第8話 一難去って、また
馬車の窓から、流れゆく街の風景を私はジッと眺めていた。
思い返してみても、昨日のティータイムは散々だった。
半年近く、北部で起きた魔物との戦いに出向いていたはずのディオラ殿下が縁談という口実で私の前に突然現れた。
しかし、本当の目的は『ディオラ殿下の命を狙う犯人を探すこと』だった。
メイベル伯爵家の夜会で私の力を知ったらしい。
これほど余計なことに関わったと後悔したのは、今までにあっただろうか。
とはいえ、結果的に私はその依頼を断ることはできなかった。
公に縁談として持ち込んだことで、万が一に殿下が殺されればアルヴェリオ公爵家、ひいては私にも疑いが向きかねないためだ。
いつもなら精霊の声を聞くだけで、ある程度の問題も解決していた。
しかし、今回ばかりはそうはいかない。
あろうことか、精霊たちは森を荒らしたディオラ殿下を恐れ隠れてしまっているのだから。
「——というわけよ、ランス」
「僕がいない間にそんな話が……それにしても許せません、権力を振りかざした横暴じゃないですか」
「そうね、最低最悪の王子よ本当に」
向かいに座るランスが自分のことのように憤慨した。もちろん私にではなく、自分勝手な王子に対してだが。
「それで縁談の話はどうなるのでしょうか? アルヴェリオ公爵には本当のことを……?」
「今は保留ということにすると言っていたわ。本当のことを話しても怒るだろうから、と」
「それはそうでしょう……犯人探しをヴェローナお嬢様に頼むなんて、アルヴェリオ公爵様が知ったら王家との対立は免れませんよ」
協力すると言った以上、今はディオラ殿下が殺されても困る。
「旦那様にもお話していないことを、なぜ私たちにお話を?」と、怪訝な顔で聞いてくるフィオネ。
「だって一人だけで抱えるのは面倒でしょう? あなたたちは信頼してるわ、万が一のことがあったら頼むわね」
「騎士ランスはヴェローナお嬢様に忠誠を。殿下が敵でも果敢に挑むことを約束いたします」
「そういうことじゃないわよ」
そんな自殺行為は望んでいないけれど。
それはさておき、そろそろ目的の場所へ着く頃だろうか。
「ランス、前に来た時こんな暗い路地は入ってなかったわよね?」
「ええ、大通りを進めば着くはずですので……すぐに御者へ確認を——っ!」
そう言ってランスが立ち上がった時。
馬車が突然止まった。勢いよく止まったものだから、私とフィオネは前に投げ出されるような体勢になった。
「大丈夫でしょうか! ヴェローナ様!」
「ええ、私は大丈夫よ。フィオネこそ大丈夫なの?」
「ご心配いただいてありがとうございます。私も大丈夫です」
私たちは二人ともランスに受け止められたおかげで、頭から地面に飛び込むことはなかった。
向かいにランスがいなければ危なかった。
「どうしたんだ! そんな勢いよく止まったらヴェローナお嬢様が——っ、二人とも屈め!」
確認のために改めて前へ体を出したランスは、すぐに焦ったような声を上げた。
その怒声にほとんど反射的に、私とフィオネが腰を曲げた。
すると、一度の瞬きの間に馬車の天井が消え去っていた。
「何が起きたの」
「何者かの魔法によって……おそらく奇襲かと思われます! 御者は僕が見た時にはすでにいませんでした」
それを聞いてすぐに嫌な憶測が頭を過ぎった。
ディオラ殿下の命を狙った人間が馬鹿じゃない限り、公には縁談と言ってもディオラ殿下が私へ接触した理由はおおよそ予想がついたはずだ。
いや、これは確実に私を狙った奇襲だ。
おそらく風魔法によるものだろう。
かろうじて、ランスの声のおかげで私とフィオネは助かったが……私たちと外を隔てるものは綺麗に取り払われてしまった。
「こんな狭くて暗い場所では、いくら剣を振り回しても魔法の速度には追いつけないです。はやくここから離れましょう」
どこからこちらを狙っているのかも分からない。
「ヴェローナお嬢様降りてください!」
「ランス、精霊によるとあっちから狙われているわ」
「精霊様のご加護があらんこと! ——背中は見ておきますので、二人は大通りへ走ってください!」
咄嗟に精霊が相手の場所を教えてくれた。
おかげで、再び魔法が飛んでくる時はランスが対応できた。
「こういう時は本当に役に立つわね」
「ヴェローナ様、私たちを狙っている魔法使いと御者はおそらく別人だと思われます。他の追っ手が来る前に急いでここから離れましょう」
「ええ、そうね」
大通りの光が目前へと差し掛かった時。
目の前に炎の壁が立ち塞がった。
「そんなっ!」
先に悲痛の声をあげたのはランスだった。
精霊はすでに追っ手が来たことを知らせている。
しかも一人ではない。目の前に現れた炎の壁の向こうだけでなく、背後からも複数の気配が迫っていた。
「ランス、もう囲まれているわ」
「何人でしょうか?」
「そうね、少なくとも十人はいるみたい……」
ランスの表情が険しくなった。
精霊に聞けば、敵がどこにいるのかは分かる。
けれど、たとえ居場所がわかったところで私は魔法も剣も使えない。
おそらく相手の多くは魔法使いだ。
ランスは十人を相手に、私とフィオネを守りながら戦わなければならない。
いくらランスの実力を信頼していても、あまりに厳しい状況といえる。
しかし、ランスは自分自身を疑っていなかった。
「僕はまだ諦めていませんよ……ヴェローナお嬢様のことは、命に替えてもお守りいたします」
ランスが剣を構えて、私たちの前に立つ。
そのとき、危険を知らせてくれていた精霊が突然静かになった。
まるで、恐れているものから隠れるように——。




