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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇とは

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二十 もうひとつの――


 夏の空を立ち上る一筋の煙。

 その根本は山寺の片隅。地蔵と名の彫られていない墓の前であった。

 ほうぼうの欠けた地蔵はおろか首のない物もある地蔵と無縁仏の供養の炎。

 墓の下に埋まった首のない遺体はその更に八千由旬下――争いの絶えることのない苦しみの中にあった。

 灼けるように熱を持った岩の上に座り込み、飛んでくる剣林弾雨の中であっても、

もはや首のないままの奈落に落ちても、そのことを思い起こしてはないはずの笑顔を象ることが出来た。

 それは手に残る――大きな荒波のような刃文を持つ打刀から伝わった感触。するりと抜けていく柔肉の思い出である。


「あんた。毎夜毎夜――いい加減に。あいつが起きちま――」


 道場に入って来た女。派手な女だった。寝起きであろうに目ははっきりとしていて鋭く。寝間着であろうに金襴の入った絢爛な衣。

 大奥でもここまでではあるまいという衣に、出会い頭であったが躊躇うことはなく刀を袈裟に通した。

 一瞬何があったか分からなかったのであろう。目の前にいるのが旦那とも理解していなかったのかもしれない。


「えっ?!」


 呆けた顔をして、自らの豊満な胸を見下ろせば――赤い百足が這いずったような跡が浮かび上がってたたらを踏む。


「ああ、お前じゃない」

「あ? ああぁぁぁっ」

「おおっ、まつぅぅっ! 作太ぁぁっ!」


 背後からの声があると、然全はゆらりよろけた。

 伸びる影が一本――影の主が上段に構えた証。

 後ろに背から倒れるようにして、刀を躱し足元を転げて敵の背後へと回り込んだ。


「――それが煤宮か? 忘れてしもうたか。自ら斬りかかるな、とあれほど師が仰せであったというのに」

「黙れぇっ! 妻を斬られて黙っているなど武士の恥! 坂上の名が廃るわっ!」

「買った名にかぁ?」

「貴様には分からん。名を上げるということの本当の意味は侍でなければなぁ」


 生臭い鉄の匂いの中。行燈一つの薄暗い道場の中。男は二人対峙した。

 軽口のような掛け合いをしながらも目は鋭く。足を止めず、じりじりと摺り足で間合いを図りながら。

 時たま女の呻く声の中、二人の男は対峙していた。


「何故今更なのだ」

「少し考え事をしていてな」

「はっ、禅か? 名を変えたらしいな、結局行きつく先は坊主か」

「お前も変えたと聞いたが」

「貴様とは違う。古来より武士は出家して僧の名を名乗るもの。信玄公しかり」

「なら頭を丸めるがいい。相変わらず半端な奴だ。だから道場も人が集まらない」

「少数精鋭と言え。何しろ侍に教えておるのだ。ゆくゆくは藩の指南役も遠くない」

「お前がか? なら俺は将軍指南役だな」

「軽口をぉぉっ!」


 気合い一閃。上段に構えた一撃。怒りに任せたような。だがそれは考えられた攻撃。

風が吹き、行燈の灯の揺れに合わせた斬撃だったが――遅い。

 少なくとも然全の目には遅い。一歩下がって眼前を通った刀の拵えを見る余裕すらあった。豪華な銀銅の巻かれた蛭巻の数を数えるほどの。


「もはや煤宮は捨てたなら看板を降ろしたらいい」

「ここは煤宮一伝流の道場だ。やり方が違う」

「弱くなっているぞ、お前」

「ふはっ、安い挑発だ。貴様こそなんだその腕は。元より細身であったが、そこまで痩せ衰えてしまうとはな。女を斬るのが精一杯か?」

「試してみたいと?」

「試せるとでも?」

「試し合いで勝ったこともないのにか?」

「手にしたそれは真剣であろう? この道場は煤宮ほど広くはないぞ。逃げ回れると思うな」

「なるほど。地の利か」

「おう。貴様はわざわざ誘いこまれたのよ」

「妻を斬らせるためにか。目の上の瘤だろうからなぁ。入り婿の妻というのは往々にして強いと聞く。『あそこの婿には耐えられなかった』などとまたぞろ嫌な噂が立ちかねんなぁ」

「――よもや、道場の悪評を垂れ流したのは――」

「そうだと言ったら」

「貴様ぁ――」


 怒気満ちる。腹の底から出る声は小さく、しかし響く。大きな息吹となり、ひとつふたつと息を吸い込めば身体は一回りも大きく膨らんで見せた。

 怒りを飲み込み、しかし怒りに任せない。

 冷徹な殺意が選択したのは――納刀。

 刀を銀銅の鞘に納めると腰を落とした。


「見せてくれよう。我が奥義」

「ほう」


 じりと進む。いや、女の血の上をぬると滑るように寄る。

 恐らくはいつもより滑らかな足捌き。いつになく見えづらい接近。気付けば一歩、二歩とにじり寄っている。血を床で拭うようにして寄って来る。

 揺らめく行燈。

 血の跡がなくなるころに、新助はにやりと笑みを零した。


「狭いと言ったぞ」

「何っ」


 背後は壁。更に一歩出た新助。

 絡む視線に熱が籠れば――そこは間合いの内。


「っっおおぁああぁっ!」


 気合いとともに一筋の煌めき。刀は風を呼んだ。強く吹き付ける風に灯は消えさり更には雲までも動かしたのか月も隠れた。

 暗闇の中、響くは女の呻きと金の落ちる音――そして衣擦れに混じった膝を付いた鈍い衝撃音。


「なんだそれは。蚊が止まって見えたぞ。蝉なら小便を掛ける間があった」

「あ、あ、あ、あ、あ、ああぁぁぁ! ゆ、ゆ、ゆ、指! 指がぁぁ」


 膝をついた新助。抑えた右手の薬指と小指は根本から無かった。

 刀を制御するための大事な二本が失われたのだ。


「昔から思っていたが――お前は阿呆だ」

「指、指ぃぃぃっ! おのれぇぇぇ」

「抜き打ちとは何だ? 刀を納めた状態。つまり戦闘態勢にないところから斬りかかられた時の返し技だ。つまり後から打つ技。ならば後の先をとれなければならない。そうでないなら回避せねばならない――故に抜き打ちとは速くなければならない」


 新助を見下ろし、近づく。不用意に無遠慮に進む。もはや刀を満足に振れぬ、新助は下がらざるを得ない。


「だと言うのにお前は――一伝流とか言うのはわざわざ力むと来た。遅い抜刀になんの意味があるのだ? 何を斬るつもりだ? 鉄か? そんな見世物用の技で道場が立ちゆくと思うたか? 浅知恵よ。いっそ憐れだよ」

「おお、おのれぇ。おのれぇぇぇ! 作太ぁぁぁぁっ!」

「ふん、この様なら――何もせずとも道場の先はなかったなぁ」

「貴様ぁぁ! そこまで――この道場が欲しいのか! 最初から逃げねば良かった。それだけで――」


 新助の鋭い眼光を受け流し、俯き肩を震わせた。


「ふっふふ、やはりお前はそれだけなんだな。家名やら道場やら。だというのにその価値すら分かっておらぬと来た」

「俺は道場の主だ! 今や侍だ! 貴様如き山寺の坊主が何を分かった風な――」

「士分なぞお前が買える程度の物。道場なぞお前が主になれた程度の物。己の力で証を立てねば何も価値はない。そんなことに気付けぬから――お前は弱くなり続けている。何も守れることもなく。すべてを失うんだ」

「勝負から降りた貴様が! 俺の立身を妬むだけのお前が何を言う。お前は何かを手に入れたのか!」

「妻だ」

「妻ぁ?」

「そう俺は勝負を降りた。欲すものの価値に見合った自分となるために。俺に剣術は必要なかったからな」

「馬鹿も休み休みいえ。嫁をとって、頭を丸める奴があるか」

「ないな」

「なら――」

「ああ、俺もな妻を斬られておる」

「ああぁっ?」

「ほう、知らんと見える。お前が雇ったあの破落戸だよ」

「な、それは――」


 新助は首を振ろうとするも途中で止まり、目だけが左右に泳いだ。


「ほら、お望み通り連れて来られてやったぞ?」

「私は――私はそんなことは」

「ふふっ、分かってるよ。お前にその度胸はなかろう」

「そうだ。幾らなんでもそこまで――私が、いや私の責――」

「だが、そうなることは考えるべきだった。あんな破落戸が何を為すのか。お前は考えておかねばならなかった。いや、考えたな?」

「違う、違う! 違う違う!」

「いいや、考えた。頭を過ぎったはずだ。分かっていたはずだ」

「そもそも貴様に女など。一度もそんな素振りは――」

「知らぬはお前くらいだ。女の影すら見えておらんかったというならばな」

「ぐっ――ならば。これで満足だろうなっ。妻を奪い。剣術も奪った」

「ああ、お前の指はついでだ。八つ当たりと言っていい」


 あっけらかんと言い放つと、一歩大股で新助に近寄った。もはや新助の後ろはなく、血の海に足を浸け入れ――驚きの声を上げた。


「はぁ?!」

「それは復讐の内ではない」

「我が首までか――」

「ふっ――やはり浅知恵」

「なんだとっ」

「それも違うと言ったんだ」

「なら何を」

「分からんか? いや分からなくて当然だ。愚かなお前にはな」

「何をだ!」

「なぁ、新助。仇討ちとはなんだ?」


 然全は刀を床に立てて、話始める。道場での鍛錬の間の雑談する時のような仕草。それにつられたのか、新助も顔から険が取れていく。


「――仇を討つことであろう」

「討つとは?」

「首をとる――こと」

「違うなぁ。そんな単純であれば、わざわざ聞かぬ」

「ならなんだと言うのだ」

「仇討ちとは報復することをいう」

「だからそれは」

「違うんだ。報復とはやられたことをやり返すということだ」

「やられたことを? だから斬られたから斬り返すのだろうが」

「俺は斬られていない。だから仇であるお前を斬っても、それは仇討ちとならない」

「では――ではまつを斬ったのは――」

「お前の不始末だ」

「おおぉぉ、まつ! まつっ!」


 非業の叫びに応えるように女は呻きをまた漏らす。

 そして戸が開いた。


「はは――うえ?」


 現れたのは幼子――まだ五つの新助の子・新之丞であった。


「おお、新之丞」

「ちちうえ――?」


 何が起きたか理解していない。呆然とした我が子に近寄らんとする新助。その足を無慈悲に然全は斬りつける。転げる新助、立ち上がろうと右手を付くも、欠けた指で身体は保てず顔から突っ伏す。それでも進まんと這いずる姿は健気でもあった。

 が、然全は小首を傾げながら背を突いた。


「ぐっ――し、新之丞ぉっ!」


 首にほど近いところを刺し、引き抜けば血は勢いよく溢れ。まるで昆布でも被ったかのように顔にも垂れた。挙句、口からは血の混じった吐しゃ物。欠けた指を伸ばし息子へと這いずる。妻の血の海を溺れたように藻掻き這いずる様は餓鬼の如く。


「ああ、相応しい姿になったな」


 そう口の端を上げて呟く。姿勢を低くすると、新助の耳元に顔を近づけた。


「あとな――妻の腹には子があった」

「なっ――なっっこ? 故? 子? 孕んでい――はぁっならばっ!」

「安心しろ。子まで斬るほど外道ではない。ただ――子を奪われた。奪い返すが道理だろう? それがやり返すということ。それが仇討ちということ。これがお前の咎に相応しい罰と思わぬか?」

「ち、違うっ。そんな、そんなことはっさせんっ!」

「その様で何が出来るというのだ」


 新助はさらに藻掻いた。手足をばたつかせて、懸命に息子の元へ。だがそうなればそうなるほど恐ろしさは増す。新之丞と呼ばれて子はもはや声も出ず、腰を抜かして座りこむばかり。引きつった顔にははっきりと恐怖が浮かんでいる。


「新之丞っ。おお、新之丞。分かるか。父は――勝てぬ。だがお前がやるのだ。お前はこの男を討たねばならん。父の仇を討たねばならん。でなければ坂上が――新之丞討て――討つのだ。討て――この男を――討て!」


 その言葉は新助の最期の執念を振り絞ったもの。

 その姿を見下ろしながら、然全は身を捩り震える。腹を抱えながら、新助の耳に口を寄せ――呟いた。


「んふ、んふふふっ! やはり、やっぱり愚かだ。なぁ新助。煤宮で何を学んできたのだ? どうしてここまでキクのか? 何故己の子を修羅の道に進ませようとするのか」

「な、な、に――?」

「そんな奴は親ではないと言っているんだ」

「おおおおっ!」

「安心しろ。俺はそんな風にしない。見事俺の子になった暁には、良き生を選べるようにする――ふふっ」

「し、新――っ」

「――ああ、もういい。お前は、もう――」


 然全は刀を刺した。何度も何度も刺した。あらんかぎりの怨念を込めて何度も何度も何度も刺した。新之丞の心に刻みつけるように何度も何度も何度も何度も――


「ははははっあはははっあああはっはっはっはっ!!」


 狂ったように刺したあの感触。

 骨は砕け、筋は断たれ、もはや柔い肉だけを刺し続ける感触が、今も手にあった。

 地獄の底であっても、どんな責め苦を受けても忘れられぬ歓喜の感触。

 それがある限り然全の首がなかろうが、地獄の悪鬼となろうが見える。

 空に浮かぶ大きな丸い満ちた月が――。


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