第8話
――エルフクイーン。
透き通るように美しい文月の出で立ちを、いつだったかそのように形容した奴がいたことを思い出した。なるほど、言い得て妙だ。夕日に照らされて佇む姿は、エルフという比喩に相応しいものだと思う。本来その美しさを殺してしまうはずの無表情っぷりも、極めている彼女には非常にマッチしており、異名の後半である『クイーン』の貫禄を失わずにいる。
だが、俺はこの手の女が苦手だった。女好きが聞いて呆れるかもしれないが、俺が好きな女は小動物チックなものから若干勝気なものまで幅広いはずだった。この女はその範囲内に当てはまらず、かつ何を考えているのかわからない。不気味だった。人間が好きなのであって、人形みたいな奴が好きなわけじゃない。
しかしそんな人形じみたエルフ様が俺にわざわざ話しかけてきてくれたのだ。タイミングの良すぎる登場から察するに、俺が校舎から出てくるのを待っていたようだ。少し前に家の近くで鉢合わせたときに俺のことを意識し始めたとかか? そんなふざけたことを考えて、否定しつつ、それでも文月のことが気に入らないのは変わらないから、とりあえず嫌われることをして追い払おうと試みた。
具体的には、肩に手をかけたのだ。
「ん、どうした文月。ホテル街へのお誘いか?」
俺のニヤケ顔に対して、文月は眉一つ動かさず相変わらずの無表情を浮かべていた。もちろん喜んでくれているはずもなかったが、嫌な様子でもなかった。彼女の心情を敢えて言葉にするのなら『無関心』、これがもっとも近い表現になるのだろう。手を払ってくれるなどのささやかな反抗でもいいので何かしてくれれば察しようもあるのだが、これはむかつく。
セクハラじみた言葉も完全に無視され、文月はやはり感情が一切読み取れない口調で要件を話し始めた。
「紫音先生から聞きました。水無月君、屍鬼のことを知ったんですって?」
「……なんでうちのお袋……つーかお前もやっぱり関わってたんだな。非日常と」
母親と文月に、どのような接点があるのかは無理に聞きだす必要などなかった。屍鬼の名前が出ている以上、俺がまだ見ぬバケモノを介した関係性があるのはわかりきったことだったからだ。俺には教えなかったのに同い年のこの女には相談しているらしい過保護の母親にうんざりしそうになったが、今はその気持ちを無視することにする。
それよりも、この女が俺が思っていた通りの人間であったこと。異質な見た目通り、やはり裏面も異質だったというわけか。口振りからして既に屍鬼と関わったことがあるらしい。俺とこの女、年齢が同じなのに何故こんなにも違うのか。元々イライラしていたが、更に怒りが募ってくる。
「非日常……ですか? 日常ですよ、私にとっては」
「あーそうかい」
握りこぶしに更に力が入っていく。俺がようやく手に入ろうとしているものが、この女には既に持っていて、『日常』と形容できる程度には身を置いているということだ。屍鬼の存在の概念上、決して戦いのベテランというわけでもないだろうが。ああ、ムカつく。
「で、それが何だって言うんだ」
「悪いことは言いません。屍鬼のことは忘れて平穏を生きるべきです」
自然と、俺の腕は文月の顔面を捕捉していた。俺の母親から短気な性質を耳にしていたのか、あるいは武道をやっている者としての長年の経験からか、とにかく文月は俺の不意打ちを予測していたらしい。直線を沿うように飛んでいく俺の腕を左手で払い、そのまま掴んで無力化された。
続け様に俺は二撃目を放つ。空いた左手は文月の腹へ。これも読んでいたのだろうが、俺に危害を加えまいと考えたせいなのだろう、無理な体勢になるのを避けるべく、文月は腹への一撃を防御しなかった。身体をくの字に曲げて、後方の庭というか、草むらに吹き飛ぶ。
ざわ、と周りの空気が一変した。はっとして我に返ると、一連のやりとり――少なくとも俺が文月を殴った瞬間――を見ていた数人の男女が、呆気に取られながら立ち尽くしている。
やっちまった、と思った。確かに俺は文月みたいな女が苦手だし、嫌いだ。しかし女を殴るなんて、どんな事情があってもやってはならないことのはずだった。親からそう教育されたわけじゃない、俺が持っていた信念だ。その信念を、自分で裏切る形になってしまったというのか。
――でも、手ごたえがなさすぎる。
殴ったときにはじーんと痺れるような感覚が手に残るはずなのだが、それが今回ない。思いっきり腹を穿ったのは確かのはずなのだが、手に感触が何も残っていないことがそれを全否定している。
「それでは勝つことが出来ませんよ。相手は倒したと思っても平気で起き上がってくる連中ばかりですからね」
草むらに背中から落ちていた文月は、何事もなかったかのようにむくりと立ち上がった。お腹を痛めている様子はなかった。無表情によるもの、ではない。俺の一撃は、文月にダメージを与えることが叶わなかったということだ。
一体何をした。恨みがましい俺の言葉に、文月は武術の一つで敢えて後方に吹き飛ぶことで衝撃をゼロにする防御術を使用したのだと丁寧にも教えてくれた。スカートや太ももについた草をぱしぱしと払って、先程居た位置に戻ってくる。彼女が無傷だと知ると、ギャラリーも何事もないように散って行った。
「水無月君でも理解したはずですよ。自分がどれだけ無力なのか」
「無力なのはわかってるさ。そのために親父が稽古ををつけてくれている」
「知っていますよ。殺人剣を学んでいるそうですね」
「相手は人じゃないから学んでも意味がない、なんて言わねえよな?」
「まさか」
文月は笑った。しかし、動いたのは口元だけだ。ルビーを思わせるような瞳と目元は、微塵も動いてはいなかった。やはり気味が悪い。
睦月ちゃんには悪いが、こんなのと友達で何が楽しいのだろうか。そんな失礼なことを思わずにはいられないほどだった。
「あなたのいう非日常に身を投じることで、悲しむ者も出てきます。あなたであればそれは理解出来るはずです。それでも身勝手を押し通すつもりですか」
「ハッ。瑞季以上のお節介女がいたとはなぁ。余計なお世話だよエルフクイーン様。そもそも、お前には言われたくないね」
「そうですか」
俺の言葉を肯定も否定もせず、冷たい目を浴びせながら、そのまま校門の方へ文月は歩き始める。
「一つだけ」すれ違う瞬間に、文月の足が止まった。「あなたが望んでいる世界は、あなたが思うような世界ではない。まして、あなたは……私もですが、空想の世界の主人公ではないのです。いずれそれを思い知るでしょう」
それだけ言うと、文月はそのまま行ってしまった。あの女は振り返ることはなかった。
――まるで氷の世界だ。
エルフ女が取り巻いているのは、まさに冷気そのもの。表情の無機質さも、氷をイメージすれば納得だ。ああ、ムカムカする。何を偉そうに説教垂れてくれたんだあの女は。
別に後を追うわけではないが、俺も校門を抜けて帰路に着くことにした。剣を振ってこの怒りを忘れることにしようと考えたのだ。
主人公ではない。あの女は言った。そんなことわかっている。剣で絵里姉に勝てていない現状、うぬぼれなんて生まれるはずもない。それを思い知っているつもりだ。しかし、文月の言葉はその先を見通してのものだったような気がする。占い師か何かか。一体何様のつもりなんだ。
家に着くまで、文月とのやり取りが頭から離れることはなかった。




