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夢のあと  作者: 緋桜
番外編 或る侍女の永日
85/114

E.C.1010.08-4


 前回更新分と同日付で、第二章のレオンとローズマリーの出逢いのすぐあとに入るお話です。



「もう我慢できません!どうして姫様がこのような仕打ちを受けなくてはならないのですか!!」

「深い傷もありませんし、この薬を塗っていただければ数日でよくなりますわ」

「ありがとうございます。レディー・クラリス」

「とんでもないことですわ。それにしても、王女殿下のお肌は色白でキメも細やかでいらっしゃいますね。羨ましいかぎりですわ」

「そんな……」

「もう!聞いていらっしゃいますか!?」


 部屋の中に流れる穏やかな空気に、たまらずセシルは声を荒らげる。

 和やかに話していたローズマリーと薬師のレディー・クラリス――クラリス=アッシェンは、二人そろってきょとんとした表情でセシルを見た。


「どうしたの、セシル。そんな大声出して」

「どうしたもこうしたもありませんよ!姫様は腹が立たないんですか!?何ですあの言い方!無礼にもほどがあります!挙句あんな乱暴までされて!騎士姫だか何だか知りませんけどね、とんだじゃじゃ馬ですよ!ただの暴力皇女です!」

「まぁ、セシルったら。ダメよ、皇女殿下に対してそんな言い方。レディー・クラリスたちもいらっしゃるのよ。

 レディー・クラリス、リリーさん、それからミアさんも。どうか今のは聞かなかったことにしてくださいね」

「姫様!」


 穏やかなローズマリーとは反対に、セシルは怒りが収まらない。

 怪我をしたローズマリー自身がけろりとしていることも気に入らない。

 どうしてローズマリーは自分のことにはこんなにも無頓着なのか。セシルはもっと、主に自分のことを大切にしてほしいのに。


 アデルバートの部屋の前で遭遇した皇女のキャロライナに一方的に罵倒され首飾りを奪いとられたローズマリーは、投げ捨てられた首飾りを無事回収したのち自室へと戻った。

 皇女によって無理やり首飾りを引きちぎられたせい、それから茂みの中を走ったせいでローズマリーの首や頬には裂傷ができてしまっていた。

 少女らしい健やかな肌に痕が残るなんてことあってはならない。

 卒倒しかけたセシルはリリーに支えられて何とか気を持ち直し、薬師を部屋に呼んだ。

 その薬師が今ここでローズマリーと談笑しているクラリスだ。


 シルバーブロンドの髪の色のせいかどこか冷やかな印象のあるクラリスは、けれど話してみると意外にも気さくな女性だった。

 貴族女性らしい口調ものんびりとしていて、こんなおっとりとしたお嬢さんがどうして薬師をしているのかますますわからない。

 わかったところでセシルには関係のないことなのだけれど。


「もういいじゃないセシル。こうして首飾りも無事見つかったのだから」


 そう言ってローズマリーは留め具の壊れた首飾りをそっと撫でる。


 アデルバートから贈られたその首飾りがローズマリーにとって何より大切なものだということは知っている。

 けれど自身が傷付くことよりも「たかが首飾り」を優先するローズマリーに、言いようのない不満ばかりが募っていく。


「第二皇子殿下には感謝しなくてはいけないわね」

「あら。第二皇子殿下にお会いになられたんですか?」

「えぇ。首飾りを拾ってくださったんです。近くでお顔を拝見するのは初めてですけれど、とても愛らしい方でしたわ。でもアデルさまにはあまり似ていらっしゃらないんですね」

「第二皇子殿下は御母堂の第二皇妃殿下にうりふたつですからね」

「……第二皇妃殿下に……」


 クラリスの言葉に、首飾りを撫でていたローズマリーの手が止まる。


 第二皇妃と言えば「太陽の女神」と謳われたほどの美女で、既に故人でありながら今なお皇帝の最愛の寵妃と言われているらしい。

 また何より、幼き日のアデルバートの初恋の女性でもある。


 その第二皇妃の忘れ形見である第二皇子のレオンハルトもまた、息を呑むほど美しかった。

 アデルバートの幻想めいた美しさや皇女の鮮烈な美貌とも違う。

 太陽の光を集めたような金の髪と澄み渡る夏空に似た蒼の瞳。

 光の中に立つ少年は、もしも天使が見えるのならこんな姿をしているのでは、と思えるほど愛らしく、何かとても神聖なものにさえ思えた。


「……では……本当にお美しい御方だったのですね……」

「姫様?」


 紅を差さずとも紅い唇から零れ落ちた呟きをセシルが聞き咎めると、ローズマリーはハッとしたように自らの口を片手で覆った。

 「失言」と言わんばかりの反応だ。


「確かに第二皇妃殿下は大変お美しい御方でしたけれど、王女殿下だってと――っても可愛らしいと思いますわよ」


 くすくすと小さな笑みを滲ませてのクラリスの言葉に、ローズマリーの顔が一瞬で朱に染まる。

 褒められたことに対する恥じらいではないことくらいは、セシルにもすぐにわかった。


「な、べ、何をおっしゃるの、レディー・クラリス。わたくしは、別に、そんな……」

「あら、違いました?」

「え、お姫サマってばヤキモチ妬いてんの?やだー。かーわーいーいー」

「もう……っ。リリーさんまで……っ。からかわないでください……」


 リリーにとどめを刺され、ローズマリーは両手で顔を覆う。

 今日も今日とてセシルの主は愛らしい。

 それにしても、どうしてアデルバートの初恋をクラリスまで知っているのだろう。


「そんな初恋って言っても、子どもの頃の話でしょ。気にすることないって。確かに皇太子サマの兄バカっぷりは異常だけど」


 当然のように事情を知っているらしいリリーが言う。

 もしかしたら皇太子の初恋はセイレーヌ中の人間が知っているのかもしれない。


「リリー」

「だってホントのことだもん。大体皇太子サマが甘やかすから弟も妹もつけあがるんじゃん。特に皇女サマとか、初めて会ったときから超怖いの。『平民のブンザイでお兄様に近付くな~っ』とか、は?ブンザイって何?どーゆー意味?ってカンジなんだけど。子どものくせに難しい言葉使うとか超生意気じゃない?」

「……」


 まさか本人にそれを言っていないだろうなと心配になるも、さすがにリリーもそこまで怖い物知らずではないと思いたい。

 まぁ、そんな発言をあの皇女が許すとは思えないから、今ここでリリーが無事でいるということが、心の内に留めているという証なのだろうけれど。


 とは言え、セシルもリリーの意見には概ね賛成だ。いくら帝国の姫と属国の王女では皇女の方が身分が上と言っても、出会い頭にあのように罵られる謂れなど無い。

 また、将来的なこと(・・・・・・)を考えても、皇女の態度は到底看過できるものではない。


「……姫様。今回のこと、皇太子殿下にきちんとご報告されますよね?」

「……え?」


 セシルが尋ねると、ローズマリーは不自然に目を逸らした。

 この国に来た当初はあまり感情を表に出さず「人形姫」などと揶揄されていたが、セシルにしてみればローズマリーは十分わかりやすい。

 大人びていても、まだ十四歳なのだ。


「姫様!まさかご報告されないつもりじゃないですよね!?いけませんよ!この間お約束したでしょう!今度と言う今度はきっちりご報告なさってください!」

「……あまり大事にはしたくないの」

「もう十分大事ですよ!?姫様、怪我させられたんですよ!?下手したら外交問題ですよ!?」

「まぁ、セシルったら。おおげさね」

「~~~姫様!!」


 窘めるように微笑むローズマリーに、ますます苛立ちが募っていく。

 悪いのは向こうなのに、どうして自分が諌められなくてはいけないのか。

 否、それよりもやはり、セシルの大事な主を傷付けられたことがどうしても許せない。

 その密告相手が当の皇女の兄だということも、己の無力さを想い知らされるようでますます悔しい。

 セシルは誰よりも主のことを大切に想っているのに、ローズマリーのためにいつも何もできない。


「でもさー、皇女サマの癇癪?ちょっとヤバくない?このままほっといたらもっととんでもないことしでかしそうだし、マジで一回ガツンと言ってもらった方がよくない?」

「……それは……」

「そうですね。過ちだと教え、正しい方へと導くこともまた年長者の務めだと思いますわ」

「……」


 おそらくはセシルたちよりも皇女の「横暴」をよく知るリリーとクラリスに言われ、けれどローズマリーはそれでも頷こうとしない。

 元々頑固なところはあったが、いったい何が主をここまで頑なにしているのか。


「っていうかさ、お姫サマはどうしてそんなに皇太子サマに知られたくないの?」


 ティーテーブルに用意されたカヌレに手を伸ばしながらリリーが問う。

 こういうとき、リリーの率直さが羨ましい。


 長いまつげを軽く伏せ、リリーの視線から逃げるようローズマリーは視線を落とす。

 躊躇うように震える唇は、しばらくの沈黙のあとそっと開かれた。


「……だって……言っても、アデルさまを困らせてしまうだけですもの」

「『困らせる』?」

「アデルさまは妹君のことをとても大切に想っていらっしゃるんですもの。……わたくしのことなんかよりも、ずっと」

「そんなこと……」


 ない、とすぐに否定することができなかった。

 セシルには、アデルバートの考えていることなど少しもわからないのだから。


 アデルバートは、優しい。


 多少無神経で素直すぎるところもあるが、基本的には聡明で心優しく慈愛に満ちた完璧な皇太子だ。

 ローズマリーのことも常に気遣い、心を配り、労わってくれる。

 ローズマリーの話に耳を傾け、ローズマリーと一緒に花を愛で、ローズマリーの歩調に合わせて隣を歩いてくれる。


 けれどそれだけだ。

 アデルバートがローズマリーのことをどう思っているのか、本当のところはまるでわからない。


 だってアデルバートは、誰にでも優しい。

 リリーが新しい髪飾りを付けていたら「よく似合っているね」と褒め、「レベッカの淹れてくれたお茶が一番美味しいな」と労い、侍従の誕生日にはプレゼントを贈り、近衛騎士のフェリックスには「私の騎士は君しか考えられない」などとのたまう。

 城の使用人たちの名前もすべて覚えていて、高齢の庭師にはいたわりの言葉をかけ街に行くとみやげにと侍女たちへ菓子を振る舞い、愛馬のブラッシングも自ら行う。


 美しく完璧な皇太子の慈愛は、皆に等しく降り注ぐ。ローズマリーが特別なわけではない。


 むしろアデルバートはローズマリーに対してどこか一線引いているように見える。

 ローズマリーがアデルバートを愛称で呼ぶようになってもアデルバートはローズマリーを「姫君」と呼ぶし、エスコートのために手に触れることはあっても必要以上の接触はしない。

 楽しげに談笑しているかと思えばどこか物憂げな表情を見せることもある。

 どうしてアデルバートがそんな表情をするのか、何を考えているのか、セシルには少しもわからない。


 それはローズマリーも同じなのか、優しくされるたび、甘い言葉をかけられるたびにローズマリーの頬は上気する一方で、長いまつげは切なげに震える。

 想うひとの心がわからなくて、アメジストの瞳は不安に揺れる。


 アデルバートの言動に一喜一憂する主のことが、セシルは不憫でならなかった。


「アデルさまがわたくしによくしてくださるのは、わたくしがアメジアの王女だからよ。『国賓』として、丁重に扱ってくださるだけ。それなのに皇女殿下との間に行き違いがあったなんて知っても、困らせるだけだわ。

 ……これ以上、アデルさまに御負担をかけたくないの」

「そんなことありません!殿下は王女殿下のことをとても大切に想ってらっしゃいます!!」

「ミ……ミアさん……?」


 それまで大人しく給仕をしていた侍女のミアが急に声を上げる。

 皇太子付侍女という肩書で離宮にいるものの、最近は専らローズマリーの身の周りのことをしてくれているミアは、確か「王女殿下を応援し隊」の隊員でもある。


「王女殿下とお約束されているときは前々日からソワソワ楽しみにされていますし、御公務でお忙しくてご夕食を一緒にできないときは何かやる気が出ないって駄々捏ねられますし、三日に一度は王女殿下が夢に出てこられるそうです!」

「そ……そうなの……?」

「そうです!あと寝込んでらっしゃるときは『姫君はお元気にされてるのかな……』ってしきりに様子を訊かれます。元気が無いのはご自分の方なのに、何おっしゃってんだろこの人って正直思います!何か王女殿下がこちらにいらしてから、殿下は若干アホ……じゃない、子ども……無邪気……とにかく何かこう、楽しそうです!」

「今アホって言いかけた?むしろ言った?」

「言ってません!」


 誰がどう聞いてもわかる嘘を押し通すつもりのミアの勢いに、セシルは若干引きつらせる。

 初めて知る皇太子の一面に驚くよりも、侍女がそんなこと暴露して大丈夫かと心配にもなる。多分大丈夫ではないだろう。


 だがミアの言っていることが本当なのだとしたら、アデルバートの考えていることがますますわからない。

 どうしてローズマリーに対し曖昧な態度をとるのか。


「つまりですね、殿下は王女殿下のこと、すっごくすきです!」

「そーゆー話だったっけ……?」

「あとでエイミス嬢からお説教ですね」

「……だったら余計に、アデルさまにはお伝えするべきではないわ」


 ミアの暴露を聞いてなおローズマリーは首を縦に振ろうとしない。

 意固地になっているわけではない。

 興奮気味のミアとは対照的に、どこまでも冷静だ。


「もしもミアさんの言うようにアデルさまがわたくしのことを大事に考えてくださっているのなら、皇女殿下との間でますます板挟みになってしまうもの」

「……姫様……」

「ねぇ、お願いセシル。アデルさまにはお伝えしないで。もうこんなことが起きないように、ご滞在の間は皇女殿下の目に触れないよう気を付けるから」

「……どうして姫様がコソコソしなくてはいけないのですか」


 悪いのは、すべて向こうなのに。ローズマリーは何も悪くないのに。


「……だってわたくしは、『敗国の人形姫』だから」


 ローズマリーの言葉に夏だというのに部屋の中の空気がシン……と冷えたような気がした。

 一方で、セシルは怒りで頭がどうにかなりそうだった。腹の底から煮えるような怒りが湧いてきた。

 許せないと思った。

 こんなことをローズマリーに言わせた皇女を――セシル自身を。


「忘れていたの。アデルさまが、あまりにもお優しいから。皆さまがよくしてくださるから……」

「王女殿下、それは……」

「わかっています。……わかっているんです」


 瞠目するセシルから目を逸らし、ローズマリーは壊れた首飾りを再び撫でる。

 白い掌の中で輝くアメジストは、怖いくらいに美しかった。


 セイレーヌで過ごす日々は穏やかで――穏やかすぎて、次第に考えなくなっていた。

 どうしてこの国に来たのか、何のために皇太子(アデルバート)の傍にいるのか。


 アデルバートの隣で年頃の少女らしく頬を染めるローズマリーを見るうちに、この国に来てよかったのかもしれない、とさえ思うようになっていった。

 このまま何もかも忘れてただの男女としてアデルバートと未来を築くことも悪くない。

 それでローズマリーが幸せならばかまなわないと。


 けれど結局、忘れられるわけないのだ。


 少なくとも、王女として生まれ、育ち、生きてきたローズマリーには。


「もう忘れないから。自分の立場も、役目も……」

「姫様……」

「だからどうかもう一度だけ、わたくしの我儘を聞いてちょうだい」


 お願いよ、セシル、と。


 切々と訴えてくる主の願いを切り捨てることなど、セシルにはできるはずがなかった。



【本編には出てこなかった設定】


 今話中に「ローズマリーよりキャリーの方が身分が上」とありますが、作中での身分順は


皇帝>同盟国の君主≧帝国の皇族>属国の君主≧同盟国の王族

   ≧帝国の上位貴族(皇・公・侯)>属国の王族≧同盟国の貴族

        ≧帝国の伯爵家>属国の貴族≧帝国の下位貴族(子爵以下)


 です。


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