。
「何か不穏なこと考えているでしょう? 違いますよ」
夕闇のような橙に紺の混じった不思議な髪色をしている騎士、トレニが顔の前で手を振った。
「それならば今は、証拠集めをしているところなのね? だとすれば難儀なこと。ちゃんと手順を踏むなんて、おかしな話ね。結婚式であんなことをしたというのに」
「―――――まぁ、それはそうですね」
そもそも国王陛下を王位から引きずり下ろすための正当な手段なんて存在していないようなものだけれど。
「ところで貴方、私と口をきいていいの? こういう場合、一切言葉を交わしてはいけないのではないかしら」
「今更、何を仰ってるんです? これだけ話しておいて?」
「それは、そうだわ」
扉の近くから離れようとしなかったトレニがぼりぼりと頭を掻きながら近づいてくる。それを、ソファに座ったまま眺めた。
傍まで寄るなり、すっと膝をついた彼が視線を合わせてくる。さすが近衛騎士。洗練されているし、絵にもなる。
しばし互いの顔を眺めた後、
「……本当に、聖女様に手をかけたのですか?」
不審そうに問われて、ただ頷いた。
「本当に?」
重ねて訊くので、今度ははっきりと「そうよ。私が弑したの」と答える。すると、やれやれと肩を竦め「どうして、そういう嘘をつくんですかね」と鼻を鳴らす。
「まぁ、」思わず、声が漏れた。そんな風に思われていたとは心外だ。
「トレニが私のことをどう思っているか分からないけれど、私、嘘は嫌いなのよ」
「……、」
「嘘はついていないと誓うわ」
「誰にですか?」
「誰? そうね、神様にでも誓おうかしら。こういうときは何て言ったらいいの? 神に誓って嘘はつかない。とか?」
「……何でですかね。どうしようもなく嘘くさいです」
「失礼ね」
もういいです。と立ち上がったその人が、部屋の隅に控えている侍女を呼び寄せた。何か軽食を用意するように言いつけている。
「何から何まで貴方が仕切るのね?」
「ええ、まぁ。勇者様に言われておりますから」
実に何気なく言われて、ほんの少しだけ胸が痛む。
「あの方は、お元気?」
「元気だと思いますか?」
「ええ。王位簒奪はあの方の悲願だったでしょうから。お喜びになっているのでは?」
「本当に? 本当にそう思ってます? 勇者様をそんな風に思っていたなんて、それが本音だったら俺は失望しますけど」
「そう。それはいいわね」
「……、もう~。何なんですか? 俺に嫌われたほうがいいってことですか?」
幼子みたいに頬を膨らませる様子が可笑しい。彼には人を和ませる才能があるのかもしれない。
「本音では嫌われたくはないわね。ええ、そうだわ。けれどやっぱり……、嫌われたほうがいいかもしれないわ。だって、私が処刑されたら、貴方寂しいでしょう? 悲しみは少ないほうがいいもの」
「はぁ?」
気高き近衛騎士にあるまじき嘆息をしてから「何か人格変わってませんか?」と訊かれる。
「変わったように見えるなら良かったわ。どんな風に見えていたか知らないけれど」
少なくとも、今よりは良い印象を抱いていたらしいことは伝わった。
良かった。聖女らしく振舞えていたということだから。
「先代聖女様がお亡くなりになったのは、魔王討伐の旅に出る直前ですよね? 街で号外が配られていたからよく覚えています」
私とトレニの会話に割って入ったのは、今の今まで腕を組んだまま壁に寄りかかって無言を貫いていたもう一人の近衛騎士エボルである。
「本来なら旅へは先代聖女が同行するはずだった。けれど彼女は長年床に臥せっていて、同行が難しいかもしれないという話がありましたね?」
「そうね。ご年配だったもの」同意して頷く。
「……病でお亡くなりになったのでは?」
話が予想外の方向へ流れて首を傾ぐ。
「どうしてそういうことになるのかしら。違うって言っているのに」
聖女は私がこの手で、息の根を止めた。その瞬間の吐息を、今でもはっきりと覚えている。生ぬるい風。命の欠片を手の平で受け止めて、潰した。
「頑なですね、姫様は」
視界の隅で、扉が開く。ワゴンを転がしてきたメイドが恭しく頭を下げ、テーブルにサンドイッチの並んだ皿を置いていく。美味しそうだ。新鮮な野菜が挟んである。
「少しは食べてくださいよ。朝も召し上がらなかったでしょう」
罪人だというのに、お腹の具合まで気にしてくれるらしい。
「お腹は空いていないのよ」
「いいえ、空いています」
トレニの後ろから顔を覗かせたエボルが言う。青銀の髪が美しいと街でも評判の人だが、目立つのを厭うので日常のほとんどを宮殿で過ごす。休日さえもめったに王宮の敷地から外へは出ない。だから、他の騎士よりもよく顔を知っていた。
「私一人に二人の近衛騎士とは。厳重ね。けれどそもそも、近衛騎士というのは守るのが仕事でしょう? こういうときは傭兵でも雇ったほうがいいのではないかしら。あるいは自警団? とか」
「……何を仰っているのです?」
「逃げ出そうとするかもしれないでしょう?」
「誰がですか?」
「私よ」
「逃げ出すんですか?」
「いいえ」
「逃げないのであれば見張る必要はありませんし、王宮内に傭兵を入れようとするなんて……。どうしましたか」
本当に。貴女は誰なんです? 私たちの知っている王女ではないと、エボルが言った。
「私は、生まれたときからずっと私という人間でしかないし、ここには私しかいないわ。ここにいるのは、先代聖女様を殺害した罪人でしかないの。勘違いしないでちょうだいな」
告げると、合わせたように揃ってため息をついた二人が壁際へ下がる。
まぁ、ゆっくり食べてください。と半ばあきらめたように言われては、黙るしかない。けれど、
「勇者様は聖女様がお好きだったから、泣いたのよ。聖女様がお亡くなりになったとき」ふと思い出したことがあったので、教えてあげた。
「残酷ですね、だとしたら。愛した人が、大切な人を殺害したんですから。まぁ、姫君が人を殺したなんて……、そんなわけないと思ってますけど」と、少し離れたところからトレニが答える。
そうだ。私は、残酷なことをした。
勇者が先代聖女をどれほどに慕っていたか傍で見ていたのに。その人を、勇者様から奪った。そうしなければならなかったから。
「ところでそのドレス。何で飾っているんですか?」
ふと、エボルに問われる。彼の視線を追って、執務机の横を見れば、私と同じ体格のマネキンが確かに純白のドレスを着ていた。大きく広がった腰から下のレースが、父の血液を吸って赤黒く変色している。まだ乾ききっていない。匂いもするようで、近づけば気分が悪くなるような代物だ。
それを、私が飾った。
「血塗れのドレスを飾るなんてどんな趣味なんですか」
離れたはずなのに再び近づいてきて、私の横を通り過ぎ、ドレスに寄るトレニ。
「記念よ」
「記念?」
私と勇者が結婚した記念だ。
結婚式自体は途中で取りやめになったものの、婚姻関係自体は成立している。残念なことに。
私と勇者は正式な夫婦なのである。
そして、このドレスはあの日を象徴するものでもあった。私に向かって振り上げられた剣の切っ先を覚えている。切り裂かれると覚悟したのに、そうはならなかった。
あの剣は結局、国王陛下以外の誰も傷つけなかったのだ。
「死ななかった」
あのとき死んでいれば、私は今後の己の運命を憂うことはなかっただろう。死ねば、全てが無に帰す。だから、あの結婚式も父王が死んだことも気にしなくて済んだはずだ。
だけど、なぜか今もこうして生き残り、息をしている。
そうなるとだんだん、あの結婚式は夢だったのではないかと思えてくるのだ。確かに式の準備をして、ドレスを試着し、体調を整え、自らを磨き上げてあの日を迎えた。そして、この手で誓約書に名前を書き、魔法によって結ばれたというのに。
全てが幻だったかのような気がしてくる。
国王が、首を跳ね飛ばされたことすら。
だから、目に見える形であの結婚式が嘘ではなかったことを証明したいのだ。
それはつまり、王位簒奪の証でもある。
この場において、国王陛下はもうこの世にいないということを、このドレスだけが明示していた。
「死ななかった記念? あんな血生臭い結婚式に着用したドレスを記念とは……。お疲れですか? 姫様」
皮肉めいたトレニの言葉を聞き流す。
「いいじゃない。私が牢屋に入ったら、燃やすなり煮るなり何なりしてもらって結構よ。あのドレスだけじゃないわ。私の持ち物は全て処分してくださいね。何一つ残してはならないわ」
「―――――なぜですか?」
そのとき、ノックもなく部屋の扉が開く。全員の目がそちらへ向いて、トレニが素早い動きで私の前に飛び込み戦闘態勢に入った。エボルが剣の柄を握ったのが見える。
けれども戦闘にはならなかった。
ただちに警戒を解いたのは、入ってきたのが西の将軍だったからである。
なぜ、と問うたのも彼らしい。
「ちょっと将軍! 脅かさないでくださいよ!」
トレニがすっと力を抜いて抗議する。エボルも無言だが言いたいことがあるようで、大柄の闖入者に鋭い視線を向けた。
「少し気を抜きすぎているんじゃないか」それでも、ガウラルは悪びれることはない。「姫様は食事もしてないじゃないか」と顎をしゃくる。
「言っても食べてくださらないんですよ」将軍も言ってくださいよ~と情けない声で訴える近衛騎士を横目に、恐らく己の領地から慌ててやってきただろうその人は大袈裟に肩を竦めた。
「ほんの少しの間、王都から離れたらこれだ。まさか王位簒奪とは、な」
名のある将軍らしく立派な装束に身を包んでいるが、肩からかけたマントは砂埃で黒くくすんでいる。馬に乗って、単独で王都入りしたのだろう。
「ガウラルは無事なのね……」
思わず呟けば、
「残念でしたか?」と苦笑された。
「そんなことはないけれど、国王陛下の腹心ともいえる貴方が、今もこうして宮殿に入ってこれるのを見ると、今回のことは革命というわけではないのね」
「そのようですね」
ガウラルがどこからどこまで知っていて、一体何に関わっているのかは分からないけれど。身の危険を感じることもなく王都に来れるということは、此度のことに無関係とは思えない。勇者の敵であるなら、追われる身となっているはずだからだ。
しかし、そういうわけではないところみると。
「陛下が玉座を奪われること、承知していたのね? ガウラルは」
簒奪に驚いてみせたのも演技かもしれない。
トレニとエボルの様子をみても、彼らが敵対しているとも思えなかった。
「そうであるなら、貴方たちは皆、私の敵ということね」
何だか空しいような気がして、膝の上に肘をつく。その手に顎を載せた。
「私が姫様の敵だったことはありませんし、今後もないと誓いますよ。ただ、―――――」
「ただ?」
「聖女殺害については教えていただかなければ」
「……、」
「なぜ、教えてくれなかったのです? というより、なぜ私はそのことを知らないのでしょう」
貴女様のことであれば何でも知っていると自負しているのに。と続ける。
そのままずんずんと部屋の中央へ進み、私の前に立った。
相変わらず、威圧感を与える人だ。己にたてつく人間に鉄槌をくだし、理不尽な要求には屈しないという印象を与える硬質な雰囲気。それが信頼に値する人間だという気にさせる。見た目の印象というのは、大事だと改めて思う。
だからこそ、私自身も気を付けてきた。
聖女らしく振舞い、聖女らしい衣装をまとい、聖女らしい慈悲を与えてきた。より愛情深く見えるよう。より優しく見えるよう。より儚く見えるよう。
必死に取り繕ってきたのだ。
「貴方にも知らないことがあるのよ。私にも、貴方の知らない部分があるし。けれど、そうね。私たちはきっと、本当はお互いのことを何も知らないのよ」
何だかそれが可笑しくて、吹き出すように笑ってしまう。
「姫?」
子供の頃は、ガウラルとアイリスが私の親であり、世界の中心でもあった。二人に守られていればいつだって安心で、彼らの絶対的な護りの中で作り出された孤城は安全地帯でもあったのだ。
けれど、その牙城はたった数年で崩れた。
思い知らされたのは、私と将軍たちは赤の他人であるということ。
私の父は、国王陛下であり。母は皇后だった。肉親は彼らだけ。
二人とも今はもういない。
「ともかく。これ以上ここにいては姫様の身が危うい。我が家の別邸に移ることとする」
「―――――はぁ?」
返事をしたのは私ではなくトレニである。
「いやいやいや、駄目でしょ? 駄目に決まってるじゃないですか。姫様には今、聖女殺害の嫌疑がかかってるんですよ?!」
引き留めようとする騎士を一瞥して、ガウラルは一切危なげない動作で私を抱き上げる。
「足首をひねっておいでだ」と、辛酸をなめるような顔をした後で「気づかなかったのか?」と誰に問うでもなく、強い口調で宣う。
「痛くなかったですか?」
「……いいえ、」
本当はずきずき痛んで、食欲さえ失うほどだった。どうせ失う命だから、治療したところで何の意味もないと思っていたのだ。
「我慢は美徳ではありませんよ、姫」
扉に向かって歩みを進めるガウラルを制止する声はない。
見れば、トレニとエボルは黙って付き従っている。
「貴方たちついてくるつもり? 勇者様に怒られるのではない?」
「そうですね。仕方ないです」揃って答える二人に首を傾げる。彼らの勇者への忠誠はその程度のものなのだろうか。
「俺たちは勇者様が好きです。救国の英雄ですし。だから彼の理想と信念に賛同し、今回のことに手を貸しましたけど、それだけですよ。別にあの男の従者というわけではないんで」
「……そうなの。それは勇者様が可哀相だわ。一人で泣いてしまうんじゃない?」
「いや、泣かないでしょ。姫様は勇者様のこと幾つだと思ってるんですか?」
「そうね、そうだわ。あの方はもう大人だったんだわ」
「……あのですね、」
更に言い募ろうとするトレニを「おい」とエボルが窘める。
「姫様はお疲れだ。あまり話しかけるな」
同僚に指摘されてすごすごと下がるトレニを視線で追う。やはり子供のようだ。剣の使い手としては国内でも一、二位を争うというのに。
「お前たち二人とももっと離れろ。不敬だぞ」
苦言を呈すガウラルに抱えられたまま廊下に出ると、そこに私付きの侍女が居た。
「……姫様! 良かった、ご無事で」
罪人を軟禁している部屋へは当然、入ることができないので、ここでずっと待っていたのだろう。可哀相なことをした。
「私の邸へ移る。お前もついてこい」
ガウラルが言えば、「は、はいっ」と背筋を伸ばす。こんなにたくさん引き連れて王宮から出れば、問題になるだろう。ただの王女であったときも、ここからは事前の許可なく出られなかった。聖女殺害の罪を負った私が、宮殿から出ることができるなんて。これも、国王陛下がいなくなったからだろうか。
「心配しなくても、あのドレスは後から我が家に持ってこさせますよ」
将軍の厚みのある胸元に寄りかかっていると、優しい声が響く。
「心配していないわ。さっきも言ったけれど、処分してくれて構わないのよ。私の持ち物全て」
「……なぜですか? 大切なものもあるでしょうに」
「ないわ」
「ない?」
「大切なものは何もないの」
「……、」
だって、大切なものは全て失くしたから。
「ガウラル」
「はい」
「……私ね、私、本当は」
「はい」
「とても、疲れているの」
「はい」
「それでね。本当は、ずっと……、疲れ切っていたのよ」
「はい」
だから、早く終わってほしかったの。
何もかも。




