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夢のあと  作者: 緋桜
番外編 或る侍女の永日
83/114

E.C.1010.08-1


 セシルが主と共にセイレーヌで暮らすようになって、そろそろ半年が経とうとしていた。

 知らない土地での日々はめまぐるしく過ぎ、帝国での初めての夏を迎えた。

 この国の夏は短い。けれどとても暑い。特に帝都では例年三十度を超す猛暑が続くらしい。

 そのため気候のいい地方都市に領地を持つ中央貴族の中には、夏の間は領地で暮らす者も多いのだという。

 それは皇族も同様らしく、アデルバートの管理するこのセイレーヌの離宮には例年、彼の弟妹達が避暑を兼ねて遊びに来るらしい。



『一番上の弟はレオンハルトといってとても賢い子なんだ。そのすぐ下の妹のキャロライナはとても活発で明るく、勇敢な子だよ。下の弟はウィリアムといってとても繊細で感性の豊かな子で、いつだったか、私の育てた花を描いてくれたことがあったんだけれど、本当に素晴らしいものだったんだ。

 皆本当に心の優しい子たちだよ。早く姫君にも会わせたいな』



 そう嬉しそうに話すアデルバートの話を、ローズマリーもまた微笑んで聞いていた。



『アデルさまは弟君たちのことが本当にお好きなんですね』

『あぁ。皆とても可愛くて優しくて、自慢の弟たちだよ』



 ローズマリーの言葉を受けて何の衒いもなくアデルバートはそう言った。


 アメジア王国と違い、帝国では皇帝のみ複数の妻――妃を娶ることが許されている。

 そのため現皇帝のルーカス=ジュエリアルには現在四人の妃と六人の子がいた。

 正妃の産んだ子はアデルバートだけで他の弟妹は皆異母兄弟になるが、アデルバートは五人の弟妹全員が可愛くて仕方ないらしい。


 ただその中でも、アデルバートは一番上の弟である第二皇子を溺愛していた。

 アデルバートの四歳下の第二皇子は母親譲りの美貌と父親譲りの才覚を持ち、誰よりも聡明な皇子なのだと嬉しそうに語る。

 そしてこれは誰にも秘密なのだけれど、アデルバートの初恋の女性によく似ているのだと言って照れたように笑った。

 どういうことかと訊けば、幼い頃に一度だけ会ったことのある第二皇子の生母、第二皇妃がアデルバートの初恋の相手らしい。

 第二皇子を産むと同時に身罷った第二皇妃は、「太陽の女神」と称えられるほど美しい人だったのだという。

 その話を聞いたときのローズマリーの複雑そうな表情を、セシルは見逃さなかった。


 ともに過ごしていくうちに、ローズマリーとアデルバートの間に流れる空気は次第に柔らかなものになっていった。

 特にローズマリーの態度の軟化は誰の目にも明らかだった。

 セシルには、アデルバートが積極的にローズマリーとの時間をとろうとしているのと同じくらい、ローズマリーもまたアデルバートと過ごす時間を大切に想っているように見えた。

 ふたりで庭園を散歩したりアデルバートの育てている薔薇の手入れいっしょにしたり、アデルバートといるときのローズマリーはとても楽しそうだ。

 アデルバートのことを愛称で呼び、アデルバートに贈るために刺繍を学び、アデルバートの一挙一動に頬を染め、今までセシルが見たことのない表情で笑う。

 ローズマリーがアデルバートに対し特別な感情を抱いていることは、疑いようもなかった。


 正直、帝国の皇太子なのに、と複雑な想いにかられることもあった。

 アデルバートから贈られたアメジストの首飾りを付けるローズマリーを見たときは動揺を隠せなかった。

 息を呑むセシルに困ったように視線を落とすローズマリーを見ると、余計に。

 けれど結局セシルにとって一番大切なのはローズマリーで、主が幸せならば他には何も要らないのだ。

 だから黙ってふたりの仲を見守ろうと決めた。


 そしてそれはセシルだけではなかったようで、ローズマリーの健気さやいじらしさに心打たれた侍女や下働きの少女たちの間でいつの間にか「王女殿下を応援し隊」なるものが結成されていた。

 侍女頭のレベッカからくれぐれも余計なことはしないようにと釘を刺されたため実質的な活動はふたりを見守るくらいに留められているが。

 招かれざる客として煙たがられていたはずのローズマリーは、いつの間にか離宮中の人間の心を鷲掴みにしていた。



 そんな風に、セイレーヌでの日々は穏やかに過ぎ、ある日アデルバートの弟妹達が離宮に訪れた。

 到着の報せを受け、ローズマリーは第一皇女のキャロライナの待つ貴賓室へと向かった。

 なぜ皇女だけかと言うと、長旅に疲れたのか第三皇子のウィリアムが道中熱を出し、第二皇子のレオンハルトはそれに付き添っているためだ。

 その報告を聞いたときセシルは、この一族は少々軟弱すぎやしないだろうかと心配になった。

 というのも、三人の長兄である皇太子のアデルバートも昨日から熱を出して寝込んでいたからだ。


 この半年共に暮らしていて知ったことだが、アデルバートはあまり身体が丈夫ではない。何かと熱を出しては寝込んでいる。

 そのくせ調子のいいときはすぐに街に出かけたり遠駆けに行ったりしたがるのだから、侍女たちはいつも気を揉んでいるようだ。


「失礼いたします。皇女殿下」


 貴賓室に入ると、そこには緋色の髪と碧色の瞳をした美しい少女が座っていた。

 旅着からは既に着替え、ネイビーブルーのドレスを纏い髪を高く結い上げた様は、幼い少女らしからぬ気品に満ち溢れている。

 彼女が第一皇女キャロライナ=ブレイド=ジュエリアル。

 今年で十一歳になる皇女の顔立ちは、アデルバートとよく似ていた。母親の違う兄妹ではあるが、二人とも父親のジュエリアル帝にそっくりらしい。


 しかし印象は随分と異なる。


 おそらくそれは髪の色や瞳の色が違うせいだけではない。

 穏やかで優しげな印象の強いアデルバートとは対照的に、皇女は気の強そうな容貌をしている。

 頬のラインなどは少女らしい柔らかな丸みを帯びているが、つり上がった眉や瞳などは愛らしさよりも凛々しさの方が際立つ。


「お久しぶりに御座います、皇女殿下。ようこそおいでくださいました。お目にかかれて光栄ですわ」


 帝国式の完璧な作法でローズマリーは挨拶する。

 皇子たちを出迎えるために普段使いのドレスではなく正装に近いモスグリーンのドレスを纏い、アデルバートから贈られたアメジストの首飾りを付けたローズマリーは、皇女に負けず劣らず気品に溢れていた。


「アデルさまも皇女殿下のお越しをとても楽しみにされていたのですが、あいにく先日から体調を崩されて床に伏せっておいでなのです。お出迎えできないこと、とても残念がってらっしゃいましたわ」

「……」

「皇女殿下も旅のお疲れが出ないよう、お気を付けくださいませ」


 皇女とは帝都の皇城に滞在していた時期、何度か顔を合わせたことがあった。彼女の生母の第三皇妃主催の茶会に招かれ、そこに彼女も同席していたためだ。

 当時からセシルは皇女に対し、「淑女らしからぬ立ち振る舞いの気難しそうな少女」という印象を抱いていた。

 妖精めいた美貌を持ちどこか夢見心地でおっとりとしていた生母とは対照的に、皇女には触れるものすべて薙ぎ払う抜き身の剣のような、苛烈な美しさがあった。

 丁寧だが尊大な口調と飾り立てないシンプルな装いの彼女は、セシルの抱く「高貴な姫君」像からはかけ離れていた。

 実際、女だてらに馬を乗りこなした狩りに興じるという皇女は、その凛々しさから「騎士姫」などとも呼ばれていた。

 おそらくはその仇名には遠回しな揶揄も含まれていたのだろうが、皇女は全く意に介さず、むしろ嘲笑する女たちの方こそをどこか馬鹿にしているようにも思えた。


「わたくしはお兄様にご挨拶に伺ったのです。それなのになぜ貴女がお兄様の代理のように振る舞っておいでなのですか」


 ローズマリーの労りの言葉には応えず、皇女は不機嫌な表情を隠しもせず口を開いた。

 第三皇妃譲りの碧い瞳には、隠しきれない警戒心や敵愾心が滲んでいた。


「そ……そんなつもりは……」

「あくまでも貴女は客人。部外者なのですから、我が物顔で居座られるのは不愉快です。

 エイミス女史。貴女ともあろう者がなぜこのような横暴を許した?」

「……申し訳御座いません」


 言いがかりも甚だしい。開いた口が塞がらない。横暴はどちらだ。


 あまりのことに言葉を失いわなわなと震えるセシルを目で制し、レベッカは頭を下げる。

 いくら理不尽でも、侍女である彼女は皇女には逆らえない。


「皇女殿下、出過ぎた真似を致しまして、申し訳……」

「エイミス女史。お兄様はお部屋に?お見舞いに伺うので先触れを」

「は……」


 ローズマリーの謝罪を遮り皇女は立ち上がる。その拍子に長い緋色の髪がばさりと翻る。

 風に舞う焔のようだと思った。

 一瞬目を奪われたことで、悔しさが胸を塞ぐ。


 皇女は、美しい。

 淑女らしからぬ物言いや振る舞いなのに、そのことだけは否定できない。


「では、これで失礼いたします。くれぐれも身の程を弁えて、あまり勝手なことをなさらない方が賢明かと」

「な……ッ」

「……御心遣い感謝いたします、皇女殿下」


 皇女の「忠告」にローズマリーは微笑む。

 毒気を抜かれそうなほど柔らかな笑顔に皇女は一瞬鼻白んだように見えたが、それ以上何も言わず、部屋を出て行った。


 扉が閉まると同時に、残されたローズマリーはため息を吐いた。


「……はぁ……驚いた」

「な……何ですか今の!無礼にもほどがあります!!」

「皇女殿下はアデルさまとお顔立ちはよく似ているのに印象が随分違うのね。アデルさまはあんな表情されないから新鮮だわ」

「はぁ?」


 呆けたようなローズマリーの口から出てきた言葉に、思わず声が裏返る。

 てっきりローズマリーもセシル同様皇女の言動に腹を立てているのかと思ったのに、何だその感想。

 しかもどうしてほんのり頬を染めているのか。


「あの……姫様……?」

「でもまだお小さいのにとてもしっかりされているのね。あんな風に御自分の意見をはっきり言えるなんて、ご立派だわ」

「……姫様」


 呆れて再び呼ぶと、なぁに?と首を傾げられた。

 その拍子に艶やかな漆黒の髪が肩から零れ落ちる。


 美しくて淑やかなローズマリーは、セシルにとって理想の主だ。

 大切で大好きだからこそ、主にも自分自身のことを大切にしてほしいのに。


「先程の皇女殿下の無礼な御振る舞い、皇太子殿下に報告すべきです」

「そんな……おおげさよ」


 セシルの進言に、ローズマリーはそっと目を逸らす。

 その仕草で確信した。ローズマリーが皇女をかばおうとしていることに。

 先程の皇女の発言は非公式の場とは言えあまりにも無礼だ。仮にも他国の王族であるローズマリーに対し、許されるものではない。

 それなのにローズマリーは口を噤もうとしている。

 セシルはそれが納得できない。許せない。

 セシルの大切な主が、どうして皇女などに軽んじられなくてはいけないのか。


「姫様」

「……ねぇ、セシル。皇女殿下のお気持ちを考えてさしあげて。せっかく二日もかけてここまでいらっしゃって、大好きなお兄様に久しぶりにお会いできると思ったら、お兄様は体調がすぐれず、出迎えたのがほんの数回しか顔を合わせたことのない人間だったのよ?がっかりもなさるわ」

「がっかりとかそういうレベルじゃなかったですよ、今のは」

「長旅でお疲れで、弟君が体調を崩されてそのうえアデルさままで臥せってらっしゃるのよ。不安にもなられるわ。

 ねぇ、セシル。不安なときに少し攻撃的になってしまうこと、誰にでもあるでしょう?ましてや皇女殿下はまだあんなにもお小さいのよ。その不安に寄り添ってさしあげることが年長者の務めじゃないかしら」

「……」

「ね、セシル」

「……出過ぎたことを申しました」

「いいえ。わかっているわ。貴女がわたくしのために怒ってくれたこと。わたくしのために心を砕いてくれること。

 ありがとう、セシル。貴女がいてくれてよかった」


 そう言ってローズマリーは微笑んだけれど、やはりどうしてもセシルはやりきれない思いになる。

 口を噤んだものの、納得はできない。

 ただこれ以上食い下がってもローズマリーは折れないだろう。

 たおやかで儚げな外見に反し、いざというとき決して自分の意思を曲げないということはよく知っている。

 これ以上は堂々巡りの平行線だ。


「……そんなことをおっしゃってセシルの機嫌をとろうとされても、今回だけですからね」

「まぁ。ご機嫌とりなんかじゃないわ。本心よ」

「はいはい」


 戻りましょうか、と促すローズマリーのために貴賓室の扉を開ける。

 ローズマリーに与えられている部屋はアデルバートの部屋とは別の塔にあり、アデルバートを訪ねる皇女と鉢合わせることはないだろう。

 滞在中皇女が使う部屋とも離れているが、これから一月もの間共に暮らすのかと思うと正直気が重い。



 けれどもしかしたら、皇女の無礼に腹を立てながらも、セシルもまたどこか楽観的に考えていたのかもしれない。

 本当はこのとき、皇女の振る舞いに対して何らかの対策を講じるべきだった。

 皇女の横暴を許したことがのちの悲劇を招くこと、このときのセシルは少しも気付いていなかった。


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