第9話
時間が経つのは早いもので、気がつけば金曜日になっていた。文月との一件も徐々に記憶から薄れかけていた。そして、親父が提示した一週間まで半分を切っている。学校の授業は一切身に入っていなかったが、修行の成果は俺自身にも自覚が出来るほどにはっきりと現れていた。
その証拠に、俺を苦しめていた絵里姉に冷や汗をかかせることに成功している。まだ一太刀を浴びせられていないが、あと少し。そんな手ごたえがあった。確かに俺は、数段は実力が上のはずの従姉を押せている。厳しい表情でずっと見ているだけの親父も唸らせることが出来るはずだ。
しかし、慢心することは出来ない。絵里姉の体力は脳の容量の大半をそこに回したのかと思ってしまうほど無尽蔵だ。日数を重ねれば疲れるだろうから、そこを隙として突くことが出来ると最初考えたのだが、それは甘かった。二日目でわかったが、疲れれば疲れるほど絵里姉は強くなるらしい。おかしな話と俺も思うが、そうでなければ説明がつかないのだ。
だが、その絵里姉を俺が追い詰めている。疲れで弱体化したわけではない、というのは確かだ。俺の実力が、絵里姉を上回り始めたのだ。一度も届いていなかった竹刀が、頬や腰や足を何度も掠めている。
何度も交わされる鍔迫り合い。俺の汗だけが、地面に飛散する。一旦離れ、再度食らいかかる。それを受け止められる。今度は絵里姉が向かってくる。俺はそれを受け止め、引き剥がす。何度も何度も何度も何度も。そのループ。時には不意を打つが察せられ。相手の不意打ちは察知して避ける。繰り返す繰り返す。
そしてついに、そのときがやってきた。俺の力に押され、余裕がなくなってきた彼女の一瞬の隙。俺はそれを見逃さず、突進と共に竹刀を振り下ろした。反射的にそれを受け止めようとしたのだろうが、間に合わない。
俺の竹刀は、絵里姉の首元にあてがわれていた。
「……よし、やっと有効な一太刀を浴びせたぜ、絵里姉」
「あはは、参ったなあ。今日は私が全然ダメだったよ。調子崩したかなあ」
「――いや」一部始終を見ていた親父が、絵里姉の言葉に首を横に振って否定した。「絵里那はいつもと変わらぬ。優也が強くなったのだ。短期間で本当によくやった」
意外だった。親父は中学の頃、鬼のように厳しかった。中学二年のときに全国を制覇したときも褒め言葉を出さずに慢心するなの一言で締めくくるほどには、褒めるとは縁遠い人だったはずだ。その親父から、素直な賞賛が出てくるとは驚かずにはいられない。
いや、驚き以上に、だ。親父が褒めてくれたということは、俺の今の剣術は屍鬼に有効であるという意味合いになる。剣鬼と呼ばれた人物から直々に認められたというわけだ。俺を無力だと罵った、どこぞのエルフの女王様に勝ち誇ってやりたいくらいである。
「それに、間に合ってよかった」
「……間に合って? どういうことだ?」
「一週間とは言ったが――」
俺の家の隣に設置されているやけに広い剣道場には、『質実剛健』と書かれている大きな紙の下に二本の刀が飾られている。親父はそこに向かって歩き、両方とも手に取った。
「今日までに成長が見られなければ……絵里那に一度も有効打を浴びさせられなければ、諦めてもらうつもりだった」
「屍鬼のことをか?」
「そうだ」
約束を破る可能性があったってことか。それは気に食わないが、それでも親父を認められたのだからその可能性は破棄された。喜んでいいのだろう。
親父は手に取った二本の刀のうち、一本を俺に手渡してきた。鞘が黒く、柄が赤、唾が金色。手につかないから金箔ではなさそうだ。言われて鞘から刀を抜くと、吸い込まれそうな銀色の刀身が出てきた。照らされているわけでもないのに、異様に輝いて見える。
「銘は【神威】」
「……かむい?」
「元々は紫音が屍鬼を狩るために使っていた真剣でな」
真剣と聞いて、思わず刀を落としてしまいそうになった。落としたら足にぶっささってしまう、危ない。親父も親父だ。いきなり息子に真剣を持たせるなんて、どうかしているんじゃないだろうか。
慌てふためいた俺以上に、少し離れた位置に座り込んでいる絵里姉が何やら大声を出していた。あれのせいでなおのこと落としそうになったのが促進された、というのは内緒にしておこう。
「俺の持っている方は【金剛】。水無月家に代々伝わる刀だ。色々な歴史を経て、その刀の対となっている。俺と紫音が結婚した際にこうやって同じ場所に納められた」
「……それはいいけどよ、まずだ。いいのか? これはお袋の刀なんだろ? 俺が屍鬼のことに関わることに猛反対してるのに、勝手に持ち出したりしちゃ」
「問題ない」親父は腕を組んでにっこりと笑みを浮かべた。「アイツはそうは言いながらお前の実力を認めている」
いや、実力を認めていることと非日常に身を投げることを認めていることは違うんじゃないだろうか。そんな言葉が喉まで出かかったが、発するのはやめておいた。
この数日間に日本史の授業は何回かあった。母親はあまり俺と視線を合わせようとしてくれなかった。今でも反対なのだろう、それは間違いない。親父もそれはわかりきっているはずなのだが、無視してしまって本当にいいのだろうか。そんな思考がぐるぐる駆け巡ったが、輝く真剣が非日常の味を醸し出していて、余計なことを聞くのをためらわせた。
「それで、わざわざこれを出してきたってことは何か意味があるんだろ。これで屍鬼を倒せってことか」
「そうだ、だがその前に――」
親父は、【金剛】を納めていた真っ白な鞘から刀を抜いた。けたたましい音と共に、赤黒い刀身があらわになる。俺が持っている【神威】とは違って、禍々(まがまが)しさを感じる。
――何故、今抜いたのか。
それを察して、嫌な予感がしてきた。
「お、親父……」
「――その刀で、俺と手合わせしてもらおう」
俺の嫌な予感は、まさにドンピシャだった。




