第十二話
第11話 聖女の名前
「――リリア」
その名前を見た瞬間。
レオニードは立ち上がった。
「……リリアが?」
地下書庫に、緊張が走る。
アリアナの父親も、マリアも何も言わない。
レオニードは紙を握りしめた。
「これは本当に、リリアの名前なのか?」
父親が首を横に振る。
「まだ分からない」
「だが、書いてある!」
「名前があることと、その者が犯人であることは別だ」
レオニードは黙った。
そうだった。
アリアナ自身が遺した手紙には、はっきり書いてあった。
――リリア様は、何も悪くありません。
――あの方は、何も知らないのです。
「……アリアナは、リリアを庇っていた」
マリアが呟いた。
「なのに、どうして……」
父親は記録をじっと見つめていた。
「一つ、おかしい」
「何が?」
「この紙だ」
父親が紙の端を指でなぞる。
「アリアナが亡くなったのは三日前だ」
「はい」
「だが、この紙に使われているインクは――」
一度、言葉を切る。
「少なくとも十年以上前のものだ」
「……え?」
マリアが目を見開いた。
「そんな……」
父親はさらに続ける。
「つまり、この文章はアリアナの死の直前に書かれたものではない可能性がある」
レオニードは紙を見つめた。
では――
誰が。
いつ。
何のために、この名前を書いたのか。
そのときだった。
「殿下」
王宮の騎士が、再び地下書庫へ入ってきた。
「聖女リリア様から、伝言がございます」
レオニードの表情が変わる。
「リリアから?」
「はい」
騎士は一通の封筒を差し出した。
封蝋には、聖女の紋章。
レオニードが開く。
中には一枚の紙。
『レオニード殿下』
『私は、アリアナ様を殺していません』
レオニードの手が止まった。
続きには――
『そして、私はアリアナ様が何をしようとしていたのかも知りません』
『ですが、一つだけ』
『アリアナ様が亡くなる前夜、私の部屋に来ました』
「……何?」
マリアが息を呑む。
『アリアナ様は私にこう言いました』
『もし私が死んだら、殿下を守って』
『そして――絶対に、黒い指輪を探さないで』
レオニードの顔から血の気が引いた。
黒い指輪。
アリアナが持ち出したもの。
そして、宝物庫から盗まれた指輪。
すべてが繋がっている。
だが、最後の一文を読んだ瞬間――
レオニードは息を止めた。
『殿下には、伝えないでほしいことがあります』
『アリアナ様は、私にこう言いました』
『――私が死んだあと、一番最初に疑われるのはあなたです』
『だから、お願い』
『私を恨まないで』
手紙はそこで終わっていた。
静寂。
やがて、レオニードが呟く。
「……アリアナは、全部分かっていた」
自分が死んだあと。
リリアが疑われることまで。
そして――
それを防ぐための手紙を、死ぬ前にリリアへ託していた。
「でも……」
父親が低い声で言う。
「それなら、なおさらおかしい」
「何がです?」
「アリアナは、なぜリリアに『殿下を守って』と言った?」
誰も答えられなかった。
その瞬間。
レオニードの手元から、一枚の小さな紙片が落ちた。
さっきの黒い記録に挟まっていたものだった。
裏返す。
そこには――
たった一行。
『聖女を守る者こそ、王太子を殺す』
レオニードは紙を握りつぶした。
「……誰なんだ」
その声は、震えていた。
「アリアナをここまで追い詰めたのは――誰なんだ」
そして同じ頃。
王宮の奥深く。
誰もいない部屋で、一人の人物が窓の外を眺めていた。
その手には――
黒い指輪。
「……まだ、見つかっていないのね」
静かな声。
そして、その人物は微笑んだ。
「アリアナ」
「あなたの遺書は――まだ全部、読まれていないようね」




