祝福の儀
「死にゆくものへ、祝福を与える」
そんな不吉なスキル《終焉》の祝福を授かった公爵令嬢リディアは、《死神令嬢》と呼ばれ忌み嫌われてきた。
やがて厄介払い同然に政略結婚で送り出されたのは、海を越えた東の国。
ところがそこは、長く使われた物には魂が宿ると信じられている国で――。
リディアが《死神令嬢》と呼ばれるようになったきっかけは、十二歳のときだった。王都の大神殿では、十二歳を迎えた貴族の子どもたちに《祝福の儀》が行われる。女神様より授かった特別な力を知る、人生に一度きりの日だ。
「《豊穣》! 素晴らしい。作物の実りを助ける力です」
神官の声に、少年の両親が歓声を上げた。次の少女が授かったのは《清流》。その次は《俊足》。珍しいものでは《炎槍》を授かった少年がいて、神官がその名を読み上げた途端、観覧席からは大きなどよめきが起こった。祝福の名が告げられるたび、子どもたちの未来が一つずつ形を持っていくようだった。
リディアは自分の番を待ちながら、胸を高鳴らせていた。どんな力でもうれしいけれど、できることなら、人の役に立つものがいい。父と母に褒めてもらえるようなものなら、もっといい。珍しい祝福でなくても構わなかった。
「リディア・エルフォード」
「はい」
名前を呼ばれ、教えられたとおりに祭壇の前へ進み出る。何十人もの視線が背中に集まっている気がして、自然と歩幅が小さくなった。決められたとおりの礼をして、鑑定板と呼ばれる白い石板に両手をぺたりと置く。冷たい。しばらくして、板の上に古代文字が浮かび上がった。神官はそれを一瞥すると、黙ってしまった。
「……神官様?」
「もう一度、手を置いていただけますか」
「はい」
一度手を離し、もう一度ぺたりと置く。なにか失敗してしまったのだろうか。そんなはずはないと思いながらも、リディアは指先をきちんと揃えた。やがて、先ほどと同じ文字が現れた。白衣の神官は眉間に皺を寄せて、難しそうな顔をした。
「こんな……」
小さな声だったが、リディアには聞こえた。先ほどまでの胸の高鳴りが、別のものに変わっていく。嬉しいものではないのだ。十二歳のリディアにもそれだけはわかった。ささやくように聞く。
「どうか、しましたでしょうか?」
「いえ。念のため、もう一度」
三度目。 結果は変わらなかった。神官はしばらく鑑定板を睨んでいたが、とうとう顔を上げ、やけっぱちとも取れる声量でこう宣言した。
「リディア・エルフォード嬢の祝福は――《終焉》!」
聞いたことのない名前だった。ざわ、と背後で空気が動いた。先ほど《炎槍》が告げられたときとはどこか違う、驚きというより、戸惑いに満ちた音だった。
「死の際にあるものへ、祝福を与える力とのことです」
しん、と神殿中が静まり返った。死。その言葉だけが、やけに大きく耳に残った。リディアは意味が分からず、神官を見上げた。
「それは……どのようなことができるのですか?」
「私にも、詳しくは」
「治癒の力でしょうか」
「おそらく、違うでしょう」
「では……?」
神官は答えなかった。話は終わりと言わんばかりに手元の名簿に視線を落とし、次の少年の名前を読み上げる。リディアだけが、祭壇の前に取り残されたような気がした。リディアは観覧席を振り返った。きっと父なら、この力が何なのか知っている。そう思った。けれど父と母は不安そうに顔を見合わせているばかりで、リディアとは目が合わなかった。
☆
その日の晩餐は静かだった。いつもなら妹のエミリアが一日の出来事を話し続け、母が「食べながらお話ししないの」とたしなめる。けれど今日は、ナイフと皿が触れ合う音ばかりがやけに鮮明に響いていた。リディアは、昼間の神官の顔を何度も思い返していた。あれは驚きだったのだろうか。それとも、恐れだったのだろうか。
「お姉さま」
九歳のエミリアが、小さな声で呼んだ。
「なあに?」
「お姉さまは、人を殺せるの?」
リディアの手が止まった。
「エミリア!」
母が鋭く叱った。
「だって、死の力なのでしょう?」
「違うわ」
リディアはあわてて言った。自分に言い聞かせるようでもあった。
「神官様も、誰かを殺す力だなんておっしゃっていなかったでしょう?」
「でも、死ぬ人に使うのよね?」
「それは……」
分からない。だから答えられなかった。何ができるかも分からないのに、できないことだけを証明するなんて、十二歳のリディアにはできなかった。エミリアは自分の皿をじっと見た後、その皿を自分のほうへ引き寄せた。
「エミリア?」
「これ、お姉様は触った?」
「え?」
「このお皿」
「触っていないわ」
「本当?」
「ええ」
すると妹は、ほっとしたような顔をした。リディアは胸の奥がちくりと痛んだ。まるで、自分が触れただけで皿にまで何か悪いものが移るような言い方だったから。
「馬鹿なことを言うな」
父が低い声で言った。リディアはほっとして父を見る。父が妹をたしなめてくれるのだと思った。けれど。
「食事中に死などという言葉を口にするものではない」
父はそれだけ言うと、何事もなかったように肉を切り分けた。リディアは視線を自分の皿へ落とした。先ほどの小さな棘が、今度はもっと深く胸に刺さったような気がした。
☆
翌朝。リディアが朝食の席につくと、エミリアは椅子から立ち上がった。
「どうしたの?」
「わたし、こっちで食べる」
そう言って少し離れた席へ移る。母は何も言わなかった。父は新聞を読んでいた。使用人は食べかけの皿やカトラリーを粛々とエミリアの新しい席へ運んだ。誰も止めない。それがいちばん悲しかった。その日から、妹はリディアと同じ卓にはつかなくなった。
☆
誰かを殺す力ではない。寿命を縮める力でもない。それでも、「死」という響きは十二歳の少女を社交界から締め出すには十分だった。最初のうちは、リディアも説明した。《終焉》の祝福に、人を殺める力はありません。死を招く力でもありません。神官様もそのような力だとはおっしゃっていませんでした。なんどもそう言った。けれど、何ができる力なのかと尋ねられると答えられない。そして分からないものほど、人は勝手な想像をするものだった。
「あの方に触れられると寿命が縮むらしいわ」
「飼っていた犬が死んだんですって」
「死ぬ人間が分かるそうよ」
「いいえ。気に入らない相手を呪うのだとか」
噂には尾ひれがついて広まった。リディアが出席した茶会では、隣の椅子だけがいつまでも空いた。ダンスの時間に、彼女に手を差し出す青年はいなかった。幼いころは親しくしていた令嬢でさえ、目が合えば曖昧に微笑み、すぐに別の誰かのところへ行ってしまうようになった。十六歳のころには、《死神令嬢》という呼び名が本人の耳にも届くようになっっていた。そのころには、リディアも訂正しなくなっていた。訂正したところで、誰にも届きはしないからだ。
☆
そして十八歳の春。リディアは父の執務室に呼び出されていた。窓の外では春の花が咲き始めているのに、重たい木製家具に囲まれた室内は薄暗かった。机の上には、一通の書状が置かれている。
「東国へ嫁げ」
「……東国、ですか」
「トヨミを知っているな」
「はい、教養としては」
海を越えた、はるか東にある国トヨミ。服装も、食べるものも違う。信じる神さえも異なる。正式に国交を結んでから十年にもならず、商人たちの間では珍しい陶磁器や絹織物で知られているが、国民にとってはまだ耳馴染みの薄い国だった。もっとも、エルフォード公爵家では、トヨミとの国交が始まったころから子どもたちにも東国語を学ばせていた。交易の拡大を見越した、貴族としての教養の一つだった。
「先方の皇弟殿下が妃を求めている。お前を推薦した」
「……わたくしを?」
「ああ」
公爵令嬢と皇弟。身分だけを見れば、不釣り合いな話ではない。けれど、リディアは自分に縁談が持ち上がるとは思っていなかった。国内にはリディアに縁談を申し込む貴族などいるわけがなく、父も母もリディアの結婚について口にしなくなって久しかった。なぜ、異国の皇弟が。
「先方は、わたくしの祝福についてご存じなのでしょうか」
「トヨミに、我が国の祝福について詳しい者はほとんどいないはずだ」
父の指が、机の上で止まった。つまり、知らせていないのだ。知らないから、嫁げる。リディアは膝の上で指を組んだ。
「拒否することはできますか?」
父は眉をひそめた。
「何を馬鹿なことを」
「失礼いたしました。承知いたしました。」
最初から分かっていたことだ。リディアは頭を下げた。
「出立はひと月後だ」
「はい」
それだけ聞いて、リディアは執務室を辞した。 重い扉を閉じると、廊下で母が待っていた。
「リディア」
「お母様」
母はすでに泣いていた。
「ごめんなさい」
その言葉に、リディアは足を止めた。
「何が、ですか」
「こんな遠いところへ……」
母はそれ以上言えず、ハンカチで目元を押さえた。十二歳の祝福の儀でも、母は泣いていた。あの日リディアは、母が泣くのを見て、自分も泣いた。何か取り返しのつかないことが起きたのだと思った。自分の中に、家族を悲しませる何かが生まれてしまったのだと思った。けれど、十八歳のリディアは泣かなかった。
「お母様」
母の背中に手を伸ばしかける。その瞬間、母の肩がわずかに強張った。ほんのわずかだった。他人であったなら、気づかなかったかもしれない。でもリディアには分かった。その小さな強張りを、これまでにも何度も見てきたからだ。伸ばした手を、そのまま下ろした。
「心配なさらないでください。わたくし、大丈夫ですから」
「リディア……」
母は泣いている。なのに、娘に触れられることは怖いのだ。その矛盾について考えることにも、リディアはもう疲れていた。自室へ戻り、扉を閉める。そこではじめて、リディアは長く息を吐いた。東の国。海を越えた、誰も知らない場所。家族もいない。知り合いもいない。文化も異なる。読み書きはできても、現地の人々とうまく言葉を交わせる保証もない。怖いはずだった。でも。
――ここから出られる。
その考えが浮かんだ瞬間、身体から力が抜けた。死神令嬢を知る者のいない国へ行ける。いちばん大きな気持ちは、不安ではなく安堵だった。誰も自分を知らない場所でなら、もしかしたら、ただのリディアとして生きられるかもしれない。東国がどんな場所なのかも、政略結婚の相手の皇弟についても、文献以上のことは知らない。それでも今は。それだけで、十分だった。
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