020:エピローグ
馬車が止まった。
エドウィン・シルベリアは、窓の覆いを上げ、外を見た。
グランツフェルトの門。見覚えのある石積みの門柱。
だが、記憶の中にある姿よりも、どこかくすんで見えた。
帝都デュランシアから、馬車で五日。
呼び戻しの書状は、家宰ジルクからのものだった。
『ラドリック・シルベリアは、決闘法違反により拘束。至急帰還されたし』
エドウィンは、帝都の寄宿先で書状を受け取り、すぐに出立した。
着の身着のまま、上級官吏試験の教材などは置いてきた。
馬車を降りる。土と草の香りがした。
数年ぶりの故郷だったが、懐かしさは感じない。
父と共に帝都へ移住してから、十年以上経っている。
シルベリアにいた期間よりも、帝都の方が長いのだ。
門番の衛兵が、エドウィンを見た。
警戒している様子が窺える。
「エドウィン・シルベリアです。ジルク殿からの召喚状により、参上いたしました」
衛兵が頷いて、もう一人の同僚を館へと走らせた。
ジルクに確認するためだろう。そのために、名前を出したのだ。
帝都では、上級官吏の試験に向けて、勉学に勤しんでいた。
「官吏になって、帝都に人脈を作れ。それがお前の役目だ」と、父ラドリックは言った。
そこに、親子の情愛は感じられなかったが、エドウィンにとっては渡りに船だった。
権力、金、女。そういったものに執着する人間は、父も含めて、たくさん見てきた。
醜いと思った。
勉学が好きという訳でもなかったが、社交の場に引き出されて、虚栄の片棒を担がされるよりは、はるかにマシだった。
中級官吏の試験に合格し、実務を経験し、上級官吏の試験資格を得た。
あと一年。次の上級官吏試験に合格することができれば――。
館の方から、グレーテが歩いてきた。
最年長の侍女。エドウィンのことも、幼い頃から知っている。
「お帰りなさいませ、エドウィン様」
声は穏やかだったが、目の下には、うっすらと隈があった。
この数日間、館の切り盛りで、あまり眠れていないのだろう。
「状況を教えてください」
グレーテは頷いた。歩きながら、話を聴く。
二度にわたる決闘法の違反。さらには、審判の買収。
代理決闘者のバニエルと父ラドリックは、拘束されているとのことだった。
「父は、どこに?」
「地下の監獄です。身柄の引き渡しは、帝都からの使者を待つことになります」
「……暴れましたか」
グレーテは、少し俯いてから言った。
「……拘束の際は、かなり」
想像はつく。喚き、叫び、罵り、最後には泣いたのだろう。
父の醜態を、グレーテは目にしたのだ。
伯爵館の中に入った。
執務室の前で、エドウィンは足を止めた。
扉が開いている。中は暗かった。窓の覆いが閉じたままだ。
埃の匂い。インクの匂い。書類の匂い。帳簿が机の上に散乱している。
棚から引き出された契約書の束が、床に落ちたまま放置されている。
インク壺が倒れた痕跡がある。黒い染みが、帳簿の表紙を汚していた。
父が暴れた時に崩れたのだろう。
拾おうとして、革張りの黒い椅子が目に入った。
父ラドリックが、この椅子に座っていたのは、たったの二ヶ月に過ぎない。
「ようやく私の番だ」という手紙を受け取った日のことが、遠い昔のように思える。
散乱した書類を拾い上げる。
父からの手紙には、巡礼祭やマギテクスとの取引のことが、得意気に書かれていた。
はっきり言って、シルベリア伯爵家の収入では、分不相応だと思っていた。
だが、止めなかった。止めたところで無意味だ。
周囲の人に、どう見られているか。貴族としての面子ばかりを気にしている人だった。
窓の帳を外す。西日が差し込み、執務室が赤く染まった。
古くて小さい闘技場が目に入る。
帝都のそれと比べたら、惨めと言わざるを得ないみすぼらしさだ。
帝都では、第四世代の霊装具が店頭に並び、銀級のスキルカードを日常の護身用に持ち歩く者さえいる。ここでは、第二世代の篭手ひとつが贅沢品だ。
あそこで、従姉妹が勝ったのだ。
リンカ・シルベリア。伯父ジェラルドの一人娘。
彼女は覚えていないだろうが、幼少の頃に一度だけ会ったことがある。
紫色の大きな瞳が、印象に残っていた。
道理では、説明がつかなかった。
第四世代の霊装具で武装した勇者を相手に、鋼の剣で勝つ。
しかも、黒級のスキルカードさえ破ったという。
窓の外の闘技場を見た。地面の焼け跡は、観客席の石段にまで達している。
見たかったと、エドウィンは思った。
まずは、この散乱した契約書と請求書を掻き集めて精査し、ジルクに報告する。
それが今、自分にできることだ。
しかし、その先はどうする。
ラドリックの息子を信用しない理由はあれど、信用する理由は、どこにもない。
エドウィンは、思索の海に沈みながらも、書類を集める手が止まることはなかった。




