E.C.1010.08-2
前回更新分から一週間後、第二章でのレオンとローズマリーの出逢いの直前のお話です。
「王女殿下、冷たいフルーツティーをご用意致しましょうか」
「いいえ……」
「何か果物でも召しあがりますか?氷菓子も御座いますよ」
「ありがとうございます……」
皇太子付侍女たちの言葉に珍しくおざなりに答えるローズマリーは、そわそわと落ち着きなくしきりに扉の向こうを気にしていた。
今ローズマリーが座っているのはアデルバートの私室のソファーで、扉一枚隔てた向こうには寝室がある。
本来ならばありえない状況だが、冷静さを欠いたローズマリーはその異常さを失念している。
侍女たちも、ローズマリーの心痛を慮ってか誰も指摘しない。
祈るように扉を見つめるローズマリーを、ただ見守る。
どれほどそうしていただろう。ふいに扉が開き、ローズマリーは弾かれたように立ち上がる。
そして中から出てきた人物、リリーに駆け寄った。
「リリーさん……っ。アデルさまの御容態は……っ」
「落ち着いて、大丈夫だから」
「でも……っ」
「軽い貧血よ。もう目を覚ましたし、あと半刻くらい横になってれば動けるようになるって。とは言え昨日から微熱があったみたい。もう今日は寝てた方がいいって」
「そうですか……」
「大丈夫よ。御師様が気付薬も解熱剤もばっちり作ってくれたし。寝てればすぐよくなるわ」
明るく言うリリーに反し、ローズマリーの表情は暗いままだ。
困ったようにリリーがセシルに視線を向けるも、こればかりはどうしようもない。
黙って首を振ると、睨まれた。なぜ。
アデルバートの管理する離宮に彼の弟妹が訪れて一週間ほどが経ったある日。
弟妹達と遠駆けの約束をしていたアデルバートは、遠駆け用の馬の様子を見るため厩を訪れていた。
そして倒れた。ローズマリーの目の前で。
付き添っていた近衛騎士により速やかに部屋に運ばれ侍医が呼ばれ城下から薬師が呼ばれ事なきを得たようだが、その間ローズマリーはずっと蒼い顔をしてアデルバートの無事を祈っていた。
アデルバートの身体が丈夫ではなく、しょっちゅう寝込んでいることは知っていたが、目の前で倒れられたのは初めてで、酷く動揺していた。
一方でアデルバートに仕える侍女は慣れているのか対応は素早く、薬師の助手として登城したリリーでさえも落ち着いたものだった。
「大丈夫よ。意識もはっきりしてたし、むしろお姫サマのこと心配してたわよ」
「わたくしの……?」
「『見苦しいところを見せてしまった。不快にさせてはいないだろうか』って」
「そのようなこと……ッ」
「ほんと。皇太子サマってば呆れるくらいお姫サマのことばっかね」
肩を竦めたリリーはローズマリーの手を引きソファーまで誘導する。
座りなさいよ、とやけに馴れ馴れしい口調だが、セシルが口を挟む間もなくローズマリーはリリーの言葉に従った。
「詳しいことはあたしもわかんないけど、とにかく大丈夫よ。うちの御師様はすごい薬師なんだから」
「……女性の薬師の方にお会いするのは初めてで、驚きましたわ」
リリーが「師」と仰ぐ薬師であり孤児院の院長でもあるクラリス=アッシェンは、シルバーブロンドの髪と翠の眸をした美しい女性だった。
歳は二十歳ほどにも三十を越えているようにも見え、美しいけれどどこか冷たい印象のある人だと思った。
「レディー・クラリスは皇太子殿下の遠縁にあたる御方です。確か正妃殿下の従叔母でいらっしゃるとか……」
皇太子付の侍女が口を挟む。
本来ならば主不在とは言え高位の者の許し無く発言するなどありえないが、離宮に滞在して半年以上、ローズマリーやセシルは侍女たちともすっかり打ち解けていた。
「そう言われると正妃殿下に少し似てらっしゃる気も……」
「ということは皇爵家と縁続きの家の御令嬢ということでしょう?そんな御方がどうしてこんな所で薬師などされていらっしゃるんでしょうか」
「噂では神父様と駆け落ちなさったとか」
「まぁ、ロマンス小説みたい!本当のところはどうなの?リリー」
まだ年若い侍女たちは喜々としてリリーに詰め寄る。
年頃の女性が寄れば色恋の話に花が咲くのはどこの国でも同じのようだが、それにしても皇太子が倒れたというのに呑気すぎやしないか、この侍女たちは。
それとも、彼女たちにまったく危機感が無いのはそれほどまでにアデルバートが倒れることが日常と化している、ということだろうか。
「貴女たち、何を無駄話しているの」
「エイミス様!」
「やばっ、ごめんなさい!」
アデルバートの寝室から出てきたレベッカに睨まれ、侍女たちは慌ててリリーから離れた。
「エイミスさま、アデルさまは……」
「先程お休みになられました。王女殿下、恐れ入りますが一度お部屋にお戻りいただけますか?また目を覚まされたらお呼びいたしますので」
「……はい……」
諭すように言われ、ローズマリーは何か言いたげに唇を動かすも、結局は頷いた。
ここにいてもできることなどないということは、ローズマリーにだってわかっているはずだ。
それでも傍にいたい。
けれどそれは、わがままでしかない。
聞き分けのよすぎるローズマリーは、レベッカに従うしかなかった。
「ねぇ、レベッカさん。御師様はまだかかりそう?」
「レディー・クラリスはまだドクターとお話があるそうです」
「ふぅん。じゃぁあたしもお姫サマのとこ行こっかな。本物のお姫様の部屋、どんな感じか見てみたい」
「貴女ねぇ、ちょっと図々しい……」
「かまいませんわ、リリーさん。特に面白い物は御座いませんけれど、それでもよろしければ」
「わーい。じゃぁ御師様に伝えてくるね」
「はい」
うきうきと寝室の方へと消えるリリーを何とも言えない気分で見送る。
彼女がアデルバートの寝室に気軽に出入りできるのは「未婚の淑女」としてカウントされてないから、だとわかってはいるものの、釈然としない。
こんなにも心配しているローズマリーを差し置いてなぜ、と、考えても仕方ないことを思ってしまう。
「エイミスさま、リリーさんが戻ったら先に戻っているとお伝えいただけますか」
「かしこまりました」
「行きましょう、セシル。おもてなしの準備をしなくちゃ」
「……あの人にそんな必要あります?」
「もう、セシルったら」
小さく微笑むローズマリーは先程までの悲愴な表情からほんの少し顔色がよくなった気がする。
言葉遣いは粗野だが天真爛漫で朗らかなリリーは、いるだけでその場の雰囲気を明るくすることは否定できない。
無神経な発言が多くなぜかセシルに対しての当たりは強いが、同い年ということもあってかローズマリーとは仲良くしているようだ。
孤児院を訪ねたときも二人でよく談笑していた。
セシルとしてはもう少しローズマリーに対して敬意をもって接してほしいのだが。
平民とはいえ、むしろだからこそいろいろと弁えるべきだ。
などと考えながら部屋を出たセシルは、思わず息を呑む。
アデルバートの部屋の前に、第一皇女のキャロライナが立っていたからだ。
先日会ったときと同様緋色の髪を高く結い、濃紺の乗馬服を纏う姿は凛々しいというほかない。
だがセシルたちに――ローズマリーに向けられた眼差しは、どこまでも険しい。
「こ……うじょ……殿下……」
「……どうして貴女がお兄様のお部屋から出てくるのですか」
低く押し殺したように問う声は、震えていた。
目の覚めるような美しい貌も、いっそ蒼い。
「図々しくもお兄様のお部屋にまで入るなど……何のつもりですか。まさか病のお兄様を害そうなどと……」
「ご……誤解です皇女殿下。わたくしはただ、アデルさまのことが心配で……」
「……ッ」
もしも眼差しに物理的な力が宿るとしたら、きっとこの瞬間皇女はローズマリーを射殺していただろう。
そう思えるほど、皇女の瞳には激しい怒りと憎悪が宿っていた。
碧い瞳の奥に揺らめく焔のような怒りを感じ、セシルは声も出せない。
美しい人間の怒った顔はこんなにも恐ろしいのかと、初めて知った。
「お兄様のお名前を気安く口にするな!!」
「―――ッ」
「思い上がるなよ人質風情が!貴様のような女がお兄様のお傍にいることさえ汚らわしい……ッ。これ見よがしにそんなものまでつけて、何のつもりだ!!」
「痛……ッ」
まるで野生の獣のような身のこなしで一瞬にして間合いを詰めた皇女は、ローズマリーの首から首飾りを毟り取り再び離れる。
首飾りの留め具が千切れ、痛みにローズマリーが声を漏らす。
セシルが、皇女の侍女たちが息を呑む中、アデルバートから贈られたアメジストの首飾りは留め具と幾つかのダイヤを撒き散らしながら皇女によって窓の外へと放り投げられた。
制止する間もない、一瞬の出来事だった。
「な……何をなさるのです!?」
皇女の突然の暴挙にセシルは思わず声を上げた。
「皇女殿下といえど、されていいこととならぬことがありましょう!あれは皇太子殿下が姫様へ贈られた物です!それをこのような無体な真似、皇太子殿下がお許しになるはず……ッ」
「うるさい!」
「―――ッ」
たった十歳の少女の剣幕に、身の竦む思いがした。
これが皇族――人の上に立つ者の圧なのか。
セシルを一喝した皇女は、けれど碧の双眸はローズマリーへと向けられたままだ。
何がそんなに気に入らないのか。何が皇女の気に障ったのか。
射殺さんばかりにローズマリーのことを睨みつけていた。
「お兄様がお優しいからといって勘違いするな!貴様など、所詮敗国の王女だろう!民を、国を売って生きながらえた王の娘が!」
「……ッ」
「貴様は我らに生かされているだけだ!そのことを忘れるな……ッ」
どうして、こんな少女にそんなことを言われなくてはいけないのか。
ただ皇帝の娘として生まれてきただけなのに。
ローズマリーがこの娘に何をしたというのか。何の権利があってここまでローズマリーを侮辱するのか。
許せないと思った。
ローズマリーから、アメジアから何もかもを奪った皇帝の娘であるこの少女のことを。
「―――何を騒いでいらっしゃるのです」
扉が開き、中からレベッカが出てきた。皇女の侍女たちが気まずげに顔を逸らす。
一連の皇女の暴挙をさすがにまずいと思っているのだろう。
「皇女殿下、いかがなさいましたか。皇太子殿下が中にいらっしゃるとご存知のうえでこのように騒いでいらっしゃるのですか」
「……お兄様のお見舞いに伺っただけだ。それをその方に邪魔された」
「な……ッ」
「先程も、レオン兄様がいらっしゃったのに追い返されたらしいな。王女殿下はどのような目論見があってわたくしたちの邪魔をなさるのか」
「い……言いがかりです!」
第二皇子が訪ねてきていたことなど知らないし、今の状況だって絡んできたのは皇女の方だ。
「ブライトナー嬢。口をお慎みなさい」
「ですが……ッ」
「王女殿下。今の皇女殿下の御言葉は……」
セシルを窘め、ローズマリーを問い質そうとしたレベッカは言葉を止める。
瑠璃色の双眸は、ローズマリーの首元に注がれていた。
それは先程の皇女の暴挙の痕跡だ。
「どうされました、王女殿下。首元が赤く……」
「……ッ失礼いたします……ッ」
「!?姫様!?」
レベッカの指摘を受け、ローズマリーは弾かれたように走り出す。
初めて見た。
ローズマリーが走るところなど。
「ブライトナー嬢、王女殿下は一体……」
「~~~失礼致します!」
「ブライトナー嬢!?」
レベッカの質問には答えず、セシルもローズマリーを追いかけるために駆け出す。
十年以上共に過ごしてきたが、今日初めて知った。
ローズマリーが意外と足が速いこと。否、セシルが遅いだけか。
だって今まで全力で走ったことも階段を駆け下りたこともなかった。
セシルの国では、淑女は決しては知らない。
貴族令嬢に求められるのは美しくあること。優雅であること。
それが在り方であり、義務だ。今までそうやって生きてきた。
それなのに、あんな粗暴な小娘に、どうしてローズマリーが辱められなくてはいけないのか。
悔しくて、哀しくて――憎らしい。
「姫様……ッ」
主の姿を見失ってしまったが、与えられた部屋には戻らず庭園のある中庭へと出る。
ローズマリーは皇女の剣幕に怯えて逃げ出したわけではなく、彼女に投げ捨てられた首飾りを探しに行ったのだと思ったから。
「姫様……っどこですか、姫様……ッ」
茂みを掻き分け、首飾りが落ちたであろう場所まで向かう。
そうしてようやく見つけたローズマリーと一緒にいたのは、太陽のように眩い金の髪と蒼い瞳の美しい少年だった。




