十五 食働き
半身、右手に刀――いつもの構えで新之丞は待つ。
じっと立って待てば焦燥に押されて克士郎が打って出る。
「ちっ、見せてくれるんじゃなかったの――かっ!」
嵐のように迫り、雷の如く斬り下ろす。
「どうした、手が出ぬの――か!」
襲い来ては、戻り、また襲い来る。
並みの腕なら砕けているだろう強烈な連撃。
それでも新之丞の作り上げた強靭な右腕は受け続けていた。
「奥義とは亀になって守ること――かっ!」
一度目より、二度目より、段々と新之丞には余裕が出て来ていた。
徹底して三連撃、必ず上から下へ流れ落ちる。
速さには目が慣れるが、力は慣れることはない。
身に付いた肉、積み重ねた鍛錬――行った修行の成果が花開きつつあった。
それは弟子入り適う一五歳の正月のこと。祝いもそこそこに師に直談判をする。
師は呆れ顔で「ま、良かろう」と承諾した。
「ではまずは――」
「掃除ですね」
「なんと知っておったか――ああ、松原の入れ知恵かのう」
ぼやく師の察しの通り、二人は松原に話を聞いていた。
特に新之丞は”これ以上剣術にのめり込むのを良しと思っていないのでは”と疑念も持っていた。そのため事前に松原に相談を持ち掛けていた。
その答えが『渋るなら掃除でもして生活を共にする覚悟を示せば落ちる』である。
「よし、行くぞ新之丞!」
「おう!」
あらかじめ用意していた水桶と雑巾と箒を持って勢いよく掃除を始める。
まずは庭を掃き、道場を拭く。ついで廊下を拭きつつ師匠の部屋。兄弟子の部屋、そして自分たちが住むことになる部屋を掃いて拭く。
何れも狭く、大した物もなく殺風景。それでも終わった頃には暗くなっていた。
今日は入門を認められる日。
だから思ってもみなかった。
これが修行だとは考えもしなかった。
「お―終わったか。二人とも」
「はい!」
「飯か?」
「飯だろ!」
道場に戻ると師と兄弟子は中庭の焚火の前。
味噌の香りが立つ鍋を火に掛けていた。
新之丞も伝助も待ちに待った時間である。一五を目前に控えた二人が昼からずっと働き通し、腹が減ったどころではない。
「腹が減ったろう。食事にするかの」
「やったぁ!」
裸足のまま飛び出した。火の熱も気にせず、鍋に齧りつきそうになりながら座る。
「ほっほっ、それほどか」
眉尻を下げた師は、手で松原に合図。新之丞と伝助の元に木の椀が先に来た。
目の前には湯気を立てた白飯と味噌香る汁。
空腹にもっとも効く組み合わせだ。今すぐかぶり付きたい衝動に駆られる。だが、今は弟子。涎を垂らしながら、辛うじて踏みとどまった。
「なんという顔しておる。食らって良いぞ」
「えっ――ただきますっ!」
言うが早いか新之丞と伝助は我先にと椀にかぶり付く。
白米は口中にたまった唾のお陰で飲むようにするする喉を通っていく。
そして次は汁を口に掻き込む。一度に口一杯何の具かも見ることもなく。
「うぼぉほっ、げほっ」
その良く分からない具が口に入ると、味噌の香りの奥から現れたのは強烈な臭気。酸っぱいような苦いような鼻を付く臭み。味噌の塩気とは違う、粘つく嫌味のある味は飲み込むことを許さぬ匂いであった。
「――げ、げっぶっ――く、臭い――です」
「これ松原ぁ! やはり味噌が足らんではないか」
「えー? そ、そうですか。え、そこまで? 吐くほどか新之丞?」
「も、申し訳ありません」
「いやよい、松原が悪い。最初なのだからと多めにと言ったろうが」
「いやーははは、いつの間にか慣れてしまったのですなー。伝助はどうだ?」
「おへはひへるへほは」
「飲み込んでから喋らんか」
「――んぐ。ふぃ、俺は行けるっす。ちょっと臭い肉だなってくらいで」
「肉、これが肉なんだ――?」
「薬喰いしたことなかったっけ?」
「薬ってこんなのか――?」
臭く硬く筋張ったそれは”薬”と呼ぶに相応しいと思った。が、同時にこんなものが商売足り得るのかと疑問にも思った。
「まあこれは臭せえよ? 薬より、どん漬けとかより」
「ほう、伝助詳しいな」
「へへ、それでこの臭いの何なんですか? モミジ? カシワ?」
「今日のは狸だ。どれ――」
兄弟子は上品に椀を持ち、端で肉を口に含む。
「む、確かに匂うか」
「しかし何故狸なのだ。鹿とか、ウサギとかあろう?」
「師匠。この辺りにそんな獣もう居やーしませんよ。前に取りつくしたと。ですから野菜も分けて貰えるわけで。味噌だってタダじゃないんですからね」
「う、うむ。確かにそうじゃが」
「――えーと、これは兄弟子が取って来たのですか?」
「そりゃそーよ。買えと言われてもそこまで懐に余裕はないからな」
「俺らのために――」
弟子入りの日。少しでも豪勢な食事をと思っての兄弟子の心遣い。
と思っていた新之丞。伝助も同じ気持ちでしんみりとした笑顔だった。
が、しかし兄弟子と師はきょとんとした顔。
「いやお主らも取るんだぞ。これからは」
「ええぇ?」
「最初から猪や鹿や熊を取れとは言わん。兎――も最初は無理じゃろうな。となればやはり狸となろうなぁ」
「そうですなー。狸は何故か動かなくなることがありますからな。今からでも取ってこれるんじゃないか? 二人とも」
「うむ、なれば早く狸汁に慣れねばのう」
と言って新たに汁がよそわれた。
「いや、しかし――」
「好き嫌いは良くないな新之丞」
「おまっ、伝助は食えるからってさ」
「いやだから俺でも臭いって。でも食える。なんなら不味いけど」
「そうだ――えっ? 不味いのか?」
「まあ狸は不味いのう」
「えー師匠まで?」
「ふっ、吐き出すほどではないがな」
「うっ」
「いいから食べなさい新之丞」
項垂れながら椀に浮かぶ黒い肉をじっと見つめた。
そもそも美味い不味いの問題ではなく、これは肉である。
「のう新之丞や。神仏の罰を恐れているのではなかろうな?」
「え、罰が怖いのかよ。そんな信心深かったっけ?」
伝助の疑問の通り、新之丞は信心深くはない。
ただ殺生してまで食らうというのに、必然を感じない。
「はっは、罰が当たるならば武士の世は滅んでおるのう。公方様とて鷹狩をなさる。それに昔から坂東の武者と言えば肉を食らっておったようだしの」
「神仏を恐れてないのでしょうか? 戦の前には祈願をするというのに」
「そうだな。そこが農民と武士を分け隔てる物であろうな。戦のために祈願をする。その手のまま獣を切り裂き肉を食らう。何故か分かるか?」
「怖くないから――でしょうか?」
「それだけではないな」
煙る炎の向こうで師は首を横に振った。
であるなら分からない――と放心する新之丞に横から伝助が口を出す。
「我がままだから!」
「我がままって――」
「でも神頼みしてるのに、神様が駄目って言ってることをやるんだ。我がままだろ? 言うことを聞いてくれ、でもお前のは聞かないって!」
「はっは、確かにそうだな。伝助の言う通り。勝つためならどこまででもわがままになれるからだ。神に頼むのも戦に勝つため、神の禁忌に触れるのもまた勝つため」
「肉が――ですか?」
「そうだ」
「何故ですか? 何故そこまで肉を」
厳しい目つきが新之丞を射貫いた。
助けを求めた兄弟子も同様の目で突き放される。
「農民を飛び越え、武士になるためぞ」
「――どういうこと、でしょうか?」
「ふむ、松原」
呼ばれた兄弟子は立ち上がった。
いつものように歩きながら、火の周り、三人の背後を大きく回りながら語った。
「煤宮は元は山間の村が発祥というのは聞いたな? その村が野伏の集団に襲われ、それから守るために生まれた技と」
「はい」
「ならおかしいと思わなかったか? 村を守らねばならないのに逃げ回るのは? 口で相手をつり出しても逃げるだけでは村は滅ぶと」
「そういや、そうっすね」
「逃げて敵を寄せるのはな、生き残るための術。生き残って逃げるだけのな。まずは
逃げてでも生き延びねば村を守れぬ。だがそれは入門、入口に過ぎない」
「では――」
「勿論、殺す技もある。襲い来る相手を打ち倒さねば何も守れないからな。そのためには喰らうことだ」
兄弟子は汁から肉を取り出し喰らって見せた。
「師が言った通りだ。武士になるためだ。まずは相手と同じ土俵に立たねばならぬ」
「肉を食らえば武士になれるならやります。けどなんで肉なんです」
「武士と農民を分かつものは何だ」
「刀――武器を持っている」
「違うな。単純にここが違う」
兄弟子は身の丈六尺近い身体の、腕の筋を山のように興して見せる。
「まだちと細いがのぉ」
師も同様、兄弟子よりは少し小さいとはいえ、周りから見れば頭一つ近く大きく。だが身体の太さは一回りは太く、鍛え抜かれたというに相応しい肉体である。
「はは、精進致します。特に坂東武者は強いとされる。今の武士より身の丈大きいとも言われている」
「肉を喰らうからのう」
「じゃあ――食べれば大きくなる」
自らの細腕、幾ら修行しても老いた師に追いつかない身体。
その理由に答えが出た。
「そうだ。相手が大きく強いなら自分もそうなれば良い。この単純な道理が私の胸を打ったのだ」
「そうだ。仮にお主らが儂より優れた技を持とうが、今の体躯では勝てぬのだ。技が立っても身体が付いてこねば強くはない。身体があれば少々の技の不足は補える。だから食らえ。薬を食らって身体を大きくしろ。獣を食らって獣の肉を付けよ」
「身体が大きくなれば――強くなる」
もはや黒く臭い肉は輝きすら放つよう。
飲み下せなかった臭みも、糧ならばむしろ芳しい香気。
「食らえ。これは煤宮にて敵を討つ者に与えられた修行――食働きと言う」
もはや罰も、臭いも恐れず喰らい付き噛みしめ飲みこんだ。




