閑話(アキツグ視点) 西方の姫
西方のエルフォード公爵家から姫を迎える。
その話を聞いたとき、アキツグが最初に思ったのは、ずいぶん遠くから探してきたものだ、ということだった。
『リディア・エルフォード。十八歳。エルフォード公爵の長女』
兄である皇帝から渡された書状には、姫の素性が簡潔に記されていた。
由緒ある公爵家の生まれ。容姿端麗、素行に問題なし。
西方の貴族として十分な教育を受けており、トヨミの言葉もある程度解する。
家柄だけを見れば、皇弟であるアキツグの妃として不足はない。
ただ、一つ。
「祝福?」
聞き慣れない言葉があった。
「西方では、十二になると神から特別な力を授かるそうだ」
「それは便利だな」
「そう単純でもないらしい」
兄は苦笑した。
「姫の祝福は、《終焉》という」
「終焉」
「死に関わる力だそうだ」
「それだけか?」
「それだけだ」
アキツグは書状をもう一度見た。祝福について記されているのは、たった数行。何ができるのか。どのようなときに使うのか。危険はあるのか。肝心なことは何も書かれていない。
「妙だな」
「何がだ」
「娘を異国へ嫁がせるのに、その娘が持つ特殊な力について説明がない」
兄も同じことを考えていたらしい。
「先方に問い合わせるか?」
「いや」
アキツグは書状を置いた。
「本人に聞けばいい」
「気にならないのか。死に関わる力だぞ」
「だから、何をする力なのだ」
「それが分からんと言っている」
「ならば、怖がりようもない」
兄はしばらくアキツグを見ていた。
「お前は昔から、そういうところがあるな」
「どういうところだ」
「いや。姫にはちょうどいいかもしれん」
意味を尋ねたが、兄は答えなかった。
☆
初めて会ったリディア・エルフォードは、書状に記されていたとおりの娘だった。艶のある髪。白い肌。西方の人間らしい、トヨミでは珍しい色の瞳。異国から皇弟妃を迎えるとあって、婚礼の日には多くの者が彼女を一目見ようと集まっていた。美しい姫君だ、と皆が言った。アキツグもそう思った。
ただ、気になったこともある。この姫は、ほとんど顔を上げない。
「リディア・エルフォードにございます」
流暢なトヨミ語だった。少しばかり発音が硬いが、聞き取るのに苦労はない。深く頭を下げる。
「アキツグだ。遠路、よく来てくれた」
「もったいなきお言葉にございます」
顔を上げた。目が合った、と思った次の瞬間には、もう逸らされていた。緊張しているのだろう。故郷を離れ、海を渡り、見知らぬ国の見知らぬ男へ嫁いできたのだ。無理もない。そう思った。
だが、婚礼の間も彼女はずっと同じだった。周囲の人間の動きをよく見ている。誰かが近づけば、わずかに身体を固くする。何かを言われれば、まず相手の顔色を窺ってから答える。一度、慣れない作法を間違えた。
「あ……申し訳ございません」
ひどく青ざめた。
「逆だ」
「え?」
「手が逆だ。それだけだ」
「……はい」
直せば済むことだった。なのに彼女は、その後しばらく手を震わせていた。ずいぶんと失敗を恐れる姫だ。それが、アキツグがリディアに抱いた最初の印象だった。
☆
その理由の一端を知ったのは、婚礼の夜だった。
「あなたは《終焉》という祝福を持つそうだな」
そう尋ねた瞬間、リディアの身体が、目に見えて強張った。アキツグは内心で眉をひそめた。やはり、何かある。
「……はい」
「どのような力だ?」
顔を上げたリディアは、ひどく驚いていた。
「お聞きになっていないのですか?」
「死に関わる力だとは聞いた。だが、それだけだ」
彼女は黙った。そして、膝の上で手を握った。何をそれほど恐れているのか。
「死の際にあるものへ、祝福を与える力だそうです」
「そうか」
やはり、よく分からない。だからアキツグには、それ以上の感想もなかった。
ところが。
「……恐ろしくは、ないのですか」
尋ねてきたのは、リディアのほうだった。
「なぜ?」
本当に分からなかったので尋ね返した。リディアは戸惑った顔をした。
「死に関わる力です」
「人を殺すのか?」
「いいえ」
「寿命を奪う?」
「いいえ」
「では、何を恐れる?」
答えは返ってこなかった。ただ、泣きそうな顔をしている、とアキツグは思った。それ以上は尋ねなかった。本人にも分からないものを、今ここで問い詰めても仕方がない。分からないなら、分かってから考えればいい。そう伝えた。するとリディアは、また驚いた顔をした。この姫は、よく驚く。いや。自分が驚かせているのか。よく分からなかった。
☆
一緒に暮らし始めても、リディアは変わらなかった。礼儀正しい。大人しい。何かを頼めば、必ず「はい」と答える。食べたいものを聞いても、
「皆様と同じもので」
行きたい場所を聞いても、
「アキツグ様のお決めになったところへ」
欲しいものはないかと尋ねても、
「十分にしていただいております」
と答える。最初のうちは、異国へ来たばかりだからだと思っていた。だが、ひと月経ってもあまり変わらない。スズに尋ねたことがある。
「リディアは何か欲しがることがあるか?」
「姫様ですか?」
「ああ」
「そうですねえ……」
スズは真剣に考え込んだ。
「この前、庭に咲いていた花の名前を知りたがっておられました」
「それは欲しいものではない」
「では、特には」
どうしたものか。別に、我儘を言ってほしいわけではない。ただ、あまりにも何も求めないので、かえって落ち着かなかった。そして、ほとんど笑わない。微笑みはする。礼儀として。
だが、楽しそうに笑う姿を、アキツグはまだ見たことがなかった。
☆
それが変わったのが、あの茶碗だった。百年近く使われた茶碗が割れた。
そこから現れた付喪神を、リディアだけが見ることができた。さらに《終焉》の祝福によって、その付喪神を送り出したのだという。
「それは、とても尊い御業ではありませんか」
そう言うと、また驚いた顔をした。
「……尊い?」
なぜそこで驚くのだ。アキツグには、やはり分からなかった。長く働いたものが、その役目を終える。その最後を安らかなものにする。少なくとも、忌み嫌うような力には思えない。そのことを話しているうちに、リディアが自分の過去について少しだけ口にした。
死神令嬢。
そんな名で呼ばれていたという。聞けば聞くほど、アキツグには西方の人間たちの考えのほうが理解できなかった。
「随分と大げさな連中だな」
思ったままを言った。すると。
「……ふふ」
リディアが笑った。アキツグは一瞬、言葉を止めた。初めて見た。礼儀として浮かべる微笑みではない。小さな声を漏らして、本当におかしそうに笑っている。笑うと、ずいぶん印象が違う。そう思った。その後も話をしていると、また笑った。今度は先ほどよりも、はっきりと。
「アキツグ様が、そのような冗談をおっしゃるとは思わなくて」
「冗談ではない」
「では、なおさらおかしいです」
何がおかしいのか、やはり分からない。けれど。まあいいか、とアキツグは思った。リディアはまだ笑っている。このひと月で見たどの顔よりも、その顔のほうがいい。
「……こちらの国は、不思議ですね」
「そうか?」
「ええ」
「では、慣れるといい」
「え?」
「これから長く暮らすのだから」
また、驚いた顔をした。アキツグは庭へ視線を戻した。別段、おかしなことを言ったつもりはない。夫婦になったのだから、これから長く共に暮らす。ただ、それだけの意味だった。
しばらくして、隣から小さな気配がした。見ると、リディアが笑っていた。今度は声を立てずに。アキツグは庭へ目を戻した。
――もっと笑えばいいのに。
ふと、そう思った。
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