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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇とは

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十八 かや


 夜の森、女一人。幾ら寺の山とはいえ、常ならば中に入ろうとはしない。幾ら風に吹かれようと。幾ら奥へと導くように一筋の月光が差しこもうとも。こんな刻限に女が一人、森に居れば拐されてもおかしくはないのだから。

 だがしかし、この時ばかりは違った。月明りを頼りに森へ入って行った。久方振りの遠出。男を追って準備もままならぬ旅で、足指に痛みがあっても歩いた。

 懐かしき声のした方へと――


「――あそこかな?」


 古びた朽ち果てた庵を前にして臆病が首を出したが――進んだ。

 少なくとも男の声というのは間違いないというのに――前に出た。

 “聞き違いだったら”と頭に過ぎるが、それよりも声の主に会いたいという気持ちが勝った。

 懐かしき声は窮まった叫びのように聞こえたから。むしろ努めて明るく、軽い調子の声をかけて。冷や汗に濡れる手で、戸を二度叩いた。


「頼もう」

「どなたか?」


――違う。

 聞こえた声とは違う、別の野太い声。

 にわかに走る緊張。

 開かぬ戸が軋み、逃げ出したい気持ちが沸いた。

 が、かやは動かない。息を吸い込み、拳を開き待った。


「迷ったか?」

 

 かやが覚悟を決めたのと同時に、ひっかかりが取れたように戸はするりと開いた。

現れたのは大男。かがまねば戸を潜れぬほどの巨体が壁のように立ち塞がった。


「女子一人? 子を抱えてもおらぬか。こんなところに来るものでないぞ」

「あ、いえ、あの、ここで先刻――」


 声が詰まった。腰も引けた。現れた男の顔の厳めしさたるや鬼か仁王か。格好こそ僧のようであるが、どちらかと問われれば鬼側のそれだ。

 だが下がらなかった。やはり先刻聞いた声は間違いなく懐かしい声だったから。

 かやの目は鬼の如き僧の脇から室内を覗く――と光があった。

 部屋の片隅にぼうと浮かび上がるように光を浴びたもう一人の男――精悍といっていい顔でありつつも、情けなくも見える、もう長いこと見ていなかった、懐かしさのある――顔が目に入った。


「新之丞っ!」


 僧の脇をすり抜けて庵に飛び込む。

 懐かしき男の顔が上がった。目があった。顔が綻ぶ。

 だがそれは一瞬で――。


「あ、あ、ああああぁぁぁぁああ」


 顔を歪めて、声を上げた。情けなくも絶望的な。

 かやにも聞いたことのない声だった。


「新之丞?」

「ああ、ああぁぁっっ! 何故だ――何故――遅かったというのか」

「どうしたの? 何がそんなに――」

「駄目だ駄目だ。討っただろうっ討ったじゃないかっ! どうして――どうして!」

「ねぇ新之丞。こっちを――」

「そうだ。そうだった。ああ、そうだったのだ。最初から私を――私が狙いだった」


 話が通じない。こちらを見もしないで怯えたように震える新之丞。

 かやには分からなかった。 

 何故最初に目を合わせた時にあんな悲しそうな顔をしたのか。

 そもそもここで何をしているのか。

 何も分からなかった。

 ただ新之丞が悲し気で怒りに満ちているということだけ。まじまじと見ていることしか出来なかった。怪我か病か。何かあるのではと。


「もっと早くこうしておけば――っ!」

「――駄目っ」


 だから新之丞の鍛えられた動きにすら反応出来た。もはや躊躇うことない新之丞の振り上げた右腕。握られた短刀の下にぶつけるようにして身体を滑りこませた。


「何故邪魔を――私がねらっ――」


 やはり新之丞である。近くでみればやはり見知った、ともに育った男。

 だからこそ怒りも沸いた。何故にこのようなことをしようとしたのかも。その理由を今日ここに至ってなお、自分に教えもしていないことも。久方振りにあったというのにまったく会話すらしないことも。

 もはや遠慮はなく。実に五日振りに男の頬を思い切り張った。


「馬鹿。あんた何をするつもりだったの」

「えっ――痛い」

「痛くしたんだから当然でしょう。それより何。こんなところで腹を切ろうだなんて。一体何があったのよ」

「かや?」

「見て分からないの? あんたが帰って来なかったからでしょ。もう一発張るわよ」

「――生きて――る?」

「もう新之丞。ちょっとさっきからなんなの? 会わない内に話が出来なくなった? 見ればわかるでしょ足だってついてるし」

「――なんで?」

「そりゃ――まあ、首を刎ねられてもおかしくないことしたけどってもう聞いたの? 恥ずかしいなぁ」

「え、何をだ?」

「若様の頬を張って。尻を蹴っ飛ばした話」

「頬を――? はは――そうか。尻を。奉公先の?」

「針子としてよ。お母様に仕込まれたんだから。そこんとこあのバカ様も分かってなかったようだけど。まさかあんたも?」

「はは、確かにかやだ。変わってない。無事ならいいんだ。良かった――」

「まあ育つ歳じゃあるまし。でも、あんたは大きくなったわね。お祖父様のとこのは皆そうらしいけど。何食ったらそんなになるの――」

「本当に――よかっ――あぁっ」


 新之丞の体は震えた。大きな体、鍛えた体であったが実に頼りない。俯き加減で、陰鬱な表情を浮かべて、目には隈。それは初めて会った頃のように思えて――

 何故、新之丞が自らを殺傷せしめなければならないかの理由に思い当たった。


「また――眠れてないのね」

「あぁ」


 呻くだけ――だけどもこれは肯定だった。

 だからかやは新之丞の俯いた頭に手を置いた。もっともあの頃と違い大きく強い。軽い抵抗もあり、半ば掴むようにして強引に膝に置いた。

『何があったの?』

『仇討ちは終わったんでしょう?』

『最初から人を斬るなんて出来るわけないのに――』

 色々言いたい言葉は浮かんだけれど、口を衝いたのは一つの言葉。


「――大丈夫」


 子供の頃、熱に浮かされたように呻いていた時のように。頭を撫ぜて声を掛けた。

 撫ぜれば強張りが取れ、呼吸も落ち着いて行く。


「ごほん」

「わっ、お坊様。そういやいらっしゃいましたね」

「すまんすまん。邪魔をするつもりは無かったのだがな。どうにも埃っぽくてなぁ。ああ、そのままでいいぞ。娘よ。新之丞と旧知の仲ということでいいのだな? 色男が居ったからそのような真似に至ったわけではあるまい?」


 大きな僧はどかっと座る。最初見た時より大分柔らかい表情である。もはや鬼とは呼べない。仁王ですらないどこかひょうきんな顔に見えた。


「あ、申し遅れました。私、天水屋のかやであります」

「ああ、そうか」

「ご存知ですか?」

「まあ、少しはな。新之丞は――もう祓えたか?」

「――はい」

「女子かぁ。愚禿らには救えぬわけだ」

「なんの話?」

「何、後で教えて貰うといい。さて、もう遅い。お主とて女子を連れて歩かんほうが良かろう。しばらく――いやここは好きに使うといい」

「ですが宥仁殿。ここは寺の――」

「そうですよ。見たところ立派な衣ですし。ここの寺の方ではないですよね?」

「今はな。だがここの出でな、ここは愚禿が建てた庵だ。だから好きに使ってよい。見た通りこの様である。朽ちるだけの庵よ。近寄ることもなかろう。何をしていても邪魔は入らんよ。ガハハ!」

「もう、お坊様ったら」

「といっても、新之丞――お主には気分が悪いやもしれんがな」

「いえ、ありがたく」

「うむ、では――達者でな。いや末永く仲良く、か。ガハハ」

「もう――でも宥仁様はどうなさるので?」

「ん? 愚禿は寺に戻る。禮裕様にちゃんと挨拶せねばなるまい。それに例え凶賊が現れたとて愚禿は狙わんよ。ガハハ」

「確かに。最初鬼かと思いましたよ」

「ガハハ、よく言われるわ――ではな新之丞。それと――」

「かやに」

「おおそうだった。二人とも息災でな」


 立ち上がる宥仁に合わせて新之丞も身体を起こした。

 見送り――ではなく、止まったまま新之丞は手を顎に当てる。 

 何かを考える。悩んでいる仕草。それに迷っている。思っていることを出来ないでいる時の顔だ。


「言っていいんじゃない?」

「うむ、宥仁殿っ」

「ん、まだ何か」

「然全の最期の言葉を――」

「聞かせて――くれると言うのか?」

「――恐らくは宥仁殿に向けた言葉でした」

「そうか。愚禿に」

「はい『月が綺麗だ』と」

「そうかぁ」


 溜息混じり。宥仁は天を仰ぎ見て、両手で顔を覆った。


「そうか、そうか」


 そのまま振り返ることなく、戸を締めることも忘れ、宥仁は歩いて行く。


「良かった――良かったなぁ――良かった」


 月の下。巨体を揺らしながら老僧は去って行く。

 いつまでも『良かった』という声が庵に響いていた。




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